その3.
紳士の顔はやっぱりまだ怒っているように見えた。だけど、軽やかにスキップしているのだから、もしかしたら、紳士は楽しくてもこわい顔になってしまうのかもしれなかった。
ユミは、ドン、と一度飛んでスキップをやめた。
「もう、おしまい!」
と、また泣きそうになっていた。
「あたしはもう、おうちに帰ります!」
ユミはせいいっぱい胸をはり、こわい気もちをおさえて、紳士に立ち向かった。
「ふむ」
紳士は少し考えているようだった。
「では、いかがですか、今度の音楽会の日に、ぜひまた来ていただけませんかな?」
こんどはユミが少し考えてみた。
「いいけど…。とにかく、まずお家に帰ります」
「よろしい。では、にちようびにいらしていただけますか? その日に練習しませんとな」
「わかりました」
ユミはきっぱりと言った。
「ではでは」
紳士はいがいにあっさりと言うと、今来た方に帰ろうとしていた。
「ちょっと! ちょっと待って!」
とユミは、また呼び止めた。
「なにか?」
ギロリとこちらを振り向く、その紳士の顔はやっぱりこわかった。とくに、するどい目と口もとからのぞくキバを見るとぞっとしてしまう。
「あの、帰り道を教えてください!」
ここでくじけていたら家に帰れない。とにかくユミは全部の力をかき集めて、しっかり立って、しっかりと言った。
「帰り道???」
紳士はまたしばらく考えた。
「君はどこかで曲がりましたかな?」
ユミはドキリとし、そして希望がわいた気がした。
「曲がっていません!」
「ハハハハハ」
と紳士は笑ったらしかった。声は。たしかに笑っていた。だけど、顔はあいかわらず怒っているようだったし、口の中が真っ赤に見えた。
「だったら、ただ今来た道を、まっすぐに帰ればよろしい」
(な~んだ。あたりまえだ!)とユミは心の中で思ったけれど、それは口に出しては言わなかった。
「ありがとうございます」
ユミはていねいにお礼を言った。
「よく花をたどらないといけませんよ。ずっと花を見て、それをたどって行くのです。よそ見はきんもつです」
トラの紳士がきっぱりと言ったので、「はい」とユミもしっかりと返事をした。
「いいですか? にちようびには、また花をたどってここに来てください。約束ですよ」
「はい」
ユミははっきりと返事をすると、しんちょうに花を見ながら、道を歩き出した。
あたりはだんだん暗くなり始めていた。だれもいない。ユミは心ぼそかったしこわかった。
だけどとにかく曲がって来なかったんだから、まっすぐに花をたどって行けば、もとの所にもどれるはずだ。ユミは心を強くして、どんどん歩いた。
もう、花は咲かなかった。ただ、自分の歩くリズムを感じながら、ユミはただただ、どんどんどんどん歩いた。
だんだん、町のような所が見えて来ていた。でもまだまだ知らない所だった。
ときどき、人とすれ違うことがあった。でも、まだまだ知らない所だった。
そのうち、本当に暗くなってきてしまった。もう、たどっているものが、サツキの花なのか何か、わからなかった。ただ、ユミは自分の足元に続いている道だけを見つめてまっすぐに歩いた。
ふと明かり目に入ってきたのでまわりを見ると、店が見えて、信号が見える所にぐるぐると赤いランプが回っていた。
なんだろう。
ユミはどんどんどんどんそれに向かって歩いて行った。
それはパトカーの上についている、ぐるぐると回る赤いランプだった。おまわりさんが一人とそのほかにも人が何人か立っている。
ユミはその人たちにどんどん近づいて行った。
「ユミ!」
なんと、その人たちのうちの一人は、ユミのお母さんだった。
はっとして周りを見てみると、そこはユミの好きなパン屋さんの横断歩道の所で、パン屋さんはもう閉まっていた。
「どこに行っていたの! こんなに遅くになって!」
お母さんは、もうオロオロしていて、泣きそうになっていた。
「ユミちゃん!」
なんと、サラちゃんと、サラちゃんのお母さんもそこに立っていた。
「ああ、よかった!」
サラちゃんがユミの方にかけてきて、ユミに抱きついて泣き出した。
「おやおや。良かったですね」
と、若いお兄さんみたいなおまわりさんが、こちらを見てにっこりしていた。
「ほんとうに、ごめいわくをおかけしまして、もうしわけありませんでした」
ユミのお母さんが、ていねいにおまわりさんに頭を下げてあやまっていた。
ユミはもう、どうしていいかわからなくて、ぼーっとそこに突っ立っていた。
おまわりさんはパトカーに乗ると、パトカーはランプだけぐるぐるさせて、どんどん遠のいて行った。
「もう! どうしたの! どこへ行っていたの!」
お母さん、サラちゃんのお母さんはこちらを見ているし、サラちゃんはまだ抱きついて泣いている。ユミもどんどん悲しくなってきて、半べそになってしまった。
「ほら! サラちゃんにも、サラちゃんのお母さんにも、あやまって! ユミのこと、みんなで探してくれたのよ! ちゃんとお礼も言いなさい!」
お母さんが言った。
ユミはとうとうまた泣き出した。
「だいじょうぶよ、ユミちゃん。とにかく、ぶじで良かった。明日からは、またサラといっっしょに帰るようにしてね」
サラちゃんのお母さんの目も、なんだかキラキラ、ウルウルとしていて泣き出しそうだった。