第六章「亡父」第九十一話
その日の夜。
カリグラ兄さんが言った通り、多くのゲルマニクスお父様の死を嘆き悲しむ人達が、せめて遺灰を崇めたいと、続々と申し出てきた。
"ピソを許してはならぬ!ゲルマニクスの仇を!"
誰もが口々にお母様へそう告げている。お母様は涙を何度も流しながらも、その思いに報いる為、全てを掛けると誓われていた。
「私の愛おしく美しい子供達よ。貴方達のお父様は、不幸にも敵の卑劣な手段によって、あの、気高く美しき魂を奪われてしまった。だが、その無念の内の想いは、世界中で誰よりもゲルマニクスを愛するお前達の母親、このウィプサニアが聞き留めている。もう、安心しなさい我が子達よ。私が、お前達の亡き父の代わりに、私達家族を襲った毒牙を、卑劣な手段を用いた愚かな者たちへ突き返しましょう。」
お母様は、私達になどに話し掛けてはいなかった。まるで亡霊の様に通り過ぎ、私達家族を嘆き悲しむ人達に決意を述べてるようだった。カリグラ兄さんは、この決意の誓いを聞き飽きてる様子だったけれど、しっかりとその意志を受け継ぐ者として、演じて振舞っている。
「ネロ、ドルスス、ユリア。お前達は今までお父様の遺灰に付き添った事がないのだから、しっかりと私の言う事聞きなさい。」
「はい。」
「これより、アッピア街道を辿ってローマまでの帰還。お前達は民の前で、決して笑顔を見せてはいけません。尊い犠牲者の魂を弔う為に、常に俯き悲しむ姿を見せるのです。できるだけ涙を流し、人々からの同情を受け取る為に。」
「同情を…ですか?」
「そうよ、ドルスス。私達は今、大黒柱を失った家族なのです。ローマ帝国において、全ての人々から同情を受け取る価値を得た、唯一の氏族でもあるのですから。そして、それこそが、お父様の最期に遺された意志なのですから。」
「はい…。」
「いいわね、ネロ?ユリア?」
「はい、お母様。長兄として、家長として、立派に務めます。」
「やはり、ネロ。お前が長男で本当に良かった。私は、お前だけが頼りなのですから…。」
「はい!」
お母様はこの頃から、公然と兄妹同士でひいきをするような発言をし始めた。そんな気など本人は無かったのかもしれないけれど、虚栄心と支配欲の強いカリグラ兄さんは、度々、ネロお兄様をひいきする発言に、何度も歯ぎしりをしている。
「…。」
クラウディウス叔父様は、何度もお母様のお姿を嘆くように眺め、口を閉ざしたまま溜息をついている。晩年、クラウディウス叔父様が、皇后の私に語ってくれた事には、当時は、もはや弔いではなく、ある意味母ウィプサニアの陰謀説にとりつかれた、ピソへの復讐、しいてはその影で操るティベリウス皇帝に対する果たし状のようだったと。
「ご覧なさい、子供達よ。世界は私達家族の味方ばかりなのです。お前達は、あの者達の美しき弔う心を、決して平然と踏みにじってはいけません。」
きっと、最初は何気ない弔いの為に、平民は衣服を燃やしただけだったのかもしれない。けれども、それらが拡大するにつれて、その噂と風評と現皇帝に対する不満が入り混じったのかもしれない。今、考えればお母様もまた、お父様が最期に遺した言葉の真意を、悲しみのあまりに見失っていたような気がする。だが、私がその真意を知る事になるのは、残念ながらお母様とネロお兄様が亡くなられた後だった。
「ドルススお兄様…。」
「大丈夫だよ、ユリア。お前はお兄ちゃんの手をずっと握ってな。無理に泣く事もないよ。」
「うん。」
「ただ、ガイウスやネロお兄様には内緒にしておこうな。面倒になると、後が大変だし、今は家族が一丸となる時なのだから。」
「分かった。」
すると、生真面目で有名な百人隊長のカッシウス・カエレアが、お母様へある報告をしてきた。
「ウィプサニア様、ティベリウス皇帝陛下より派遣された近衛兵三千が到着しました。」
「分かりました。彼らをゲルマニクスの遺灰へ必ず弔いを行うように伝え、ゆっくりと休ませた後の明朝、彼らと共にローマへ帰還する事を伝えるのです。我が愛するゲルマニクスの、無念な魂と共に、彼らには栄誉ある護衛を務める事を誓わせた上で…。」
こうして、私達家族は、良くも悪くもお母様の強引な意志に背中を押されながら、ローマへと帰還する事になるのだが…。ローマへ到着した私達に待っていたのは、更なるお母様の復讐心を煽るような、誤解から生じた悲しき運命の幕開けだった。
続く