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紺青のユリ  作者: Josh Surface
第六章「亡父」少女編 西暦19年 4歳
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第六章「亡父」第八十三話

シリア属州のアンティオキア。

お父様が亡くなられた州都。


三大繁栄都市といえば、イタリア半島のローマ、エジプトのアレキサンドリア、そしてシリア属州の州都であるアンティオキアと言われてる。平地に大きな市街地が広がり、オロンテス川は西側に流れ、シルピウス山は東側にそびえており、ローマの属州に編入されるまでは、難攻不落の都市を誇っていた。


クラウディウス叔父様が残した歴史書によると、お父様は敵に対しても非常に寛容的だった為に、オリエント地域でもその名を知らない人がいないほどだった。アンティオキアの広場で行われたお父様の火葬には多くの人が集まり、人種間の隔たりを越え、哀悼の意を込めて参列された。そして余りにも若すぎる突然の病死は、衝撃を持って多くの人へ多くの噂を抱え、伝わっていくことになった。


小さくなって骨壺に納められたお父様は、幼い三女のリウィッラを抱えたお母様、次女ドルシッラの手を引くお兄様のカリグラと共に、ローマへ無言の帰還される事になった。お母様は悲哀と病にやつれ果てていた。けれども、カリグラお兄様はその悠々たる姿を崩す事は一度もなかったらしく、涙を流す事のない気然とした態度が、私達家族を哀れむ多くの人々の心を揺さぶった。また、後にカリグラお兄様から聞いたことであったが、この時に、ゲルニクスお父様の遺された偉業や名声という名の遺産の大きさを、痛烈に感じたという。


お母様はいち早く首都ローマへ帰還される事を望んでいたが、初冬の海は波も激しく、何度も寄港が必要になり、翌年までかかる帰路であった。その為、寄港先でも、度々地元の人々がお母様達へ駆け寄り、お父様の突然の死を、溢れる涙を流しながら哀れんでくれた。幼かった次女のドルシッラだったが、行く先々で自分達家族を哀れんで、優しくしてくれた人々の好意だけは覚えていたらしく、幼いなりに笑顔を絶やさないように努力したらしい。この事が、後のドルシッラに大きな影響を与えてしまい、彼女が他人に対して笑顔で自分の心を閉ざすきっかけにもなってしまった。


さて、首都ローマのパラティヌス丘にある、祖母アントニア様のドムスの様子はどうだったかというと、アントニア様はここ一週間、ずっと何も口にされていなかった。25年前にも、当時29歳であったアントニア様の旦那様を若くして亡くされ、そして、今度は自慢の息子であるゲルニクスお父様を失ってしまったのだから。誰からも愛された我が子を失った母親として、その失望落胆は計り知れないものがあるのかもしれない。女として旦那に先立たれ、今度は母親として自分の子供に逝かれ、アントニア様はさすがに参ってしまっている。そのアントニア様を気遣い、毎日通いつめてくれたのが、ドルスッス叔父様とクラウディウス叔父様だった。


「火葬されてから、ゆっくりとウィプサニア達は遺灰を抱え、帰ってくるそうです。」

「そう…。」

「私はネロくんやドルススくん、そしてユリアちゃんを連れて、港町タッラキナまでウィプサニア達を迎えに行こうと思います。」

「そう…。」

「ご安心ください。私が全責任を持って、彼ら三人を無事に届けますので。」

「そう…。」


ドルスッス叔父様は放心状態になっているアントニア様を何度も抱き締めて、元気づけようと努力されていた。残念ながら、リウィッラ叔母様はかなりの陣痛が激しく、こちらには来れない様子で、高慢ちきのリヴィアが代わりに来てくれた。もちろん、ネロお兄様目当てだったのだろうけど。一方、クラウディウス叔父様は、御自分の立場を理解しているのか、何も手に付かないアントニア様の代わりに、淡々とあらゆる事務処理を行っていた。後に、クラウディウス叔父様と私が結婚した夜、御自分の最も尊敬する偉大な兄への思いを、叔父様は初めて涙を流しながら語ってくれたことがあった。


「ドルスッス様、せめてあの子と一緒にローマに戻っていただけますか?ゲルニクスは、あの子は…本当に、ドルスッス様とは仲が良かったのですから…。」

「ええ。ゲルニクスは私の一番大切な親友です、今でも…。」


アントニア様は、その優しいお言葉に再び涙を流されて悲しみに身を閉ざしてしまった。涙は欠けた心から湧き上がるように溢れてくる。でも、私はまだ、涙が出なかった。とっても寂しくて、不安で、悲しいはずなのに、未だにお父様が亡くなられた事が、まるっきり現実感を与えてくれない。


「アグリッピナ様、お食事が出来ましたが、いかがなさいます?」


解放奴隷のリッラとシッラは、一生懸命、私達の為に、健康に気を使った調理をしてくれるのだけれど、誰もが口にする事ができなかった。当然アントニア様は、食事の時でさえ、寝室から一歩も出なかった。ネロお兄様とドルススお兄様も、まるっきり食欲が失せていた。


「ありがとう。」


とは言いつつも、私の中でも食する心はまるっきりない。全身に力が入らず、動きたくなかった。できる事なら、私はずっと寝ていたかったけど、できるだけ毎日、お兄様達やアントニア様のお顔だけでも拝見できるように、幼いなりちょこまか動いてたつもり。


「?」


ペロがムクっと起き出し、聞く耳を立てて、スタタタタっと門の方へ歩き出す。私はその後に着いてった。新しい門番がかんぬきを抜いて開ける。


「アグリッピナ様、お忍びでアントニア様へ面会の偉い方がやってきました。」

「誰なの?」

「大母后リウィア様と、そのご子息ティベリウス皇帝陛下様です…。」

「え?!」


続く

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