誕生日―もうひとつの物語―
誕生日―もうひとつの物語―
世の中には誕生日が二つある、という方もたくさんいらっしゃるであろう。記念日等も誕生日だ、と考えると三つ以上だというのは別として、病気や怪我、そこから回復した火をもう一つの誕生日、もう一つの年齢と考えるからもいらっしゃるだろう。
私もその一人である。本来であれば、もっと幼い時に命を落としていたのだが、救命救急士、医師、看護師をはじめとするたくさんの医療関係者、そして家族総出の救いがあり、「奇跡的」と言われながら助かることができた。その日を私はもう一つの誕生日としている。
日常を生きている際にはつい忘れてしまいがちなのである。自分がたくさんの人によって助けてもらったこと。家族をはじめ友人や学校関係者、実は知らなかったもっと外の世界の人たちにまで迷惑をかけてしまったこと。それを自分は乗り越えて、現在生きているのである。
もう一つの誕生日が来ると、もう一つの年齢も一緒に数える。もう一つの年齢のほうもとっくに成人してしまった。つまり、二十年は超えてしまったのである。
その当時飼っていた猫がいた。今でいう「外猫」になるのだが、私の緊急事態に際し、家族は数日家を空けっぱなしである。もちろんご飯はない。彼(雄猫だった)が空腹のまま放浪をつづけたためかどうかは推論に過ぎないが、家族の帰宅が許された後、彼が車にはねられていたのを目撃したのは最も彼をかわいがっていた次姉だった。
「あなたの代わりに逝ってくれたのかもしれないよ」
その後しばらく、代々猫がいた猫好きの我が家から飼い猫の存在が消えた。次姉や母のショックの大きさからだった。
無論、猫の彼の話は推論に過ぎない。猫は道路に飛び出して自転車や自動車にはねられやすい、接触やすい動物でもあるし、そのような環境でなぜ彼を「外猫」にしていたのかといわれると家族の問題が関連してくる。このような話は偶然といえば偶然であるが、家族は彼が私の身代わりになったと信じて疑わなかった。
私は彼の分も生きている。彼が精いっぱい生きたように。
これからも、自分を全面的にサポートしてくれた医療関係者の方々、周りで支えていてくれた家族や友人、そして彼に恥じないよう、精いっぱい、かつ無理しすぎないよう生きていく。