第四章「大母后と祖母」第四十八話
「おねーたん、おねーたん。桃は?桃は?」
「こら、アクィリア。身分をわきまえなさい。それに、アグリッピナ様だろ?」
「…ごめんなさい、おにーたん。」
「いいよ、そのままで平気だから、フェリックス。」
「すみません、アグリッピナ様。」
「アクィリアには身分なんて分からないでしょうし、それにアクィリアは桃が、大好物なんだもんね~!」
「うん!桃~!」
私はアントニア様の真似をして、アクィリアをコチョコチョの刑にした。彼女もキャッキャ笑って喜んでる。お腹へのブブーは、私と一緒で笑いが止まらなくなるほど。
「アグリッピナ様、どうして僕らを助けてくださったのですか?」
「うん、フェリックス。やっぱり独りだと寂しかったからかな。」
「アグリッピナ様も寂しいのですか?」
「そうだね…。」
フェリックスは将来から考えられないほど、この頃は何でも興味を持ってた純粋な男の子だった。それに比べ、兄のパッラスは…全く。将来には考えられないほど、この頃は奴隷のくせに反抗的で、あるきっかけがなければ、ずっと私とは犬猿の仲だったかもしれない。
「こら、フェリックス。俺達は奴隷なのだから、むやみにアグリッピナ様に話しかけるな。」
「はい、兄さん。」
「いいじゃない、パッラス。私が話したいのだから。」
「いえいえ、そういう訳には。私達には仕事があるのですから。」
「ちょっと!それじゃまるで、私が仕事中の奴隷に話しかけるなって言われてるみたいじゃない!」
「そんな事は一切言っておりません、アグリッピナ様。思い過ごしでございます。」
年が上だからって…。
すると必ずクッルスからパッラスへゲンコツが落ちる。
「痛っ~!」
「おい!お前はアグリッピナ様に対し、何という反抗的で無礼な態度をしているんだ!」
「す、すみません、クッルスさん。」
「いくらアグリッピナ様が年下でも、お前の主人である事には変わりないのだから、お前こそ身分をわきまえるべきだ!」
「はい…。」
「べ~っだ!」
多分、パッラスとの兄妹喧嘩のようなやり取りは、寂しさを紛らわす意味でもそれはそれで重要だったかもしれない。彼ら三人が奴隷として来てからアントニア様のドムスも賑やかになり、とっても愉しくなっていった。 私は大母后リウィア様のスパルタ教室へ行くときも彼ら三人を引き連れ、寄り道は決まってクッルスとセリウスのインスラ。
「それにしても、あんた…いや、アグリッピナ様はここのインスラが大好きだな?」
「そうね、最初は野蛮で汚くてくっさい所って思ったけれど、あんたに桃を取られてから、だんだんと好きになってきちゃった。」
「嘘だろ?意外にあんたは大人に気を遣うから、サリウスさんやクッルスさんの息抜きの為にも、わざわざここに来てるんだろ?あんた大人の平民に気を遣うなって。」
何なの?
この生意気な言い方は。
「あんたは奴隷なら、主人である私にその言葉の使い方に気を遣ったら?」
「ハイハイ。でもな、俺だってギリシャのアルカディアの時にはなぁ。」
「農奴を持ってたって言うんでしょ?あんたって、いつもワンパターンなの。」
「ケッ!これだからローマの女は嫌いだ!」
「ふん!」
パッラスとはいつも平行線だったが、この日を境にパッラスは私のことを認める事になる。そう、それは私がお兄様達よりも最も得意としていたものだった。
「どうせ、お姫様のあんたは、高い所とか自分独りで登った事無いんだろう?」
「あら?奴隷は木登りが得意で、私達皇族は木登りが下手でも?」
「ああ、やれるもんならやってみなって。そこの木があるから、そこからインスラのポルティコに登ってみろよ。」
私はポルティコまでの距離を確かめて、タヴェルナの壁に積み上げられた無数の混酒器であるクラーテールを足場に、これならいけると確信してソックルを脱いでパッラスに渡した。
「お、おい!まさか木を使わずに登るのかよ?」
「大丈夫、私にはお母様からいただいたお守りのブルラがあるから。」
ストラも脱いで綺麗にたたんで、チュニカの裾を腰まで捲り、腰紐でギュッと縛って、跳ねるようにポーンポーンっとポルティコまで軽々と登った。
「すげー…。」
「結構気持ち良いのね。ねぇねぇ、パッラス!何ならこの木のてっぺんまで登って見せようか?」
「ええ?!」
私はパッラスが答える間も無く、生来の木登り好きの血が騒ぎ、気が付くと、リウィア様の所で身体を鍛えられて腕力もそれなりについていたらしく、ひょいひょいっとてっぺんまで登っていった。高さは大体インスラの二階程度。
「どう?パッラス、これでもまだ文句ある?」
「俺が悪かったです!アグリッピナ様!危ないから、早く降りて来てください!」
「べ~っだ!あんたも登ってきなさいよ、パッラス!」
「こんなところ、サリウスやクッルスの旦那に見つかっちまったら、また雷が…。」
「サリウスーーー!クッルスーーー!助けてーーー!パッラスが私をいじめるの!」
「あ、きたねぇ!」
どうやら昔っから、高い所に登ると私はお転婆になってしまうらしい。案の定、勘違いしたサリウスとクッルスの2人にパッラスはこっぴどく怒られていた。
続く
【ユリウス家】
<ユリア・アグリッピナ(15年-59年)>
主人公。後の暴君皇帝ネロの母。
<ゲルマニクス(紀元前15年-19年)年の差+30歳年上>
アグリッピナの父
<ウィプサニア(紀元前14年-33年)年の差+29歳年上>
アグリッピナの母
<長男ネロ(6年-31年)年の差+9歳年上>
アグリッピナから見て、一番上の兄
<次男ドルスス(7年-33年)年の差+8歳年上>
アグリッピナから見て、二番目の兄
<三男ガイウス=カリグラ(12年-41年)年の差+3歳年上>
アグリッピナから見て、三番目の兄
<次女ドルシッラ(16年-38年)年の差-1歳年下>
アグリッピナから見て、一番目の妹
<三女リウィッラ(18年-42年)年の差-3歳年下>
アグリッピナから見て、二番目の妹
【アントニウス家系 父方】
<アントニア(紀元前36年-37年)年の差+51歳年上>
アグリッピナから見て、父方の祖母
<リウィッラ・ユリア(紀元前13年-31年)年の差+28歳年上>
アグリッピナから見て、父方の叔母
<クラウディウス(紀元前10年-54年)年の差+25歳年上>
アグリッピナから見て、父方の叔父
【アントニウス家系の解放奴隷、使用人および奴隷】
<ナルキッスス(1年-54年)年の差+14歳年上>
父方の祖母アントニア及びクラウディウスの解放奴隷
<パッラス(1年-63年)年の差+14歳年上>
父方の祖母アントニア及びクラウディウスの解放奴隷
<フェリックス(12年-62年)年の差+3歳年上>
父方の祖母アントニア及びクラウディウスの解放奴隷
<アクィリア(17年-19年)年の差-2歳年下>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<シッラ(紀元前15年-60年)年の差+30歳年上>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<リッラ(紀元前15年-59年)年の差+30歳年上>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<クッルス(紀元前15年-59年)年の差+30歳年上>
父ゲルマニクスの親友
<セリウス(紀元前15年-60年)年の差+30歳年上>
父ゲルマニクスの親友
<セルテス(紀元前12年-63年)年の差+27歳年上>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<ぺロ(17年-30年)年の差-2歳年下>
父方の祖母アントニアの飼い犬
【クラウディウス氏族】
<リウィア大母后(紀元前58年-29年)年の差+73歳年上>
アグリッピナから見て、父方祖父の母親。初代皇帝アウグストゥスの後妻
<ティベリウス皇帝(紀元前42年-37年)年の差+57歳年上>
アグリッピナから見て、父方祖父の兄弟。初代皇帝アウグストゥスの養子、リウィア大母后の長男
<ドルスッス(紀元前14年-23年)年の差+29歳年上>
アグリッピナから見て、父方祖父の兄弟の息子。二代目皇帝ティベリウスの長男
<リヴィア(5-43年)年の差+10歳年上>
アグリッピナから見て、父ゲルマニクスの妹の娘。ドルスッスの長女
【ティベリウス皇帝 関係】
<セイヤヌス(紀元前20年–31年)年の差+35歳年上>
二代目皇帝ティベリウスの右腕。親衛隊長官
<ピソ(紀元前44年-20年)年の差+59歳年上>
二代目皇帝ティベリウスの親友。シリア属州の総督。
【後のアグリッピナに関わる人物】
<ウェスタ神官長オキア(紀元前68年-29年)年の差+83歳年上>
ウェスタの巫女の長
<セネカ(紀元前1年-65年)年の差+16歳年上>
アグリッピナの盟友
<ブッルス(1年 - 62年)年の差+15歳年上>
アグリッピナの悪友
<アニケトゥス(1年 - 69年)年の差+15歳年上>
後のアグリッピナ刺殺犯