第六章「亡父」第七十七話
《オッピドゥム・ウビオルム 初冬 ゲルマニクスのヴィッラ》
「全くなんて事をしたものだ!そんな約束をすれば、彼らがつけあがるに決まってるだろうに。」
「だが、私は彼らの言い分も分からなくもないです。一方的に強制や強要をされた者達が、その不平や不満を抱えたまま戦場に挑めば、お互いの足を引っ張りかねないと思うのです。」
今朝到着した元老院の使節団の団長プランクスは、ゲルマニクスが自発的に作成した偽文書の存在に頭を抱えていた。
「ティベリウス新皇帝にはこの事態を収集出来なかった時、お前は何と申すつもりなのだ?」
「言い訳など考えておりません。如何なる事があろうとも、自分の率いる軍団の不始末は、自分の手で片づけるだけです。」
「自らの財産を投げ打ってでも、彼らの意見を汲み取ってやりたいのか?」
「はい。」
「ローマ兵想いなのだな。」
こうなるとゲルマニクスが一歩も譲らぬ性格である事は、誰もが知っている事実。
「分かった…。私もお前の提案に助太刀をさせてくれ。この事の真相は内密にし、元老院の方々には根回しをしておく。」
「ありがとうございます、プランクス団長。」
「ただな…。お前はそれで良いのかもしれないが、いきり立った彼らが次に何をするか検討もつかない。せめて我々の妻やお前の妻や子供達だけでも、この場から避難させてはどうか?」
「…。」
だが、その進言に反論を示したのが、ゲルマニクスの妻であるウィプサニアであった。ゲルマニクスは目を閉じたまま何かを推敲している。
「冗談ではありません!どうしてローマ兵の反乱を恐れて、わざわざ私達が逃げなければいけないのです?それは子供達への教育の障害にもなり兼ねません!」
「ウィプサニア殿、逃げるのでは無く、身の安全を守るための避難ですぞ。」
「避難も逃避も変わりありません!」
「そうかもしれないが、現状は貴女が考えるほど甘い物ではないのだ。」
「…。」
「ゲルマニクス、やはり少なくともモゴンティアクムまで避難したほうがいい。」
「あなた!私は反対です。」
すると、ゲルマニクスは妙案を閃いたように、険しく目を見開いて立ち上がった。
「ガリア属州はどうだろうか?」
「あ、あなた!?」
「ガリア属州民のところだと?!」
「ええ、そうです。少なくとも、今の彼らよりは安全だ。」
ゲルマニクスの淡々と話す丁寧な言葉の奥深くに潜む冷酷さは、流石に感情的になっていたウィプサニアさえも閉口させてしまう。
「ゲルマニクス!何を言い出しているのか自分でも分かっているのか?!いくら味方が信頼に値しないからとは言っても、ガリア属州民は我々ローマ人からみれば、蛮族もいいところだ!それではまるで自分の家族を危険に晒し、かれらの人質になるようなものではないか?!」
「違います、プランクス団長。そんなつもりは毛頭ございません。ただ、ローマ兵の彼らは銀の皿を取った気でいるだけなのです。それが自分達が獲得した主導権だと言わんばかりに。やはりカッシウスの言う通り、銀の皿は洗って持ち主に返すのが筋でしょう。」
団長のプランクスは口を開いたまま、驚愕した表情を変えられずにいた。
「ゲルマニクス、お前は一体何を企んでいるのだ?」
「躾ですよ、躾。」
その瞳に宿した光は、明らかに猛虎を目覚めさせたゲルマニクスの決意を感じさせていた。
続く