第四章「大母后と祖母」第四十五話
「アントニア様!こんな蛮族を信じてはいけません!こいつらの様なローマの面汚しには、見せしめが必要なんです!絶対にこいつは逃げます!」
「恐れながら、セルテスの言う通りでございますアントニア様。本当に覚悟があるなら、今、腕を切るのとて同じ事!」
「黙りなさい!セルテス、サリウス!」
アントニア様は本当に険しい表情を見せた。
「皇族の血を引く私の名誉を穢すつもりですか?」
「いいえ!!そんなつもりはございません。」
「いいですか?!我がドムスの物では飽き足らず、ユリアが大母后リウィア様から頂いた"アウグスタの桃"までも、この者は我が一族を見下す様に奪ったのです。この者がアルカディア王族の末裔ならば、その覚悟はあるはず。それに私は、何もまんまとこの者を一人で逃すつもりは毛頭ありません。」
すると、アントニア様はクッルスに目で合図を送った。
「クッルス。貴方が、この者と一緒について行き、この者の兄妹達をここへ連れてきなさい。」
「あっしがですか?」
「ええ。彼らも王族の末裔ならば、兄の名誉ある生き様を見る事に戸惑いも躊躇も無いはずです。」
「分かりました。」
「いいですか?その代わり、決してその者や兄妹達に危害を加えてはなりません。分かりましたね?」
「分かりました。」
青年は下に俯いたまま困っている。
「それとも、やはりお前の語った事は嘘であったのか?パッラス。」
「違う!本当だ!」
「宜しい。それならば私のドムス内で起きた事は、いかなる人間であろうとも私の指示に従ってもらいましょう。以上!」
すると、パッラスは観念した様子で両肩をおろす。サリウスとクッルスはパッラスを縄で縛り始め、セルテスはアントニア様のお厳しい対応に恐れをなしていた。
「私は調べ物がありますので、決して寝室には入らないように。シッラとリッラは、ユリアと一階の寝室で一緒に待ってなさい。」
そう言うとアントニア様は駆け足で階段を昇り、自分の寝室へ閉じこもってしまった。私は心の何処かで、アントニア様がこの青年を許すのだろうと期待していた。けれども、現実には過酷な罰則を与えるのみ。
「さあ、アグリッピナ様…。」
「あー、私達と一緒に。」
私は連れて行かれてるパッラスのうなだれた背中を、哀れみの思いで見ていた。だが、どこかで彼の目の輝きは消えてないようにも思えた。
「あー、それにしても、あの新しいフライパンは台無しになったね。」
「アハハ…。とっさに物音がしたときに掴んだのが、あのフライパンだったの。」
「あー、しかしさすがサリウス様だわ。あの蛮族の盗っ人がどのように入ってくるのか、ちゃんと予想していたのですから。」
「アハハ…。本当だ!」
「あー、でもクッルス様は、あんたの飛ばしたフライパンは予想出来なかったみたいね?」
「アッハハハハ!確かに!」
リッラとシッラはユーモアでなんとか重苦しい空気を和ませてくれるが、私はアントニア様の対応やパッラスの妹の事など考えると、なぜか気持ちが沈む一方だった。そんな私にペロはヒョコヒョコついてきて、クーンと鳴いている。
"おにーたん、おにーたん。クルクル馬車やって。"
"ああイイよ、アクィリア。"
昼間に見た妹想いのパッラス。さっきとは別人の様に優しく、頼りにされているんだと。でもアントニア様は非情にも、その二人の目の前で…。想像しただけでもドルシッラと同じくらいの、あの女の子が泣き叫ぶのが目に浮かぶ。
「アグリッピナ様…?」
「あー、どうされました?」
「ううん、何でもない…。」
これが生まれ持った階級の運命なのかと思うと、私はいたたまれない気持ちでいっぱいになる。けれどもアントニア様の言う事は絶対。一族を愚弄する事は許されない事なのだ。罪は罰をもって制される。これはどこの国でも一緒なのかもしれない。
「ペロ…。」
ペロはしゃがんで、私の足元に頭を重ねて一緒にいてくれた。さすがのシッラやリッラも、私の気持ちが沈んでいる事にそっと距離を置いてくれた。しばらくの時間が経つと、ペロは外の方へ顔を向けて唸りだし、一目散で門の方へ行って吠え出した。シッラもリッラもその後をついていく。
「さぁ着いたぞ。」
「パッラス兄さん?ここはどこ?」
「おにーたん、おにーたん。どこ?」
「アクィリア…、イイから入りなさい。」
どうやらパッラスは自分の弟と妹を、クッルスと共に連れてきたみたい。私はこれから起きる事を考えると、恐くて恐くて一階の寝室から表へ出れなかった。
続く
【ユリウス家】
<ユリア・アグリッピナ(15年-59年)>
主人公。後の暴君皇帝ネロの母。
<ゲルマニクス(紀元前15年-19年)年の差+30歳年上>
アグリッピナの父
<ウィプサニア(紀元前14年-33年)年の差+29歳年上>
アグリッピナの母
<長男ネロ(6年-31年)年の差+9歳年上>
アグリッピナから見て、一番上の兄
<次男ドルスス(7年-33年)年の差+8歳年上>
アグリッピナから見て、二番目の兄
<三男ガイウス=カリグラ(12年-41年)年の差+3歳年上>
アグリッピナから見て、三番目の兄
<次女ドルシッラ(16年-38年)年の差-1歳年下>
アグリッピナから見て、一番目の妹
<三女リウィッラ(18年-42年)年の差-3歳年下>
アグリッピナから見て、二番目の妹
【アントニウス家系 父方】
<アントニア(紀元前36年-37年)年の差+51歳年上>
アグリッピナから見て、父方の祖母
<リウィッラ・ユリア(紀元前13年-31年)年の差+28歳年上>
アグリッピナから見て、父方の叔母
<クラウディウス(紀元前10年-54年)年の差+25歳年上>
アグリッピナから見て、父方の叔父
【アントニウス家系の解放奴隷、使用人および奴隷】
<ナルキッスス(1年-54年)年の差+14歳年上>
父方の祖母アントニア及びクラウディウスの解放奴隷
<パッラス(1年-63年)年の差+14歳年上>
父方の祖母アントニア及びクラウディウスの解放奴隷
<フェリックス(12年-62年)年の差+3歳年上>
父方の祖母アントニア及びクラウディウスの解放奴隷
<アクィリア(17年-19年)年の差-2歳年下>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<シッラ(紀元前15年-60年)年の差+30歳年上>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<リッラ(紀元前15年-59年)年の差+30歳年上>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<クッルス(紀元前15年-59年)年の差+30歳年上>
父ゲルマニクスの親友
<セリウス(紀元前15年-60年)年の差+30歳年上>
父ゲルマニクスの親友
<セルテス(紀元前12年-63年)年の差+27歳年上>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<ぺロ(17年-30年)年の差-2歳年下>
父方の祖母アントニアの飼い犬
【クラウディウス氏族】
<リウィア大母后(紀元前58年-29年)年の差+73歳年上>
アグリッピナから見て、父方祖父の母親。初代皇帝アウグストゥスの後妻
<ティベリウス皇帝(紀元前42年-37年)年の差+57歳年上>
アグリッピナから見て、父方祖父の兄弟。初代皇帝アウグストゥスの養子、リウィア大母后の長男
<ドルスッス(紀元前14年-23年)年の差+29歳年上>
アグリッピナから見て、父方祖父の兄弟の息子。二代目皇帝ティベリウスの長男
<リヴィア(5-43年)年の差+10歳年上>
アグリッピナから見て、父ゲルマニクスの妹の娘。ドルスッスの長女
【ティベリウス皇帝 関係】
<セイヤヌス(紀元前20年–31年)年の差+35歳年上>
二代目皇帝ティベリウスの右腕。親衛隊長官
<ピソ(紀元前44年-20年)年の差+59歳年上>
二代目皇帝ティベリウスの親友。シリア属州の総督。
【後のアグリッピナに関わる人物】
<ウェスタ神官長オキア(紀元前68年-29年)年の差+83歳年上>
ウェスタの巫女の長
<セネカ(紀元前1年-65年)年の差+16歳年上>
アグリッピナの盟友
<ブッルス(1年 - 62年)年の差+15歳年上>
アグリッピナの悪友
<アニケトゥス(1年 - 69年)年の差+15歳年上>
後のアグリッピナ刺殺犯