part11
富士の樹海、青木ヶ原。
その奥底に、巨大な邸宅が存在していた。
敷地面積は約1600平方メートル。
一見、古い日本の武家屋敷を思わせるが、さにあらず。
その屋敷から放たれるのは、およそ人間が住まうには、禍々しい妖気であった。
即ち、瘴気である。
そんな屋敷の広間にて、二人の老人が向かい合っていた。
上座であぐらをかくのは、今年で89歳になる神河 巌である。
彼こそ、25代神河家の当主として君臨する、日本の『魔銃士』のトップだ。
巌、の名の如く、この男を一言で言い表すならば、まさしく巨岩のような男である。
彫りの深い、精悍な顔立ち。
分厚い胸板と背筋を纏う胴体に、丸太のような太い両腕。
あぐらをかいても尚巨大なその体躯からは、言い様の無い殺気が放たれていた。
そんな彼は、左手の扇子で自らを扇ぎながら、夕闇に沈もうとする外の庭を眺める。
その男を前に正座で座る、1人の男がいた。
昇の執事、山田 敏久である。
汚れ一つない執事服を身に纏い、彼はまっすぐに眼前の男、神河 巌を見詰めていた。
彼がここに来たのは他でもない。
昇とジュリア=ウィンストンの婚約に不可解な点があった為、その確認に来たのだ。
「貴様がここに来るのも、10年振りだな、山田?」
神河 巌は、何処か懐かしむかのようにそう口を開いた。
山田 敏久は、その日の事を脳裏に思い出す。
忘れもしない、自らの失態の日。
自らが仕えると決めた主の子供が、死地に紛れ込んだ事を防げなかった、あの日の事を。
「は」
「何、今更あの時の決定を覆し、それを糾弾する気はない。昇が無事であったのなら、それでよし。儂の決定は変わらん」
巌はそう言って、ようやく視線を山田へ向けた。
「――それで、儂に何用だ?」
「昨日、当屋敷にジュリア=ウィンストン様より、贈り物を頂戴しました」
「贈り物? 何か問題でもあるのか?」
「いえ。私には婚約の話は来ております」
「そうだな。伝えたのは儂だからな」
「はい。――ですが、渡様や昇様へはその約束の話が耳に入っていないのかと、ふと疑問に思いましたので」
山田の脳裏に昨夜の事が思い浮かばれる。
吸血鬼として能力を自覚した昇は、キーワードさえ思い浮かべれば、血を吸った父の記憶を引き出す事ができるのだ。
だが、昨夜の昇は思い出す事が出来なかった。つまり、父親である渡ですら知らなかったのだ。自分の息子が婚約されていた事を。
「そりゃそうだ。その話が出て来た時、渡は既に死んでおったからな」
「なっ!? 渡様抜きで、この話を決められたのですか!?」
「熱くなるな、山田。この婚約の話、いつ自分の耳に入ったか思い出すがよい」
巌は何処か含み笑いを浮かべながら、山田にそう言った。
山田は己の記憶をたどる。
そう。その報せを伝えたのは、目の前の巌である。
場所も此処、神河本家の大広間。
奇しくも10年前、昇が『草津支部』にて『宝石獣』との闘いを生き抜き、自らの監督責任が問われた時であった。
あの時、巌は山田への責任は問わない、という形で決着した。
そして、去り際、まるで付け加えるかのようにこう言ったのだ。
「当代『ハリー=ウィンストン』の孫娘、ジュリアと昇の婚約が決まった」
と。
「儂が婚約を承諾したのは、この婚約の意志が他でもないジュリア=ウィンストンからの強い意志があったからだ」
「な、何ですと!? 初耳です!」
「そりゃそうじゃ。貴様には初めて言うからの」
さも当然、とでも言うべき表情で巌はそう言った。
「何故でございます? 昇様とジュリア様と面識はない筈です」
「10年前、儂の前に先代の『ハリー=ウィンストン』とジュリア=ウィンストンがやって来た。ジュリアはまだ12歳の小娘であったが、その時から新生気鋭の『宝石工匠』として働き出していた頃だった。あの小娘、開口一番に『昇を自分にくれ』と言い出しおった」
「は、はぁ?」
要領を得ない内容に、山田は訝しげな声を上げた。
「当時12歳の小娘が、7歳の小僧の為、何故そう言ったと思う?」
「解りませぬ」
「ふん、朴念仁め。10年前、ジュリアは昇が『宝石獣』と戦う所を見ていたそうだ。それで決めたようだ。己が命を託すのは、あの漢しかいないとな。――フッ、実に青い。だが、その決意や良し!」
「それで、――婚約を決められたのですか?」
「そうじゃ。儂ら神河の人間に弱点があるとすれば、人の『決意』よ。それが強ければ強い程、叶えてやりたいと思うてしまう、困った性を持つ。昇も神河の人間ならば、あの決意をぶつけられて惚れぬ訳がなかろうて」
巌はそう言うと、豪快な笑い声を上げるのだった。
その様子を、山田は片頭痛に悩まされるような表情で眺めていた。
◆
「やれやれ、ようやく到着したな。――お嬢、大丈夫か?」
宝石獣が思ったより多かったというアクシデントはあったものの、俺達は無事に目的地である『白氷鉱山』へとやってきた。
お嬢のオーダー通り、ダイヤモンドを採掘するにはうってつけの鉱山である。何せ、ダイヤモンドしか採掘できないのだから。
「ええ、心配して頂いてありがとうございます。これでも鍛えていますから、足腰には自信がありますの。――それより、あなたは大丈夫ですの? 先程から大量に魔法を使っていますけど?」
「全然。むしろ地上で生活するより健康体だぜ? 魔法を使えば使う程、元気になっていくみたいだし」
俺はそう言って、軽く胸を叩いた。
そう、今の俺は超絶健康体なのである。
地上世界では、まるで暗い海底で暮らしていたかのように重たく感じていた体も、『トワイライト』では羽毛のように軽く感じられる。
親父の記憶通りならば、魔法を使えば使う程、肉体組織に負担がかかるものなのだが、俺の体はその理からは外されているみたいだ。
恐らく、吸血鬼としての体質が、それを可能としているのかもしれない。
運が良ければ『トワイライト』で暮らす吸血鬼に会って、詳細を教えてもらおう。
俺の母親は吸血鬼の世界を追放されている為、もしかしたら険悪な対応をされるかもしれないが。
「そうですか」
対するお嬢は、心底不思議そうな表情でこちらを見ていた。
そりゃそうだ。毒ガスを吸って平然としている人間がいれば、心底不思議だろうさ。
「さて、鉱山の入口が20年前と変わりがなければいいんだけど――っと、ビンゴ♪」
ダイヤモンドでできた地面を歩きながら、鉱山の入口を見つけた。
人間一人がギリギリ歩いて通れる長方形の穴が開いている。
ここが、鉱山の入口である。
『宝石工匠』はここを通り、目当ての宝石を採掘する。
それに『魔銃士』は同行しない。
実際、狭い通路しかないので、『宝石獣』が入らないし、宝石に対して基本的な知識しかない『魔銃士』が同行しても意味がないからだ。
「んじゃ、こっから先はお嬢の仕事だ。いってらっしゃい♪」
と言って、俺はお嬢を送り出した。
「ええ。――あの、一応、無線を確認してもいいですか?」
何処か言いにくそうな様子で、お嬢がトランシーバーを取り出した。
今更確認が必要か?
ま、お嬢の事だ。失敗の要因は消しておきたいんだろう。
ハードボイルドだぜ、お嬢。
「あいよ」
俺はそう言って、懐のポケットに収まっているトランシーバーを取り出し、お嬢の示す周波数を確認する。
『――あの、聞こえています?』
お嬢がトランシーバー越しに聞く。
トランシーバーからは問題なくお嬢の声がした。
『大丈夫だ。そっちは?』
『問題ありません』
「なら大丈夫だな」
「はい。それでは、行ってきます。何かあったら連絡を下さい」
「おう」
「それでは」
お嬢はそう言って、何故か何度も俺の方を振り返りながら、鉱山の奥へと入っていった。
ふむ。
もしかしたら予想外の襲撃が多かったから警戒しているのかもしれない。
流石お嬢、背後にも気を配るとは、ハードボイルドだぜ。