第七章「狂母」第九十五話
「それは…私が亡き夫の死に託けて、故人を偲ぶべき事を見失い、クラウディウス皇族派へ一個人の復讐を目論んでいると、申されておりますのでしょうか?」
一同の共和政支持者の貴族や氏族達は余りのお母様の言葉に肝を冷やした。
「それは、我が母や姉が現皇帝陛下及び大母后様より不当の扱いを受けていたからだと。そう申されたいのでしょうか?」
「い、いや…。そう言うわけではないのだが、万が一の事も考えてだね…。」
「ご納得いただけないと言うのであれば、今この場で我が命を断ち、遺書として貴方方へ預ける覚悟もできておりますが?ご覧になられますか?」
お母様はストラを捲り上げ、そのやつれた細い両腕を見せ、両手首を一同に見せる。すると先ほどお父様の遺書確認の提言をした中年貴族は、その恐ろしい威厳に後退りをし始めた。彼は寡黙のままに着席するしかなかった。再び貴族のご老人がお母様へ微笑んで諌める。
「ウィプサニア殿の覚悟は、わしらも誰の目から見ても分かった。どうかお気を鎮め下され。」
「ご心配をありがとう。でも、私は常に落ち着いております。」
「そうでした、申し訳なかった。とにかくだ。今回の事で、クラウディウス皇族派に民意の声を伝える為にも、我々が一丸となって一矢を報いなければならない。その為にも、ウィプサニア殿も、我々も、このように民意の声の為に、自分の感情を犠牲にして押し殺しているのだ。その事だけは個々にくれぐれも忘れぬように。ウィプサニア殿、わしら共和政支持者は君の味方だ。」
後になって考えてみると、実際には、皇族から完全なる共和政復興を願う支持者の思惑と、お母様の皇族への復讐という思惑が、父ゲルマニクス神話の誕生と共に一致した瞬間でもあった。
「結局、お母様に押し切られる形になってしまったな。」
「うん。本当にこのままで良いのかしら?ドルススお兄様。」
「そうだな…。」
「何を二人はコソコソ話してるんだ?」
後ろにいたのはカリグラ兄さんだった。横にはドルシッラの手を繋いでる。
「お姉ちゃん達は、何か最近怪しいよね?」
「ああ、ドルシッラの言う通りだ。家族の輪の中にも入ってこなければ、お母様とは出来るだけ会話を避けるようにしている。二人で何を企んでる?」
私はカリグラ兄さんの物の言い方にカチンときた。
「企んでるですって?ガイウス兄さんはそんな言い方しか出来ないのですか?」
「何だと?」
「人の心を覗く時に、自分の心が澄み切ってなければ、他人の心も歪んで見える物です。ご自分の愚かな心を通して、私の心が歪んでるなどと決め付ける言い方は失礼です!」
「こいつ!生意気なだけでなく、暫く会ってないうちに屁理屈まで身に付けやがって!それが兄に向かっていう言葉か?!」
「ガイウス兄さんこそ、自分は兄だ!兄だ!と偉そうにされるなら、こんな生意気で屁理屈を言う私のような妹からも尊敬される様な、立派な人間になられたらどうなんですか?!」
「ユリア、その位でガイウスを勘弁してやんな。」
ドルススお兄様は私とカリグラ兄さんの間に入って止めた。明らかにカリグラ兄さんは顔を真っ赤にしている。
「こんな事ぐらいで怒るなんて、ガイウス兄さんは、同じ名前でも神君カエサルとは大違いですね!」
「ユリア!よさないか。」
「この野郎!ユリア!妹の分際で俺を侮辱しやがって。」
「お姉ちゃん!それはガイウス兄さんに言い過ぎだって!」
私はカリグラ兄さんに味方したドルシッラにもカチンときた。
「ドルシッラは黙ってな!あんたは私とガイウス兄さんとの喧嘩には関係ないんだから!あんたなんか、ガイウス兄さんにひょこひょこついてるだけじゃない!何も知らないくせに!」
「そ、そんな事無いもん。」
「ユリア!やめなさい。」
「いいえ、ドルススお兄様。最後まで姉としてドルシッラに言わせて。まだまだ幼いからって、何も知らないうちに誰かの後ばっかりついてたら、自分を見失っちゃうよ!ドルシッラ、あんたはそれでもいいワケ?」
私の発言は、たまに周りの人間を抑え付ける時があった。カリグラ兄さんはドルシッラの頭を摩りなが見下すように話しかけてきた。
「ユリア…。お前、それでもドルシッラの姉貴かよ?この娘はまだ四歳なんだぞ。」
「それが何よ!ガイウス兄さんはどうしてあたしばっかり、『お前は妹だから、兄さんの言うことを聞け』だの、『お前は姉だからドルシッラに優しくしてやれ』だの、ガイウス兄さんの言ってることは、自分に都合の良いことばかりじゃない!あたしだって!あたしだって、みんながローマにいない時、一人で寂しいの我慢してたんだからね!」
「それは仕方ないだろ?!」
「ほら!仕方ないって!そんなのずるいじゃない!」
私は不思議と泣き出してしまった。何でだろうか?きっとこれからのモヤモヤした不安が爆発しただけかもしれない。でも、流石にこの時だけは、いつもは勝気なお転婆としか私を見なかったカリグラ兄さんも、渋々ながら謝ってくれた。
続く