第一章「私」第四話
家族揃っての夕食。
お父様はそんな時でも、奴隷や召使いに何かをさせる事を禁じている。
「よいか?我が子供達よ。自分達のものは必ず自分達で用意し、自分達で片付けるのだ。ローマのルールはローマだけだ。戦場に出て多くの国を見てきた父さんは、全く違う考え方を持っている。召使いや奴隷達は確かに顔や骨格や言葉が違うとしても、肉を切れば同じ赤い血を流し、同じ白い骨が見える。」
お母様は妹のドルシッラを抱きながら、私達子供の前では、出来るだけ平和の心で接したがっていた。
「貴方何も今言わなくとも…。」
しかしお父様は軍人だ。
それも多くのローマ兵から慕われる現実主義の人格者だ。
「いいや、食事の時だからこそ言わなければいけない。そして、我々が口にする動物達の肉も同じだ。同じ血を流し、同じ白い骨を持っている。だが、明日は我が身だ。いつ我々が奴隷となり、食用とされるか分からない。だからこそ、自分達でできる事は自分達で行うのだ。分かったな?」
「はい!」
「だがな、子供達よ。自分達で行う理由には、もう一つある。」
「何でしょうか?お父様。」
兄弟の中で、長男であるネロお兄様だけがいつも質問を許されている。もちろん、例え私が質問してもカリグラお兄様が質問してもきっとお父様は許してくれるのだが、これはお母様が決めた教育方針なのだ。
「それは、メシが美味く感じるのだ!ガッハハハ!」
だから、私はお父様が大好き。
幼心にお父様のお話はどこか怖かったけれど、大きな笑い声とキラキラ輝いた瞳をクリクリさせてながら、最後にはとっても大きな心で優しく包んでくれる。
「さぁ!メシを食おうじゃないか!」
食事の間は、お父様は不思議と自分から多くを語らない方だった。むしろ私達子供の話を、出来るだけ笑顔で聞こうとしてくれていた。まるで、いつも何かを心に刻んでいるような潤いに満ち溢れた瞳で。
「ガッハハハ!ユリアは卵を三つ手に入れたのか?」
「はい…お父様。僕とドルススが昨夜見た時は二つしか無かったのですが…。」
「あ、本当は三個あったのですが、カリグラが一つ欲しいと言ったので、一個あげて二つになりました。」
「ところが、ユリアが今日は三個を持ってきたので、一つ増えていた事になります。」
「そっかそっか!ガッハハハ!」
「全く、そのお陰で木から降りれなくなるんだから。将来が心配です。」
「お母様、私は大丈夫ですわ。」
「何を言ってるの!あまりそうやって調子に乗ると、本当に助けが必要な時に、誰も助けてもらえなくなったらどうするのです?」
「そうだぞ、ユリア。お兄様達がいなかったら、僕しか木登りが得意なのはいないんだからな!」
「ガイウスお兄様に助けてもらえなくたって、大丈夫ですもの。大体、お兄様があそこで私をバカにするから降りれなくなったのです!」
「何だと?!ユリア!お前は本当に妹のくせに偉そうな口答えばっかりしやがって!」
「これ、カリグラ!お父様の前で、ユリアとケンカするのやめなさい。」
「はい…お母様。」
「ガッハハハ!まぁよいではないか。」
今から考えれば、死と隣り合わせの戦場の中で生き抜いてきたお父様の心の癒しは、家族揃って食事をする時間であり、だからこそ、召使いにも奴隷にさえも、その時間を誰にも邪魔されたくなかったのかもしれない。食事を終えた後も私達は、焚き火を囲んでお父様の巡ってきた遠い国々のとっても興味深いお話を聞いてから眠りについていた。
「ユリア…。」
「はい、お母様?」
「こちらにいらっしゃい。」
すると、お母様は私の手を引っ張って台所の隅に連れてかれる。この場所は私達子供にとって、お母様からお叱りを受けてお尻を叩かれる場所だった。当然、私は今日の事でてっきり怒られるのだと思っていた。
「お、お母様。木登りの事でしたら、今後はもう気をつけますから…。」
「いいえ、その事ではありません。」
「あ!ガイウスお兄様とのケンカですか?!」
「違うわ、お母さんからプレゼントがあるのです。」
「え?プレゼント?」
お母様は微笑みながら、私の方を見ながらため息を一回ついた。
「本当は男の子のためのお守りだから、女の子の貴女にあげるのはおかしいのだけれども、でも、誰かに似て…お転婆さんでしょう?」
「誰かって、誰です?お母様。」
するとお母様は、大きなお腹を抱えながらも、私と同じ目線にしゃがんで、頭を撫でてくれた。
「あたし…。貴女のお転婆はね、私の幼い頃そっくり。そこでね、今夜お父様と話し合って、貴方にこれを持たす事にしたの。」
それは、お兄様達が持たされているお守りのブルラ。お兄様達の貝殻よりも小さな貝殻だった。
「ブルラを?私に?!」
「ええ…。どうせ駄目と言っても、貴女は言う事の聞くような子じゃないのですから。せめて、このブルラを肌身離さず持ちなさい。そしたら、私も少しは安心できるでしょ?」
お母様は私の首元にブルラを垂らし、貝殻の部分をトゥニカの中へしまってくれた。私は嬉しくて嬉しくて、お母様に抱きついた。
「ありがとう、お母様!私はこのブルラを一生、肌身離さず付けます!」
「あははは、良いのよ。男の子は成人になる頃外すのですから、貴女も成人になったら外しなさい。」
「いいえ、一生外しません。」
私は本当にこのブルラを死ぬ間際まで一生外さなかった。皮肉にも、このお守りのお陰で、私は家族の中でたった一人だけ生き残る事になってしまったのだ。
続く
【ユリウス家】
<ユリア・アグリッピナ(15年-59年)>
主人公。後の暴君皇帝ネロの母。
<ゲルマニクス(紀元前15年-19年)年の差+30歳年上>
アグリッピナの父
<ウィプサニア(紀元前14年-33年)年の差+29歳年上>
アグリッピナの母
<長男ネロ(6年-31年)年の差+9歳年上>
アグリッピナから見て、一番上の兄
<次男ドルスス(7年-33年)年の差+8歳年上>
アグリッピナから見て、二番目の兄
<三男ガイウス=カリグラ(12年-41年)年の差+3歳年上>
アグリッピナから見て、三番目の兄
<次女ドルシッラ(16年-38年)年の差-1歳年下>
アグリッピナから見て、一番目の妹
<三女リウィッラ(18年-42年)年の差-3歳年下>
アグリッピナから見て、二番目の妹
【アントニウス家系 父方】
<アントニア(紀元前36年-37年)年の差+51歳年上>
アグリッピナから見て、父方の祖母
<リウィッラ・ユリア(紀元前13年-31年)年の差+28歳年上>
アグリッピナから見て、父方の叔母
<クラウディウス(紀元前10年-54年)年の差+25歳年上>
アグリッピナから見て、父方の叔父
【アントニウス家系の解放奴隷、使用人および奴隷】
<ナルキッスス(1年-54年)年の差+14歳年上>
父方の祖母アントニア及びクラウディウスの解放奴隷
<パッラス(1年-63年)年の差+14歳年上>
父方の祖母アントニア及びクラウディウスの解放奴隷
<フェリックス(12年-62年)年の差+3歳年上>
父方の祖母アントニア及びクラウディウスの解放奴隷
<アクィリア(17年-19年)年の差-2歳年下>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<シッラ(紀元前15年-60年)年の差+30歳年上>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<リッラ(紀元前15年-59年)年の差+30歳年上>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<クッルス(紀元前15年-59年)年の差+30歳年上>
父ゲルマニクスの親友
<セリウス(紀元前15年-60年)年の差+30歳年上>
父ゲルマニクスの親友
<セルテス(紀元前12年-63年)年の差+27歳年上>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<ぺロ(17年-30年)年の差-2歳年下>
父方の祖母アントニアの飼い犬
【クラウディウス氏族】
<リウィア大母后(紀元前58年-29年)年の差+73歳年上>
アグリッピナから見て、父方祖父の母親。初代皇帝アウグストゥスの後妻
<ティベリウス皇帝(紀元前42年-37年)年の差+57歳年上>
アグリッピナから見て、父方祖父の兄弟。初代皇帝アウグストゥスの養子、リウィア大母后の長男
<ドルスッス(紀元前14年-23年)年の差+29歳年上>
アグリッピナから見て、父方祖父の兄弟の息子。二代目皇帝ティベリウスの長男
【ティベリウス皇帝 関係】
<セイヤヌス(紀元前20年–31年)年の差+35歳年上>
二代目皇帝ティベリウスの右腕。親衛隊長官
<ピソ(紀元前44年-20年)年の差+59歳年上>
二代目皇帝ティベリウスの親友。シリア属州の総督。