兄弟
兄弟
テレビ番組等での兄弟姉妹の共演というのはやはり話題を惹きやすいものなのか。つい最近だが、意図せずに見ていた番組で異母兄弟であるファッションデザイナーの山本寛斎氏と俳優の伊勢谷友介氏の対談が印象に残った。
「兄として、自分の考えや経験を弟に伝えたい」「弟という立場ではあるが、自分にも譲れない考えがある」という姿勢を受け取ったのだが、私にも思い当たる節がある気がした。
私は三人姉妹の末っ子である。長姉、次姉と自分との年齢の間が大きく開いていたため、自分が物心ついた時にはすでに長姉、次姉とも二十歳近い年齢だった。
そのため、教えてもらうことは多かった。直接的には主に学術的な知識、間接的には物心がついたとはいえまだまだ幼い私への生き方など、二人の姉から教えてもらい、学ぶことはたくさんあった。
初めて私が直接的に「姉として、自分の考え、経験を伝えたい」と感じたのはやはり高校生、自分の進路を決定する頃であった。長姉が「本当にそこの大学でいいの?」と尋ねてきたのである。
当時、私は地元の大学の経済学部を志望し、そこ以外に行くことはできないことを家庭環境からも感じ取っていたため、その他の選択肢はないと思っていた時であった。
その頃だった。めったに私の進路に口を出さない長姉が「隣の県の大学とか、受けようと思わないの?」と尋ねてきたのだ。
私は告げた。「隣の県の国立に受かる確率も低いし、後期試験で地元の国立に絶対受かる可能性はないから、前期試験で地元の大学を受ける」
長姉ももちろん家庭環境は知っている。私より早く生まれているのだ、当然だ。それを踏まえて敢えて他県の大学(とはいえ国立限定だが)の受験を薦めてきてくれたことについては「姉として、自分の考え、経験を妹に伝えたい」という考えがあったのだろう。
次姉から直接「姉として自分の考え、経験を妹に伝えたい」と感じたのは大学卒業時の進路選択であった。進むべき道が見えなくなり、手探り状態で生きていた大学四年生の頃、「大学院に進学したい」という希望を伝えたときのことだった。
「あなたは家から出ていないんだし、下宿代の分あと二年大学院に行ってみなさい。修士卒なら初任給も大卒より高いんだし」
次姉は大学進学の際は特に何も口を出してこなかった。しかし、私は知っていた。次姉は就職先が決まらなければ大学院に進学するつもりでいたと。そして就職したのちも大学の通信部への興味を示し続けていた、私の大学院への進学に賛成することが次姉の「姉としての自分の考え、経験を妹に伝えたい」ということだと思うのである。
もちろん、「妹という立場であるが、自分にも譲れない考えがある」という経験がある。
大学生の頃、熱気球部に所属し、熱気球のライセンスを取ることを考えていた。当然家族全員が大反対であった。両親はもちろんのこと、姉二人まで猛反対するということは生まれてこれまで経験したことのないことであった。
「そんなになりたいならそのメリットをプレゼンテーションしなさい。もちろんプレゼンテーションにはお土産っていうのがついてくるのよ」と次姉に言われ、プレゼンテーションの準備をしたこともあった。お土産は気球マスコットを家族分作成したが、結局プレゼンテーションに至ることなくライセンス取得は諦め、その後個人的事情によりライセンス取得そのものが不可能となってしまった。
そのころが一番の「妹という立場であるが、自分にも譲れない考えがある」という経験である。
兄弟姉妹、最も身近な、相互影響しあう存在。
どこにいても、そのお互いを気にしないことはない存在である。
いい影響、悪い影響、それをすべて包含して兄弟姉妹なのだ。