第六章「亡父」第八十七話
馬車に揺られながら、アッピア街道の細長い松の孤高達を何度眺め、この港町までたどり着いたのだろうか?
タッラキナ。
ローマとネアポリス(現ナポリ)の間に位置する港町。今から約300年以上前、ローマ帝国はウォルスキ族からこの土地を奪い、植民地化であるコローニャにした。それ以前は、ウォルスキ族から彼らの言葉で、ローマ神話の主神ユーピテルという意味がある「アングザー」と呼ばれていた。
彼らが主神ユーピテルの名を付けるかのように、ラピス山脈延長の頂が海岸へ突き出すかのように、その先端が到達した時点にこの町は位置している。「沼地の平らな都市」という意味のリウィウスとも呼ばれ、普段はとても、のどかな小さな港を有する港町。
でも、今日は全く形相が違う。タッラキナ全体で火事でも起きてるかのように、至る所から黒煙が空を舞い、大きな大きな青空を陰鬱な暗闇で塗りつぶしている。
「兄さんの為に、みんなが弔いの黒煙をあげているのか?」
「ええ、クラウディウスさん。あの黒煙は、全てゲルマニクスの為でしょう。」
クラウディウス叔父様も、ドルスッス叔父様も、その巨大な黒煙の大きさには驚きを隠せない。まるでトロイア戦争に出てきた巨大なアポロ神像も凌駕するほどに。みんな、お父様の存在の大きさ、そして多くの人々に慕われていた偉大さに涙を流している。でも私には、全ての希望を飲み込んでしまう、魔物の様な不気味さに見えて恐ろしかった。
「どうした?ユリア。」
「…。」
「寒いのか?」
「ううん…。」
私は堪らずドルススお兄様に抱き付いた。あの魔物から自分の身を守るように。お父様を弔う煙だと頭では分かっているのに、心では不思議な違和感を感じている。
「さぁ、みんなもう少しでウィプサニアの所に着く。頑張ろう。」
「はい。」
馬車に揺られながら、タラッキナへ近付いていくほど、黒煙から発せられた異様な匂いが鼻を侵入してくる。すかさずパッラスは、私の為に小さい布で口を塞ぐよう渡してくれた。パッラスとフェリックスは元々孤児達なので、何を燃やしている匂いなのか、すぐに検討がついたらしい。
「ネロ、ドルスス。そろそろ町に着くから、そこにある黒い喪服のプラを、ユリアはその横にあるパルラをストラの上から羽織りなさい。」
クラウディウス叔父様に言われ、私達は長い黒羊毛からできた一枚布を、ヴェールの様に頭からすっぽり被る。肩あたりでゆったりとたるみを出して、胸元をしっかりと止める。私は上手く出来なくて、ドルススお兄様に何度も助けてもらった。
「よしっと。」
「うん、ユリア、いい感じだよ。」
「ありがとうございます、ドルススお兄様。」
クラウディウス叔父様は、喪服が黒いのはエジプト人の思想や信仰心からの影響だと教えてくれた。黒は冥府の亡者から自分の魂を奪われないように守る色。頭からすっぽり被るのは、口から魂を取られないようにする為。ようやく馬車が町の入り口に到着すると、そこは異様な雰囲気と、何かを掻き毟るような悲痛の叫び声に包まれていた。
「みんなどうしたんだろう?」
ネロお兄様が口元をヴェールで押さえながら、馬車から降りると、そこには上半身を裸にして嘆き悲しんでる、多くの人々の海原が広がっていた。誰もが共に同じ悲しみを分かち合うように。まるで誰かに惑わされているように、枯れる事のない涙を流していた。
「ドルスッス様?」
「ドルスッス様ですよ!」
「あああ!クラウディウス様もご一緒されている。」
「ローマからのお迎えが、ゲルマニクス様の魂が、やっとやっと遺された家族を引き合わせたのです!!ここタッラキナにゲルマニクスの家族がやっと到着したんです!」
「誰か?!ウィプサニア様へご連絡しろ!おい!そこの蛮族ども!道を開けろ!ゲルマニクス様の遺された子供達だ!」
私達の周りを取り囲んでいるのは、まるでこの世の終わりに絶望した亡者のような表情をした、タッラキナの住人達だった。
続く