第六章「亡父」第八十八話
「お母様…。」
「?!」
「お母様!!」
「ネロ?!ドルスス?!」
「お母様!!!」
「ユリア!!!」
不安定だった私達三人の心は、やつれて細くなったお母様の両腕に、やっとたどり着く事ができた。今まで涙を流せなかったのが嘘の様に…。いや、ひょっとしたら、ずっとずっと我慢していたのかもしれなかった。両目から滝の様に涙が流れ、肩を抱きかかえられながら、涙で滲んだお母様に必死にしがみついていた。
「ウィプサニア…。」
「ドルスッス様…。本当に、本当にこの子達を…わざわざ。」
ドルスッス叔父様は、何かを言おうと口を開こうとしていた。けれど、あまりにもやつれたお母様の不憫なお姿と、ゲルマニクスお父様の亡き姿となった遺灰を見かけると、力の抜けた膝を床に落とし、静かに男泣きをされている。
「ゲルマニクス…。なぜ、お前が、俺よりも…先に、逝かねばならないんだ…?」
後ろで見守っていたクラウディウス叔父様は、顔を俯いたまま黙っている。
「答えて…くれよ。我が友、ゲルマニクス…よ。」
ドルスッス叔父様の悔しい想いは、その哀しみから溢れ出た涙で十分過ぎるほど。クラウディウス叔父様は険しい表情のまま、ドルスッス叔父様の右肩にそっと手を添える。
「お、お母さま。あれ、が…お父様のお姿?」
「そうよ、ユリア…。あの人が…。私の心から愛する、あの人が…。あんな、あんな…小さな骨壷の中…。」
お母様は再び泣かれてしまった。私は涙を滲ませながら、お父様の納められた骨壷を見つめた。それは、本当にとても小さかった。あの山の様に大きな大きな背中を持ったお父様が、あんなに小さな骨壷に納められているなんて…。
「お父様、ネロです。」
「ドルススですよ、お父様。」
お兄様達は、涙を溢れんばかりに流して悲しんでいる。でも、私は信じられない。涙が溢れてくるのは、ただ、余りにも、周りで悲しむ人々が多いから…。こうやって大人になった今、お父様の骨壷をアウグストゥス霊廟から取り出されたとしても信じられないだろう。私はこの目で、返事のしないお父様の亡骸を、しっかりと見ていなかったのだから。
「ネロ兄さん、もう、泣くのはもうやめなよ。長男だろう?」
「?!」
「お前、ガイウスか?」
「ああ、ドルスス兄さん。」
ネロお兄様とドルススお兄様は、泣きながらカリグラ兄さんへ抱擁を求めるが、カリグラ兄さんは何度もされていた様子なので、とても飽きているような様子だった。
「ネロ兄さんがこれからしっかりしなくてどうするんだ?」
「ガイウス…。」
「ドルスス兄さんも。いくら二番目の弟で家長の役割が無かったとしてもだよ、おいおいと男が涙なんか流すもんじゃねぇさ。」
「な、何だと?ガイウス…。」
だが、カリグラ兄さんは冷静にドルスス兄さんを交わし、私の方へ近付いてきた。
「おい!ユリア。お前だって長女だろう?いつまでも兄さん達に、末っ子気分で甘えてるなよ。」
「ガイウス…兄さん。」
「お前がそうやって甘えてるから、兄さん達が長男や次男としての自覚を持てなくなるんだぞ!お前、大母后リウィア様の所で、何を勉強していたんだよ?」
「…。」
カリグラ兄さんは、普段と変わり無い態度で、やたらと責任感を持ち出してきた。私だって違和感を感じているけど、お父様の死は、悲しくないと言ったら嘘になる。でも、カリグラ兄さんの言い方は、余りにも冷淡で、非情に感じられた。
「そ、そうね…。ガイウスの言う通りだわ。」
「お母様…?」
さっきまで泣き崩れていたお母様は、突然立ち上がって話し出した。
「ネロ、お母さんとクラウディウス様とドルスッス様は、大人としてとても大切な話があります。悪いんだけど、貴方は兄妹達を見ててちょうだい。」
「は…い。」
すると、お母様は床に膝を落としたドルスッス様を即し、クラウディウス叔父様と寝室へ行かれてしまった。それらを見ていたガイウス兄さんは、ニヤッと口元を緩ませ、不思議な言葉を吐いた。
「母さん、またあの話しかよ…。」
続く