第四章「大母后と祖母」第五十一話
「うん?どうやらドミティウス様が着いたみたいだな。」
外の方では馬車の忙しない音が聞こえるが、パッラスはあんまり浮かない顔をしている。
「ねぇねぇ、兄さん。今って馬車通っていいの?」
「いいや。市内には日昇時から日没時まで馬車の乗り入れは禁止されているはずだ。」
「つまり…日中は馬車で市内を通っちゃいけないんだよね?」
「ああ…。それなのに、うん?この音は、まさか、二輪馬車?」
震えたナルキッススが、パッラス達の会話を聞いて止めに入った。
「おい、パッラスとか。お前、ドミティウス様に余計な事を抜かすなよ。お前らの命なんて、ドミティウス様からしたらハエの命にもなりやしないんだからな。」
「…。」
クラウディウス叔父様も、あんまり良い顔をされていない。しかし家族や親戚の付き合いは怠ってはならない。アエノバルブス家のルキウス・ドミティウスは、祖母であるアントニア様のお姉様の旦那様なのだから。
「よ~!クラウディウス。待たせたな!いっへっへっへ。今日も野獣どもが人肉を食い荒らしてたわ~。」
まるで樽のような腹に、垂れ下がったアゴ、そして似つかわしくない外衣のトーガ。この品の無い人物が服に負けてしまってる。勿体無い。
「わざわざのご足労、ありがとうございます、ドミティウス様。」
「いっへっへっへ。イイって事さ、うちの家内は今日も忙しいらしくな。それよりもクラウディウス。急遽で悪いのだが、5千セステルティウスほど貸してくれないか?」
5千セステルティウスといえば、ローマ市内で暮らす家族4人、奴隷2人の年間食費。ドミティウスって人は相当な浪費家だった。
「これはまた、急な話ですな。」
「明日は奴隷どもの剣闘士と猛獣ショーを闇開催するんだが、ちと友人と賭けをする事になってな。その掛け金が足りないという訳だ。」
「なるほど。ナルキッスス例の物を。」
叔父様はしっかり者だった。既にドミティウスがやってくる時点で、返済無期限の融資させられる事を分かってらっしゃった。
「残念ながら、今のところ用意だてできるのは4千500になりますが、いかがでしょうか?」
「何?足りんのか。何とかならんか?」
「残念ながら…。」
ナルキッススは必死にこちらに向かって顔を隠すように怯えていた。
「うん?お前?うちで飼っていた、あのウスノロか?」
ビクついた。
そして、蒼ざめた顔を上げてドミティウスの方へ向くと、コックリ頷いた。
「何だ、まだ生きていたのか。そうだ!クラウディウス。足りない分は、こいつをもらっていくのはどうだ?」
「と、申しますと?」
「このウスノロの奴隷なら、猛獣ショーでは楽しめそうだ。」
しかしクラウディウス叔父様は険しい眼差しでドミティウスに向かって、足を引きずりながら歩いていった。
「ドミティウス様、ナルキッススは私が手塩にかけて育てている奴隷です。彼がいなければ、私は何一つできません。どうか、このクラウディウスからこれ以上手足を奪わないでいただけませんか?」
その気迫は、普段穏やかな叔父様の雰囲気を一気に吹き飛ばす物だった。さすがにドミティウスも観念したようで諦めたご様子。
「仕方ないな…。しかし金が足りんと、話にならんからな。」
そして辺りを物色し始めると、今度はパッラスとフェリックスの二人に標的がいった。
「なんだ、ここにもあまり物が2つもあるじゃないか!」
私の存在など無視されている。
そして余りにも暴力的なドミティウスの発言に、みんなが圧倒されていた。
「一匹のウスノロより、二匹のすばしっこいネズミの方が愉しめるな。」
「ドミティウス様、そちらの奴隷達はうちの母上の所有するものです。」
「つまり!俺の家内の妹のもんだろ?お前の手足ではない訳だぁな?!え?クラウディウスよ!」
「…!?」
「あの家内の妹のアントニアには、俺から言っておけば良いはずだろぉが?!」
この時のドミティウスは、恐ろしい形相を見せていた。さっきの叔父様が牽制した態度に、実はプライドの高いドミティウスは既に憤慨していたのだ。一度は引き下がったのは、圧倒的な態度と金の為だった。
「安心しろ、ネズミども。たっぷりオリーブオイルを塗りたくって、ライオンに放り投げてやるからな、いっへっへっへ。」
続く
【ユリウス家】
<ユリア・アグリッピナ(15年-59年)>
主人公。後の暴君皇帝ネロの母。
<ゲルマニクス(紀元前15年-19年)年の差+30歳年上>
アグリッピナの父
<ウィプサニア(紀元前14年-33年)年の差+29歳年上>
アグリッピナの母
<長男ネロ(6年-31年)年の差+9歳年上>
アグリッピナから見て、一番上の兄
<次男ドルスス(7年-33年)年の差+8歳年上>
アグリッピナから見て、二番目の兄
<三男ガイウス=カリグラ(12年-41年)年の差+3歳年上>
アグリッピナから見て、三番目の兄
<次女ドルシッラ(16年-38年)年の差-1歳年下>
アグリッピナから見て、一番目の妹
<三女リウィッラ(18年-42年)年の差-3歳年下>
アグリッピナから見て、二番目の妹
【アントニウス家系 父方】
<アントニア(紀元前36年-37年)年の差+51歳年上>
アグリッピナから見て、父方の祖母
<リウィッラ・ユリア(紀元前13年-31年)年の差+28歳年上>
アグリッピナから見て、父方の叔母
<クラウディウス(紀元前10年-54年)年の差+25歳年上>
アグリッピナから見て、父方の叔父
【アントニウス家系の解放奴隷、使用人および奴隷】
<ナルキッスス(1年-54年)年の差+14歳年上>
父方の祖母アントニア及びクラウディウスの解放奴隷
<パッラス(1年-63年)年の差+14歳年上>
父方の祖母アントニア及びクラウディウスの解放奴隷
<フェリックス(12年-62年)年の差+3歳年上>
父方の祖母アントニア及びクラウディウスの解放奴隷
<アクィリア(17年-19年)年の差-2歳年下>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<シッラ(紀元前15年-60年)年の差+30歳年上>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<リッラ(紀元前15年-59年)年の差+30歳年上>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<クッルス(紀元前15年-59年)年の差+30歳年上>
父ゲルマニクスの親友
<セリウス(紀元前15年-60年)年の差+30歳年上>
父ゲルマニクスの親友
<セルテス(紀元前12年-63年)年の差+27歳年上>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<ぺロ(17年-30年)年の差-2歳年下>
父方の祖母アントニアの飼い犬
【クラウディウス氏族】
<リウィア大母后(紀元前58年-29年)年の差+73歳年上>
アグリッピナから見て、父方祖父の母親。初代皇帝アウグストゥスの後妻
<ティベリウス皇帝(紀元前42年-37年)年の差+57歳年上>
アグリッピナから見て、父方祖父の兄弟。初代皇帝アウグストゥスの養子、リウィア大母后の長男
<ドルスッス(紀元前14年-23年)年の差+29歳年上>
アグリッピナから見て、父方祖父の兄弟の息子。二代目皇帝ティベリウスの長男
<リヴィア(5-43年)年の差+10歳年上>
アグリッピナから見て、父ゲルマニクスの妹の娘。ドルスッスの長女
【ティベリウス皇帝 関係】
<セイヤヌス(紀元前20年–31年)年の差+35歳年上>
二代目皇帝ティベリウスの右腕。親衛隊長官
<ピソ(紀元前44年-20年)年の差+59歳年上>
二代目皇帝ティベリウスの親友。シリア属州の総督。
【後のアグリッピナに関わる人物】
<ウェスタ神官長オキア(紀元前68年-29年)年の差+83歳年上>
ウェスタの巫女の長
<セネカ(紀元前1年-65年)年の差+16歳年上>
アグリッピナの盟友
<ブッルス(1年 - 62年)年の差+15歳年上>
アグリッピナの悪友
<アニケトゥス(1年 - 69年)年の差+15歳年上>
後のアグリッピナ刺殺犯