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聖母の涙  作者: 唐子
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比瑳子

直接的表現ではないですが、同性同士の恋愛感情を扱っております。ご注意ください。

さくら 牡丹 薔薇の花

鈴蘭 芍薬 百合の花


この耶蘇の神の導く学校に、幼年期から少女期を過ごした。




つん、とこめかみを引かれる感触で比瑳子ひさこは目覚めた。


古い古い蔵書をしまっておくだけの書庫は、少女たちの秘密の隠家。

まだ二月だというのに良い陽気で、ついうたた寝してしまったらしい。

うっとり一回二回瞬いて、うっすら瞼を開ける。

すると白く細長い指が器用に動き、比瑳子の肩からこぼれた髪の毛と色の違う髪をゆるく三つ編みにしているのが見えた。こどものような手遊びに、くすりと笑みがこぼれる。


「なんだ、起きていたの?」

「引っ張られては、起きてしまうわ、須磨子すまこ

「だってあなた、早々寝てしまうのだもの。わたくしは退屈は嫌い」


須磨子はぱ、と二人分の髪でできた三つ編みの編み目を手放す。

癖っ毛で、いささか淡い色合いの比瑳子の髪と違い、須磨子の髪はため息が出るほど艶々と黒く、腰のある直毛なので、編まれた三つの毛束はさらさらとあっけなく解けた。

須磨子の黒い髪に数本絡んだ比瑳子の淡い色が、まるで二人の心持のようで、比瑳子の唇から苦笑が漏れる。


「予備のリボンでも、持ってくればよかったわねえ」

「御免なさいね。須磨子を枕にしてしまうだなんて、みんなに知られたら、つるし上げられてしまうわ」

「そうなったら、わたくしは公言する。わたくしの肩を無断で借りていいのは、比瑳子だけだって」


ふふん、勝気な笑みは、同性から見てもあでやかで、ちょっとだけ頬に熱が上る。

彼女が同窓生下級生から絶大な人気を誇る理由がわかる。


大胆不敵、頭脳明晰、容姿端麗。

須磨子はこの学園の女王様だった。美しく傲慢な、本物のお姫様。

そうなるだけの統率力も牽引力を持ち合わせていたし、公爵令嬢という身分と血筋に裏打ちされた気高さで、上を敬い、下には慕われた。恵まれた人。


そんな人と自分が、どうして友になりえたか、比瑳子はいまだにわからない。


最初、憧れていたのは比瑳子の方だった。

同年なのに目の離せない華やかな少女を、憧憬と眩しい思いで眺めていた。遠くからの不躾な視線に須磨子はいつ気がついたのか。それでも、須磨子が寄ってきてくれるかぎり、比瑳子はその傍をはなれなかった。

今では一番近い友人であると、うぬぼれでなくそう思う。

傍に居て解ったのは、彼女が意外にも排他的であること。須磨子の周りは、いつも人が集まったけど、屈託なく付き合っていたのはそのどれほどだったのだろう。


すり、と冷たい指先が目の縁をたどったので、思考が途切れた。

見れば、心配を含んだ眼差しが比瑳子をとらえる。


「隈。あんまり、寝ていないの…?」


優しさに、今度こそ笑みが漏れる。冷たい指先を包むように手のひらに閉じ込めて、心の中でもう何度目になるかわからない小さな嘘をつく。


「寝ているわ。ゆうべは、観劇に行っていたので、遅くなってしまっただけ」


誰と、とは言わない。須磨子も察したのだろう、かすかに眉間に皺を寄せる。


この学校の多くの卒業生がそうであるように、比瑳子と須磨子も卒業後の進路は、結婚である。

しかしその質は大きく違う。


家柄学歴年齢、どれをとっても遜色のない筒井筒を、須磨子は選んだ。

軍閥名門の二男で、自身も軍人というその男を紹介されて、いささか驚いた。男らしくはあったけど、さして美形とは思えなかったもので。しかしその人の隣で微笑む彼女は、比瑳子が見たことのない顔をしていたから。


いいのだ。

すがるように絡まった、未練がましいこんな気持ちは。

そう、と染みるような声が胸に痛いのに、いつまでも聞いていたいような甘やかさを感じるのは、比瑳子の願望なのだろう。


「何を観たの?」

「さあ?実は、途中で寝てしまったの。演目も忘れてしまったわ」

「まあ」


明るい声を、もっと聞きたくて、笑い交じりに続ける。


「ご存じでしょ?観劇って、苦手なの。でも、先様はそんなこと、ご存じないものだから」

「我慢できなかったのね?」

「若い娘が、なにを好むのかわからないのですって。前に、花は好きですかと聞かれて、はいと言ったらそれ以来毎日のように花が届くのよ?今にうちは花屋に鞍替えしてしまうわ」


つい先日は、鉢に植わった真紅の牡丹が届いた。

その花を見たとき、比瑳子はこの美しい友人を連想した。

一輪でも鮮やかな存在感。しっかりした根づいた幹。かぐわしい芳香。

届いた日、比瑳子は泣いた。泣きながら、この花を地におろすのだと決めた。

しっかりと大地に根付き、大きく枝を広げ、大切に手を加えれば、きっと毎年美しく花ひらく。


「須磨子は、牡丹ね」

「唐突ね、あいかわらず」

「薔薇でもいいわ。あなたにピッタリ。でも色で言うなら、あなたは菖蒲よね」

「比瑳子は、」


須磨子は比瑳子の肩を抱き、笑わずに、言う。


「百合の花ね」


一瞬、時が止まった。


「……そんな、御大層なものじゃないわ」

「いいでしょう、わたくしは、そう思うの」


百合は、マリア様の花。純潔の身で、神の子を受胎したマドンナ!


当てこすりだとしたら痛烈で、残酷な。しかしそうでないと知っているので、比瑳子は須磨子の腕にすがりこみ上げる熱い塊を嚥下する。

肩に回された腕は温かくて華奢で、それがとても悲しかった。


さくらの季節に、この美しい友は、美しい人妻になる。

守り守られ、愛し愛され、周囲に尊敬される妻に、母に。この腕に守られる者は、きっと幸せだろう。この学舎で過ごした数年、須磨子の傍にあり続けた時間は、何頭幸福だったろう。

今だけは、私もその中にいる。享受できる、この幸福を。でも。



この腕は、私を救いはしないのだ。



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