第四章「大母后と祖母」第三十九話
クッルスとセリウスの育った街にあるインスラには、大衆食堂のタヴェルナが一階にあった。とても賑やかで和やかな雰囲気で、集まる人達はとっても気さくで、自分達の愉しむ時間をそっちのけで私の為に色々ともてなしてくれる。私は桃が二個入った果実の袋をテーブルに置いて、彼らの輝く笑顔に魅入っいた。
「それにしても、みんな本当に楽しそうね?クッルス。」
「そりゃあそうでっさ。特にここ一体の団結力といったら、ローマ市内の何処よりも負けませんぜ!それもこれもみーんなゲルマニクス様のお陰でっさ。」
サリウスは笑いながら、クッルスとお父様の最初の出逢いを語ってくれた。
「最初の頃は、それはそれはみーんな皇族なんて大嫌いで、皇族出身に対するイジの悪さは人一倍だったんですよ。クッルスだって最初は飲み屋の門番。皇族から睨まれるのも嫌がったので、何度もゲルマニクス様を追い返したんです。」
「そうでっさ!だがあの人は本当に頑固というか、優しいというか。自分の亡くなった兵士の出身がここだというから、弔いに飲ませてくれってテコでも動かなかったんでさ~。きったない地べたにあぐらかいて、店の前からどきやしないから、力尽くで退かそうとしたんでっさ。」
「はっはっはっはっは!そしたら、クッルスはヒョイっと投げられてしまったんですよ。」
タヴェルナに集まったみんなが一斉に笑い出して、その中にいた八百屋が笑いながら口を挟んできた。
「アグリッピナ様。クッルスの野郎は、こーんなちっちゃい頃から本当に力持ちで、誰にも負けた事なんてなかったんでさ~。それが、アッハハハ!ゲルマニクス様に転がされた時には、アッハハハ!もうなんというか、面目丸潰れ状態で、みんな本当に腹を抱えて笑いましたっさ!」
クッルスは照れ臭そうに笑ってる。几帳面なサリウスも、まるで昨日の事のように思い出してる様子で笑ってる。シッラは私の肩を優しく指でつつき、八百屋の方を指差して説明してくれた。
「あー、アグリッピナ様。今さっき話しに入ってきたあの八百屋の親父が、昨夜お話しした仕入れ先を教えてくれる人です。」
「アッハハハ。そうそう~。どうやら話したくて堪らない様子なんで~す。」
みんなみんな、とっても個性的で面白かった。私もみんなの和やかな笑い声に、自然と頬を緩ませていく。その時、ふと、タヴェルナの入り口に目を向けると、顔や身体中泥だらけの、とっても見窄らしい格好をした小さな女の子がこちらを覗いていた。
「?」
タヴェルナの中にいる人達は誰も気付かない様子だけど、明らかに平民や奴隷の様な衣服ではなく、何処かで見かけたようなボロボロのトゥニカだった。年の頃は、多分、私よりも下で、妹のドルシッラくらい。
「駄目だよ、アクィリア。こっちおいで。」
「にーたん、お腹空いた。」
「ここは駄目なの。入ると怒られるから。」
同じようなボロを身にまとった男の子が、必死にその女の子をあやしている。年のくらいは、大体カリグラ兄さんくらいだろうか。
「さぁさぁ、クッルス。そろそろ小アントニア様のドムスへアグリッピナ様をお連れしないと…。」
「ああ、分かってる。みんな!今夜から小アントニア様のドムスで警護を任されたぞーーー!」
すると、タヴェルナにいる大人達は一斉に喜んで、クッルスを応援し出した。中には自分の我が子の様に泣き出す老婆や、クッルスと同年代の男性達は笑いながらふざけ合ってじゃれ合ってる。
「それにしても、クッルスさんは人気者なのね。」
「ええ、アグリッピナ様。あいつは昔から人好きでこの街を愛してる奴なんですよ。そんなあいつを貴女様のお父様は、自分の分身の様に付き合ってくれるんです。僕らが非力ながらもリウィア大母后様の護衛配下に入れたのは、ゲルマニクス様のご友人でらっしゃる、ドルスッス様のご推薦あってのことなんです。」
家族の中でも、もちろんいつも優しいお父様が、ローマの街でもこんなに愛されていたなんて。本当に嬉しかった。
「あー、サリウスさん?そろそろ本当に小アントニア様の所へ戻らないと、私達も食事の用意をしないといけないので…。」
「ああ!そうでしたね。おい!クッルス!いつまで遊んでるんだ?行くぞ!」
「おう!さぁさぁ、アグリッピナ様。前をどうぞ。」
私は大母后リウィア様から帰りにいつも頂いてる果実を入れる袋を持って、タヴェルナの出口を出ようとする。しかし、多くの人が集まってきて、なかなか外に出れなくなって、少しだけ揉みくちゃにされそうになったその時、目の前にボロボロのトゥニカを着た青年が横切った。
「フン!ごめんよ。」
「え?」
やっとこ表に出て、サリウスもクッルスもやっと出てきた。私の身を一番に考えてくれて、大丈夫っと答えた後に、今日大母后様から頂いた桃が全部盗まれてしまった。
「無い!!桃が無い!」
「ええ?!」
「大母后様から今日頂いた桃が全部…。」
「何個頂いたんです?」
「三個だクッルス。確かに俺がこの目で見ていた。そのうちの一個はアグリッピナ様ご自身が…。」
「さっき、ここのインスラに来る前に食べ終わったの。」
「タヴェルナに出る時には、二個あったって事か。」
その時、またもやあの鋭い視線を感じた。そう、この間、小アントニア様のお庭にある井戸から水を盗んだ、ギラついた目付きをした青年。彼がタヴェルナの入り口の裏から、壁に寄りかかりながらこちらをニヤニヤ見ている。そうだ!絶対にあいつが盗んだんだ!
続く
【ユリウス家】
<ユリア・アグリッピナ(15年-59年)>
主人公。後の暴君皇帝ネロの母。
<ゲルマニクス(紀元前15年-19年)年の差+30歳年上>
アグリッピナの父
<ウィプサニア(紀元前14年-33年)年の差+29歳年上>
アグリッピナの母
<長男ネロ(6年-31年)年の差+9歳年上>
アグリッピナから見て、一番上の兄
<次男ドルスス(7年-33年)年の差+8歳年上>
アグリッピナから見て、二番目の兄
<三男ガイウス=カリグラ(12年-41年)年の差+3歳年上>
アグリッピナから見て、三番目の兄
<次女ドルシッラ(16年-38年)年の差-1歳年下>
アグリッピナから見て、一番目の妹
<三女リウィッラ(18年-42年)年の差-3歳年下>
アグリッピナから見て、二番目の妹
【アントニウス家系 父方】
<アントニア(紀元前36年-37年)年の差+51歳年上>
アグリッピナから見て、父方の祖母
<リウィッラ・ユリア(紀元前13年-31年)年の差+28歳年上>
アグリッピナから見て、父方の叔母
<クラウディウス(紀元前10年-54年)年の差+25歳年上>
アグリッピナから見て、父方の叔父
【アントニウス家系の解放奴隷、使用人および奴隷】
<ナルキッスス(1年-54年)年の差+14歳年上>
父方の祖母アントニア及びクラウディウスの解放奴隷
<パッラス(1年-63年)年の差+14歳年上>
父方の祖母アントニア及びクラウディウスの解放奴隷
<フェリックス(12年-62年)年の差+3歳年上>
父方の祖母アントニア及びクラウディウスの解放奴隷
<アクィリア(17年-19年)年の差-2歳年下>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<シッラ(紀元前15年-60年)年の差+30歳年上>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<リッラ(紀元前15年-59年)年の差+30歳年上>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<クッルス(紀元前15年-59年)年の差+30歳年上>
父ゲルマニクスの親友
<セリウス(紀元前15年-60年)年の差+30歳年上>
父ゲルマニクスの親友
<セルテス(紀元前12年-63年)年の差+27歳年上>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<ぺロ(17年-30年)年の差-2歳年下>
父方の祖母アントニアの飼い犬
【クラウディウス氏族】
<リウィア大母后(紀元前58年-29年)年の差+73歳年上>
アグリッピナから見て、父方祖父の母親。初代皇帝アウグストゥスの後妻
<ティベリウス皇帝(紀元前42年-37年)年の差+57歳年上>
アグリッピナから見て、父方祖父の兄弟。初代皇帝アウグストゥスの養子、リウィア大母后の長男
<ドルスッス(紀元前14年-23年)年の差+29歳年上>
アグリッピナから見て、父方祖父の兄弟の息子。二代目皇帝ティベリウスの長男
<リヴィア(5-43年)年の差+10歳年上>
アグリッピナから見て、父ゲルマニクスの妹の娘。ドルスッスの長女
【ティベリウス皇帝 関係】
<セイヤヌス(紀元前20年–31年)年の差+35歳年上>
二代目皇帝ティベリウスの右腕。親衛隊長官
<ピソ(紀元前44年-20年)年の差+59歳年上>
二代目皇帝ティベリウスの親友。シリア属州の総督。
【後のアグリッピナに関わる人物】
<ウェスタ神官長オキア(紀元前68年-29年)年の差+83歳年上>
ウェスタの巫女の長
<セネカ(紀元前1年-65年)年の差+16歳年上>
アグリッピナの盟友
<ブッルス(1年 - 62年)年の差+15歳年上>
アグリッピナの悪友
<アニケトゥス(1年 - 69年)年の差+15歳年上>
後のアグリッピナ刺殺犯