違和感の正体
初めまして。
私の名前はリリイ・ルルーシュ。
ルルーシュ伯爵家の次女ですわ。
今日も春のうららかな陽射しが降り注ぐ良い天気です。
こんな日は外に出るのが一番だと思い、庭でお茶をしていたのですが。
今、私は大変不可思議な事態に直面しております。
「ごめんなさい…本当に、ごめんなさい……。リリィ様の婚約者だと存じ上げておりましたのに、思いが抑えきれなくて…!愛し合ってしまいました…お願いします、私達を許してください…!」
「ユーリを責めないでくれ…悪いのは俺なんだ。すまない、両家には俺が誠心誠意謝罪し償って許しを頂く。君には何の不名誉も被らないよう尽力するから、どうか俺と婚約破棄してくれないか…!」
そう言って目の前で私に頭を下げる見目麗しいお二人。深刻そうなご様子でしたので人払いをし、ここには現在私たち三人しかおりません。
涙を流しても、罪悪感に顔を歪ませても美しいなんて、美形って本当にお得ですわねぇ。
って、そんなことはどうでも良くてですね。
「えぇと……、何のお話ですの?」
というより、このお二人と私は知り合いだったでしょうか?
そこから疑問なのですが、この方々は私をご存知のようですし、何処かでお会いしたことがあるのかもしれません。
知らない方相手に人払いをするなんてと思われてしまいそうですが、屋敷の者に警戒した様子がなかったので大丈夫だろうと判断致しました。
「えっ」
「君と俺の婚約を破棄して欲しいということだ。突然こんなことを言われて戸惑うだろうが、」
「婚約…?申し訳ありません、覚えがないのですが……まず貴方はどちら様でしょうか…?」
あぁ、話を遮るなどはしたない事をしてしまいました。
ですが、あのままだと勘違いされたままだと思ったもので…お許しくださいませ。
「リリィ嬢…だよな?」
「えぇ、私はリリイ・ルルーシュと申しますわ。以後お見知り置きを」
「俺のことを覚えていないのか?」
「…申し訳ありません」
衝撃を受けたような顔をさせてしまいました。やはり何処かでお会いしているのでしょうか。
ですが、こんなお綺麗な顔、そうそう忘れることはないと思うのですが…私に婚約者がいた覚えもございませんし、はて…。
「あ、の……リリィ様、私のこともお忘れになってしまわれましたか…?」
「……申し訳ありません」
「そんな…!」
こちらも衝撃を受けたようなお顔をさせてしまいました。よろけて隣の男性に支えられると言うオプション付きです。
こんなにもショックを与えてしまうくらい、私と彼女は親しかったのでしょうか。
私にも少なくない数の友人がおりますが、その中に彼女がいた覚えはございません。
いったいどういうことなのでしょうか…。
「申し訳ございませんが、貴方がたのお名前を伺っても…?」
「あ、あぁ…。俺の名はアレクシス・ブリューゲル。リリィ嬢、君の婚約者だ」
「わっ、私は、ユーリス・ブラウンです、リリィ様っ!リリィ様の友人として親しくさせて頂いておりました!…もう、そんな権利はございませんが……」
可笑しいですね。
お二人の顔に見覚えはございませんが、お二人の家名には聞き覚えがございます。
「まぁ、ブリューゲル公爵家の…。では、デュークさまの弟君でいらっしゃるのですね。デュークさまはお元気ですか?」
「え…。いや、我が家は侯爵家だ。それに、俺に兄弟はいない。デュークという名の従兄ならいるが…」
「えっ…」
「リリィ様……?」
「で、では、ブラウン子爵家と申しますと、エリザベス様のご息女でいらっしゃるのですよね…?エリザベスさまはお元気ですか?今でも元気に他のご婦人を相手に紹介のドレスを宣伝しているのではなくて?」
「エリザベス…?私の母の名前はセレスティアです、リリィ様。エリザベスは伯母の名です。それに、体の弱い人ですので、滅多に家から出ることも致しません。リリィ様ともお会いしたことがあるはずですが……」
「え………」
本当に、いったいどういうことなのでしょう…。
「君は本当にリリィ・ルルージュ嬢なのか…?」
「まぁ、なんてことを…!私はリリイ・ルルーシュ本人ですわ!」
……あら?
「ルルーシュ…?」
「リリイ、ですか…?」
「リリィ・ルルージュ……?」
何か、お互いの認識に齟齬があるようです。
道理で先程からお二人の呼ぶ私の名前に違和感があると思ったのですが、違和感の原因は分かっても齟齬の理由は分かりません。
「念のため一つ確認だが、君ルルージュ侯爵家の一人娘、リリィ嬢で間違いないんだよな…?」
「……違います。私はルルーシュ伯爵家の次女、リリイ・ルルーシュですわ」
「一体、どういうことだ…」
男性――アレクシスさまが頭を抱えてしまわれました。
私もそうしたい気持ちで一杯ですが、淑女としてはしたないことですので悩むだけに留めておきます。
「では、君はリリイ・ルルーシュであってリリィ・ルルージュではないと言うんだな?」
「はい。ルルージュ家という家は、聞いたことがございません」
「で、ですが、私たちが今居るここはルルージュ侯爵家のお庭ですよ!?何度か来たことがございますが、冬でも変わらずお美しい庭です…」
「…冬、ですか?」
「…?えぇ、今日は小春日和で暖かいですが、今は冬です…よね?」
「あぁ。その証拠に、クリルの花が咲いている」
「クリルの花…?あれはクリュの花で、春に咲く花では……今が、冬………?」
おかしいです。私の知っていることと、お二人の常識が少しずつズレています。
自分が否定されるような、今まで築いてきたものが崩されるような、そんな恐ろしさがあり、寒気が走りました。
「…大丈夫か?リリイ嬢」
「え、えぇ、大丈夫ですわ…」
「リリイ様は、リリィ様ではないのですよね…?」
「えぇ、私はリリイですわ」
「…この家の者たちに違和感はなかった。それに俺はルルーシュという家名を聞いたことがない。ここはルルージュ侯爵家で合っているはずだ」
「そんな……」
でも、どうしてでしょう?
いったいいつから?
昨日までは確かにルルーシュ家にいたはずですが……絶対とは言い切れません。
もしかしたら、今まで気が付かなかっただけで随分前から私はルルージュ家に居座っていたのでしょうか?
ですが、それならばリリィ・ルルージュという方は何処にいらっしゃるのでしょう?
ルルーシュ家に帰るにはどうしたら?
「もしかしたら、なのですが…」
「どうした?」
「その……以前本で読んだのですが、平行世界というものをご存知でしょうか?パラレルワールドとも言いますが…」
平行世界、でしょうか?
「いや、知らない」
「申し訳ありませんが、寡聞にして存じ上げません」
名前からなんとなく想像できるような気も致しますが…。
「その…平行世界というのは、私達が生きているこの世界の他の、別の世界のことを指します。世界というのは複数あって、それぞれ似たような世界だったり全く違う世界だったりするいう考え方のことです。私は、その…リリイ様が、私達の世界ととてもよく似た世界からいらしたのではないかと思うのです」
「なるほど…分かったような分からないような…」
「つまり、ここは私の暮らしていた場所ではなく、私の知り合いも誰もいない、ということでしょうか…?」
それは、なんて
「あっ、も、もちろんただの可能性ですよ?ただ、それならこの違いも説明できるかと思いまして…!」
「では、リリィ嬢は?ルルージュ家にいないのはどういう訳だ?」
「分かりません…。リリイ様の世界に行かれたのかもしれませんし、もしかしたら、その…既に亡くなってしまわれたのかもしれません。あくまで可能性のお話です」
「リリイ嬢は、帰れるのだろうか」
「私には、何とも…。ですが、帰れないと思っていた方が良いかと思います…」
なんて、素晴らしいことなのでしょう。
「リリイ嬢…」
「リリイ様、元気を出してください…不安でしょうが、私たちが付いておりますから…」
「ありがとうございます、お二人共…本当に…。突然、こんなことを言い出す女など、悪魔付きを疑われてもおかしくないと言いますのに…」
「私達がリリイ様を疑うだなんて…!いえ、リリィ様とリリイ様は別人だと分かっておりますが、でも…」
「話す内容は俺たちと噛み合っていなかったが、話に整合は取れていたし気が狂れた様子もなかった。悪魔付きを見たことがあるが、アレはもっと常軌を逸している。だから、大丈夫だ」
「ありがとう…本当に、ありがとうございます…」
「リリイ様、泣かないでください…」
もちろん、平行世界というのは可能性のお話です。もしかしたら違うのかもしれません。
ですが、お二人のお話を信じるのならば――ここに私の姉妹は、兄弟は、誰もいないのでしょう。
私が見知らぬ土地に来た不安で、家族と引き離された不安で涙を流していると思っているお二人には申し訳ないですが、私の涙は嬉し涙なのです。
あぁ…こんな私にも優しくしてくださるなんて、なんて優しい方々なのでしょう。
その後、お二人の協力でこの屋敷やこの地域にリリィ様と思われる方はいらっしゃらないということが分かりました。
リリィ様のご両親は私の両親と違いが見当たらないくらいには瓜二つで、今屋敷にいるのがリリィ様ではなく私だとはお気づきになりませんでしたが、大層リリィ様のことを可愛がっていらっしゃるご様子です。
私がその愛を一心に受けていることには罪悪感が募りますが、実の両親と瓜二つの方々から受ける愛はまるで両親から受ける愛のようで、私はいつしかお二人をお父様、お母様と呼ぶことに抵抗がなくなっておりました。
使用人達の中にも私がリリィ様ではないと気付く者はおらず、皆良くしてくれています。
皆の慕ってくれる様子から、リリィ様がお優しい方だったのがよく分かります。
リリィ様の居場所を奪ってしまったことにも罪悪感が募りますが、あなたが帰ってきたらお返ししますから――どうか今だけは、私がここにいることをお許し下さいませ。
リリィ様に婚約破棄を願い出に来たというアレクシス様とユーリス様のお二人は、私が落ち着くまではこの屋敷に来れなくなるわけにはいかないからと話を進めるのを待ってくださいました。
ユーリス様が、アレクシス様と結ばれずにずっと私の傍にいると仰ったこともありましたが、アレクシス様と二人で説得して何とか思い留まって頂けました。
リリィ様のことを思うならばそのままにした方が良かったのでしょうが、私にはここに来てからずっと良くしてくれるお二方を裏切るような真似は出来ませんでした。
これから先、どうなるのかは分かりません。
アレクシス様と結婚式が挙げられる前に何とか両親を説得し、ユーリス様とのご婚約まで持っていかなければなりません。
リリィ様が帰られましたら、私はここを出て別のところで暮らさねばなりません。
貴族としてしか暮らしたことのない私ですが、市井でも生きていけるように現在こっそりとお勉強中です。ユーリス様に知られたら「私が養いますから大丈夫です!」と言われてしまいそうですので、こっそりですが。
私とリリィ様が入れ替わってしまったことで何が起こるのか、私に一体何が出来るのか――何も分かりません。
私に分かるのはただ、リリィ様、アレクシス様やユーリス様に恥じない生き方をしなければならないということだけです。
優しい方々に、同じくらいの…いえ、それ以上の優しさを、恩を返さなければならないということだけなのです。
この先困難に出会うこともあるでしょう。
悔しくて涙することもあるでしょう。
恋に敗れることもあるかもしれません。
元の場所に戻ることになり悲嘆に暮れることもあるかもしれません。
それでも――――今私は、この優しい世界で、幸せに暮らしています。