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 「三年最後の大会、負けられなかった、絶対。負けたくなかった、絶対。」「悔しいのに、涙が出ない」という東京ガスのコマーシャルをよく見かける。


 涙が出ない、という現象は成長していくうえで必ず訪れる現象なのではないか、と思うのである。悔しさやあまりに大きな悲しさ、そしてやりつくしたという虚無感、それに押しつぶされることが人間は大きくなればなるにつれて増えていき、いずれ泣きたくても泣けなくなる、という時が来てしまうのではないだろうか。


 かくいう自分も泣きたいときにうまく泣くことができない人間である。思い返せば泣きたいときに泣いたのはいつのことだったであろうか。この女の子のように大会(ほぼ文化系の部活にしか属したことがないため、コンクールや演奏会と称したほうが正しいだろう)で泣いた記憶はない。やりきった、虚無感でいっぱいだった思い出しかない。


 思い出した、まずは高校の卒業式だ。泣きすぎてクラスで最後のスピーチができなかったのだった。あと思い出されるのは自分に関係する人の死、いわゆるお通夜やお葬式である。お世話になった人であればあるほど泣いた。それは覚えている。そしてそのあとの虚無感、これもいまだに抜けきれないものがたくさんある。


 泣くことは大切である。そこで気持ちの浄化がされるから、という考え方には同意できる。だからこそ、まだうまく泣くことができる人たちには、泣きたいときに泣くことができる大人になってほしいと思うのである。うまく泣くことができない人間より。


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