第四章「大母后と祖母」第四十七話
「結局、奴隷として働くのだろう?」
「ええ、当たり前じゃない。」
「嫌だと断っても選択肢は無いんだろう?」
「いいえ、あるわよ。奴隷が嫌だと言うなら好きになさい。ただし、今度捕まった時はただでは済まされないでしょう。ねぇ?サリウス、クッルス?」
「はい。」
「それは当然だ。」
アントニア様は微笑みながら、パッラスの反抗的な態度を交わした。もちろん、サリウスもクッルスも短刀に手をつけている。
「そこのおチビちゃんも毎日お腹を空かしているようだし、あんたの名誉に重きを考えるよりも、どんな形であれ、三人一緒に生きていられるほうが、今よりもまだ幸せじゃないかしら?」
パッラスはアクィリアという妹を優しく眺めると、みすぼらしい衣服を纏いながら兄を慕う彼女の姿があった。彼は二度頷き、ようやく狂犬としての牙を抜いた。
「分かりました、アントニア様。」
「宜しい…。」
アントニア様は、私に微笑んでウィンクをしてくれた。そして再び書物を確認しながら
「セルテス、シッラ、リッラ。彼らになすべき事を一から叩き込みなさい。」
三人はアントニア様の命に従って、彼らを奴隷の住む寝室へ連れて行く。サリウスもクッルスも、念のために彼らの後に着いていく。その様子を眺めているアントニア様は、書物を片手に満足そうな顔を見せていた。
「アントニア様。身勝手な行動、お許しください。」
「いいのよ、アグリッピナ。それにしても今日は良くできました。」
「?」
「さすが!あの女狐に毎日教育されてるだけあるわ。大母后リウィア様のスパルタ教育も伊達ではなさそうね。双方をたてる寛容の精神、見応えたっぷりだったから。でもアグリッピナは、本当は、あのおチビちゃんを助けたかったのでしょう?」
「それは…その。」
「いいのよ。それでも感情的にならず、理論的に解決策に導けたのだから合格点よ。」
「はい!ありがとうございます。」
アントニア様は、私の言い方が大母后様にそっくりと仰っていただいたけど、これはゲルマニクスお父様の事を思い出し、しいてはアントニア様の人道主義の精神があったから。
「ほら、おチビちゃんに挨拶してらっしゃい。お話したいんでしょ?」
「はい!」
アントニア様は本当に本当に何でも見抜いていた。幼い私の寂しい心を、まるで水のせせらぎで流すように。
「いいかい?アクィリア、フェリックス。これから僕達三人は、ここの主人であるアントニア様の元で暮らす事になるんだ。今までの様にワガママは言えないけど、一生懸命にアントニア様へ尽くす事だけを考えて、常にアントニア様へ感謝の想いを忘れずにいよう。」
「はい、お兄様。」
「あい!おにーたん。」
三人の慎ましく平和的な姿を眺めていると、私も家族と離れて独りで過ごしている今の現状に、ちょっぴり寂しさが募ってきた。それに気が付いたサリウスは、みんなに私の存在を知らしめるため、自ら先導を切って語り始める。
「パッラス。今日のお前の命はもちろんアントニア様の意思もあるだろうが、その立役者は、このアグリッピナ様である事を、深く心に刻まなければなるまい。」
「…。」
「アグリッピナ様の寛容の精神は、お前だけでなく、残り二人の兄妹も救ったのだから。先ずは、礼を言うべき相手は、"アウグスタの桃"をお前達に"与えた"このお方からじゃないか?」
パッラスは私を見るに、目つきは厳しく表情は険しかったが、サリウスの言葉に従った。
「はい…。アグリッピナ様、本当に心から感謝しております。」
「アグリッピナ様、ありがとうございました。」
しかしアクィリアは何も言わず、ジッと私を怖がって見つめている。そんな彼女に対して、私は今まで自分の為にしゃがんで同じ目線で接してくれた大人達のように、彼女の目線に合わせてしゃがんで、アクィリアに微笑みを浮かべながら声をかけてみる。
「アクィリア、これからよろしくね。」
すると彼女はとっても輝くような笑顔を浮かべて、私に可愛く頷いてくれた。これが幼くしてこの世を去った、とっても愛らしい奴隷アクィリアの笑顔との出会いだった…。
続く
【ユリウス家】
<ユリア・アグリッピナ(15年-59年)>
主人公。後の暴君皇帝ネロの母。
<ゲルマニクス(紀元前15年-19年)年の差+30歳年上>
アグリッピナの父
<ウィプサニア(紀元前14年-33年)年の差+29歳年上>
アグリッピナの母
<長男ネロ(6年-31年)年の差+9歳年上>
アグリッピナから見て、一番上の兄
<次男ドルスス(7年-33年)年の差+8歳年上>
アグリッピナから見て、二番目の兄
<三男ガイウス=カリグラ(12年-41年)年の差+3歳年上>
アグリッピナから見て、三番目の兄
<次女ドルシッラ(16年-38年)年の差-1歳年下>
アグリッピナから見て、一番目の妹
<三女リウィッラ(18年-42年)年の差-3歳年下>
アグリッピナから見て、二番目の妹
【アントニウス家系 父方】
<アントニア(紀元前36年-37年)年の差+51歳年上>
アグリッピナから見て、父方の祖母
<リウィッラ・ユリア(紀元前13年-31年)年の差+28歳年上>
アグリッピナから見て、父方の叔母
<クラウディウス(紀元前10年-54年)年の差+25歳年上>
アグリッピナから見て、父方の叔父
【アントニウス家系の解放奴隷、使用人および奴隷】
<ナルキッスス(1年-54年)年の差+14歳年上>
父方の祖母アントニア及びクラウディウスの解放奴隷
<パッラス(1年-63年)年の差+14歳年上>
父方の祖母アントニア及びクラウディウスの解放奴隷
<フェリックス(12年-62年)年の差+3歳年上>
父方の祖母アントニア及びクラウディウスの解放奴隷
<アクィリア(17年-19年)年の差-2歳年下>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<シッラ(紀元前15年-60年)年の差+30歳年上>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<リッラ(紀元前15年-59年)年の差+30歳年上>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<クッルス(紀元前15年-59年)年の差+30歳年上>
父ゲルマニクスの親友
<セリウス(紀元前15年-60年)年の差+30歳年上>
父ゲルマニクスの親友
<セルテス(紀元前12年-63年)年の差+27歳年上>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<ぺロ(17年-30年)年の差-2歳年下>
父方の祖母アントニアの飼い犬
【クラウディウス氏族】
<リウィア大母后(紀元前58年-29年)年の差+73歳年上>
アグリッピナから見て、父方祖父の母親。初代皇帝アウグストゥスの後妻
<ティベリウス皇帝(紀元前42年-37年)年の差+57歳年上>
アグリッピナから見て、父方祖父の兄弟。初代皇帝アウグストゥスの養子、リウィア大母后の長男
<ドルスッス(紀元前14年-23年)年の差+29歳年上>
アグリッピナから見て、父方祖父の兄弟の息子。二代目皇帝ティベリウスの長男
<リヴィア(5-43年)年の差+10歳年上>
アグリッピナから見て、父ゲルマニクスの妹の娘。ドルスッスの長女
【ティベリウス皇帝 関係】
<セイヤヌス(紀元前20年–31年)年の差+35歳年上>
二代目皇帝ティベリウスの右腕。親衛隊長官
<ピソ(紀元前44年-20年)年の差+59歳年上>
二代目皇帝ティベリウスの親友。シリア属州の総督。
【後のアグリッピナに関わる人物】
<ウェスタ神官長オキア(紀元前68年-29年)年の差+83歳年上>
ウェスタの巫女の長
<セネカ(紀元前1年-65年)年の差+16歳年上>
アグリッピナの盟友
<ブッルス(1年 - 62年)年の差+15歳年上>
アグリッピナの悪友
<アニケトゥス(1年 - 69年)年の差+15歳年上>
後のアグリッピナ刺殺犯