第五章「パラティヌス生活」第六十六話
「ムフフ…。」
「ユリア?あごなんかさすって何やってるんだ?」
「ドルススお兄様、なぜ鳥は空を飛ぶのか知ってます?」
「はぁ?」
「ムフフ…私には分かるんです。それは…彼らが飛びたいからなんです!」
アトリウムに沈黙が訪れた。
「ユリア…。お前、頭大丈夫か?」
「え?」
「どうせ、"おかしなセネカ"の真似でもして、お兄ちゃんよりも頭イイと思わせようとしてるだけなんだろ?」
ギク。
何故にドルススお兄様は私の心を?うーむ…。
「困った奴だ。お前は昔から格好いい人とか偉い人とかと出会うと、直ぐに憧れて真似するんだから。」
「そ、そんなことないですもん!私は真剣にアトリウムをグルグル回って考えて。」
「グルグル回ってもお前の場合は目を回すだけだろ?大体、人の真似ばっかりしてると、自分の事が疎かになってしまうぞ。」
「むぎゅ…。」
ドルススお兄様の妙に説得力のある言葉は、後の晩年を予言しているようだった。頑なにご自分の主張を守ったばっかりに、ドルススお兄様は無残な死を迎えられてしまったのだから。
「あはは、なーんだ。ユリアは今度は役者ごっこか?」
「あ、ネロお兄様。違いますぅ!哲役者です!」
「ユリア、哲"学"者。」
「むぎゅ…。」
「あはは、どれどれ。ユリアの哲学を聞かせてくれないか?」
そういうと、ネロお兄様は優しく私に微笑みを掛けてくださった。ドルススお兄様は、ネロお兄様の人の良さに呆れ返ってる。私は得意げになって、あごに手を当ててウロチョロし出して、ネロお兄様に疑問を投げ掛けた。
「ムフフ…。ネロお兄様、何故に鳥は空を飛ぶのか知ってます?」
「うーむ。何でだろう?」
「さっきと同じじゃん。ユリアは、あごさすって、ムフフって言いたいだけなんじゃない?」
「もう!ドルススお兄様!」
「あはは、ドルスス。静かにしてやれ。」
「はい。」
「そうだなー。きっと翼があるからだよ。」
「翼?」
「ああ。僕らにとって足や手があるのが当たり前の様に、鳥にとっては翼がある事が当たり前。だから飛べるんだよ。」
気が付くと私とドルススお兄様は、ネロお兄様の話に夢中になっていた。一つ一つの言葉が魅力的で、一つ一つの仕草が美しく、そして全ての動作が端麗だった。
「やっぱりすごいな、ネロ兄さんは。鮮やかな演説だった。」
「本当に、ネロお兄様は素敵。」
「来年は僕も成人式を迎えるだろ?だから勉強だっていっぱいしておかないと。」
「それに比べてユリア、お前の哲役者ごっこはどうした?」
「あ!忘れてた。」
「そんなに哲学者になりたいんだったら、ヒゲ描いてやろうか?」
「もう、やめてください!」
「あはは~!冗談だよ。」
「むぎゅ!」
するとあの高慢チキが、いつもの様にネロお兄様を呼ぶ声が聞こえてくる。
「ネロ様ー!どちらにおられるのですかー?」
「まただ…。ネロお兄様、またぶりっ子リヴィアの野郎がやって来ましたよ。」
「ユリア、お前のリヴィアさんに対する口の悪さは何とかならないのか?」
「フン!だっていっつもネロお兄様をリヴィアは独り占めされてるんですもん。」
こちらに気が付いたリヴィアは、わざとしおらしく身体をクネクネさせながら、頬を赤らめ目に潤いを浮かべながらやって来た。ぶりっ子め!
「まぁー!ドルススくん、ユリアちゃん、こんにちは。」
「こんにちは、リヴィアさん。」
「…。」
「ユリア!」
ネロお兄様から初めて厳しく怒られ、悔しいから目を閉じて大げさに挨拶する事にした。
「こ~んにちわ~、リヴィアさ~ん。」
「オホホ、相変わらずユリアちゃんは面白い子で。」
後でめちゃくちゃ怒られた。
「所で、ネロ様!さっきお父様とお母様から連絡がありまして、二人の子供を身ごもったそうなんです!」
「ええ?!本当ですか?」
「しかも、誰かをローマへ亡命させるのに成功されて、イリリクムからローマへお戻りになられるんですって!」
ドルスッス叔父様とリウィッラ叔母様に二人の子供が!?シリアへ向かう時にお父様から教えられた方法実践したとドルスッス叔父様から聞かされたのは、四年後の亡くなる直前だった。
「早く見たい!」
「でしょう?ユリアちゃん。」
ゲルマニクスお父様とドルスッス叔父様の両家族には、これから幸せな時間がきっと訪れるのだろうと、この時は誰も彼もが信じて疑わなかった。けれど、この直後、私は家族の絆を切り裂くような見てはいけないものを見てしまい、そしてそれが、両家族にとって不幸の始まりを告げる啓示になるのである。
続く