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紺青のユリ  作者: Josh Surface
第七章「狂母」乙女編 西暦20~21年 5~6歳
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第七章「狂母」第九十八話

ローマ市民からのデモとして長い期間行われたお父様へ喪に服す行為は、あらゆる組織や機関のマヒを引き起こしていた。さすがにティベリウス皇帝陛下も、異例の声明を出すほど。


「元老院ならびにローマの自由市民達よ、いかなる神君、軍神と呼ばれた偉大なるローマ英雄達でさえ、時としてその命には限りがある。だが、我々の住むローマ国家は永続的に生きていかなければならない。故人を偲ぶ深い気持ちは分かるが、一日も早く、元の生活に戻る事もまた、故人を弔う上での最上の選択ともいえよう。」


再びローマは、否が応でも元の生活へと戻って行く。その後に、ティベリウス皇帝陛下から、リウィッラ叔母様の双子出産に関する喜びの声明も発表されたのだが、ローマ市民にとって一番の関心は、やはりピソの父ゲルマニクス暗殺疑惑に関する裁判だった。


「おはよう、ウィプサニア。」

「ドルスッス様、おはようございます。」

「いよいよ、今日がピソ裁判初日になるね。」

「はい。」

「僕はこの日がくる事を本当に指折り数えて待っていた。あらゆるものを最大限生かして、今回の裁判に臨むつもりだよ。きっと良い結果になる事を祈っているよ。」

「優しいお心遣い、本当にありがとうございます。」

「ゲルマニクスの配下にいた四名の元老院議員達も、知識を結集させてる。僕はゲルマニクスの代わりにはなれないが、いつでもウィプサニアの味方である事は変わらないからさ。」

「ドルスッス様は、本当にお優しいお方。亡き夫もきっと喜んでいる事でしょう。」

「うん…。そうだな。」

「…。」


すると、ゲルマニクスお父様の弟であるクラウディウス叔父様も、わざわざお母様を励ましにやって来た。


「ウィプサニア…。」

「クラウディウス様。」

「私は最後までこの裁判を傍聴し、記帳するよ。残念ながら僕の身分では、君に出来る事はこの位しかないが、それでも兄さんの想いを託された、ウィプサニアを応援しているよ。」

「心よりのお気遣い、誠にありがとうございます。」


お母様は勿論、私達子供も元老院で行われるピソの裁判を傍聴する事は不可能だった。そこで、クラウディウス叔父様が記帳された個人所有の裁判記録を開いて、当時の様子を綴ってみようと思う。



《ピソの裁判》


この私、クラウディウスは、今回行われたピソと彼の家族に対する裁判に関して記述を行う。彼らは、今は亡きローマの英雄であり、私の兄でもあるゲルマニクスへの毒殺容疑者として、兄の妻であるウィプサニアを中心とした、一政派の元老院の貴族達から嫌疑を掛けられ起訴をされた。


裁判初日。

その日がとうとう訪れた。

私とドルスッス様と一緒に、ウィプサニアの元へ挨拶をしにいく。ドルスッス様の長所でもある、元来の陽気な性格はすっかり実を潜め、その顔には亡き友の妻ウィプサニアから託された執念と忠義一色だった。それもそのはず、彼と私が港町タッラキナで兄の遺灰とウィプサニアを迎えにいった時、ウィプサニアから世にも恐ろしい話を聞かされたからである。話は前後してしまうが、その時の事も書き残しておこう。


「我が愛する夫ゲルマニクスは、ピソによって殺されたのです。」

「な、何だと?!」

「そ、それは本当なのか?ウィプサニア。」

「はい、クラウディウス様。既に承知の事実でしょうが、亡き夫はあのピソと犬猿の仲でありました。しかし、共に国家ローマの為に忠義を尽くす軍人でもあります。しかし、ピソがシリアの属州の総督として任命されているとしても、その上をいく我が夫に託された大権は、如何なる事があっても守らねばなりません。」

「…。」

「しかしピソは、己が年長者である故の幼長礼節を強要し、嫌がる行為や規則をむやみやたらに変更して軍団の規律を乱し、事あるごとに夫へ非難を浴びせ続けたのです。」


ドルスッス様は険しい顔をしたまま俯いてる。私は自分が知っている事を確認してみた。


「その話は私も知っているよ。そこで兄さんは耐え切れずエジプトへ皇帝の承諾無しに行ってしまったんだろう?」

「え?どうしてそのような話になっているのですか?!シリアを離れ、エジプトへ行くように示唆したのは、あの憎きピソなのですよ!」

「何だと?!」


ウィプサニアの表情は、込み上げる怒りと無念さを露わにすると、既に泣き疲れているはずなのに、さらに肉体から振り絞るように涙を流し始めた。


「ピソです…。全てはピソが原因なのです…。夫は最後に、こう言い残しました。"後はドルスッスに頼む、無念を晴らしてくれ"と…。」

「ああ、分かってるよ、ウィプサニア。ゲルマニクスの無念は、僕が必ず晴らして見せる。」


今迄俯いていた顔を上げるドルスッス様は、眠っていた猛虎が牙を光らせている様な怒りに満ち溢れていた。その後、ウィプサニアからはピソの妻であるプランキーナの妖術まがいの様子など、ピソとその家族が兄の暗殺を企てた嫌疑を洗いざらい告白してくれた。だが、この私、クラウディウスは、常日頃歴史の研究をしているためか、多角的に公平に物事を検証する癖がついてしまっている。確かに兄ゲルマニクスの死は心から苦しい事だが、どうも一つの疑問が引っかかってしょうがない。


「一つ疑問なのだが…。なぜ、兄だけが毒殺され、呪われたのだろうか?」

「それ、どういう事ですか?クラウディウスさん。」

「いや、ゲルマニクス兄さんが本当に毒殺された、もしくは呪い殺されたとしたら、なぜ彼だけだったのだろうか?という疑問だよ。側には常にウィプサニアが着いていた。召使も使用人も元気であるのに、何故ゲルマニクス兄さんだけなのだろうか?」


だが、私の検証癖は、初めてドルスッス様を怒らせてしまった。時と場所を選ぶべきであった。あの時は、ゲルマニクス兄さんの突然の悲劇で、誰も彼もが感情的であったのだから。再び、裁判初日に戻そう。


「確かに、こうやって日を置いて、しかも、昨日の妻が当たり前に言っていた真逆な解釈をすれば、少し冷静に物事が見えそうな気がしますよ、クラウディウスさん。」

「そうでしたか、ドルスッス様。」

「タッラキナでは本当に無礼な物の言い方、申し訳無かった。」

「いえいえ、貴方の指摘はごもっとでした。元来、私と兄では住む世界が違う。違う世界の者がしゃしゃり出て、高い場所から語るべき事では無かったのですから。」

「なるほど。」

「私は日頃から歴史の研究をしている癖で、一つの事象を多角的な見方で検証する癖があるのですが…。上から物事を語ってしまって、人の神経を逆なでしやすいタチなのかもしれません。」

「あははは。」

「ほら、私にとっては、ローマからタッラキナ迄のアッピア街道は、指先一つくらいだと…。」

「あははは~!それは地図の上ではってことですね?クラウディウスさん。」

「ええ。」

「貴方は実に愉快な方だ。ゲルマニクスとは違ったユーモアがある。」


この私、クラウディウスの得意技といえば、自虐的な話題で人を笑わす事ぐらい。笑われる事には昔から慣れているもの。とにかく、ドルスッス様が裁判を前にリラックスされてとても良かった。


「こ、これは一体?!」

「何なんですか?!クラウディウスさん。」


我ら二人が、ピソの裁判が行われる元老院の目の前で目にした光景は、何千何万にもおよぶローマ市民が、自然と集まった怒涛の様なエネルギーであった。


続く

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