第四章「大母后と祖母」第三十二話
直ぐに兵士2人組の雰囲気を感じ取ったアントニア様は、私に心配かけないように気を遣ってくれた。
「ユリアちゃん。」
「はい。」
「二階の台所でシッラとリッラの二人で、続きのドレッシングを作ってくれる?」
「はい、アントニア様。」
シッラとリッラはガリア系女性の解放奴隷料理人。シッラはノッポで神経質で早口、リッラはデブで穏やかで笑ってばっかりだった。このコンビがとっても美味しい料理をいつも作ってくれる。
「リッラ?シッラ?」
二人はお庭奥に設置された、神棚のララリウムでお香を焚いていた。アントニア様はとても信仰深い方で、神々へのお祈りは欠かさないのが日課だった。当然リッラやシッラも、アントニア様がしっかりとお祈りできるように用意されるのは務め。
「あー、ユリア様、突然大声を出されて雷でも降ってきたのかと思いまして、全く一体全体どうされたのですか?」
「あのねシッラ。アントニア様がお前達二人と台所でドレッシングを一緒に作ってくれって言われたの。」
「ドレッシングで~すか?アッハハ。少~しなら、私も覚えてますよ。」
「あー、リッラ。あんたはなんでもかんでも、そうやってアッハハって最後に笑って済ませばいいと思って。ユリア様がお怪我されないようにやらないと!」
二人は神棚のララリウムへお祈りを済ませると、一目散に私を連れて二階の台所へ連れて行ってくれた。
シッラは黙々と野菜を切り刻んでいるが、リッラは鼻唄を歌いながらオリーブオイルと果物の汁を器用に合わせてる。二人とも対照的なしっかりした働き者。だからこそアントニア様が旦那様を亡くされてから、二人の真面目さを認められて奴隷から解放させられたのだ。
「ポッピランティ~ン♫、タットラランティ~♫」
「リッラ、その歌は何?」
「え?今の歌ですか?ユリア様。アッハハ。私達が生まれた村に伝わる歌なんですよ。ねぇシッラ?」
「あー、正直もうしますと、歌が上手くないのに料理の時に歌うなんて、はしたない蛮族でしょう?あー、ローマに来てからというもの、私の考えは変わりましたけどね。」
シッラは目をクルクル回して、リッラの能天気ぶりに呆れている。
「でも、愉快でたのしそう!私にも教えて?」
「アッハハ。イイですよ、ユリア様。」
「あー、それはなりません、ユリア様。ユリウス氏族である方が、私達のような蛮族の歌なんて、めっそうもございませんし、覚えるもんじゃ無いです。」
「アッハハ。いいじゃない、シッラ。たかが歌。」
「そうよ、シッラ。私も覚えたい。」
「あー、しかし、蛮族の歌なんか…。ユリア様に勝手に教えてしまったら、アントニア様がビックリしてお叱りになるでしょう。あー、それに私達はやっとこ解放奴隷にさせてもらったのですから…。」
そっか。
シッラもリッラも私とは身分の違う解放奴隷。迷惑を掛けちゃいけないんだった。私は申し訳なさそうに謝った。
「ごめんなさい、シッラ、リッラ。」
「あー、ユリア様?!今何を??」
「シッラ…。アッハハ…。まさか?私達は謝られたの?!」
すると二人とも汗をかきながら慌て始めた。オロオロしてどうしたら良いのか戸惑ってる様子。そして即座に二人は謝ってきた。
「大変失礼致しました!どうか!どうか!この度の無礼な振る舞いを、お許し下さいませ。」
「え?」
「私共々はアントニア様の寛大なお心遣いにより、他の者達よりも幾分自由を許されている身。されど、それは十二分に理解しているつもりではございますので…。」
二人の怯えた姿に私は戸惑ってしまった。どうしてこれほどまで恐縮するのかがよく分からない。ちょこっと謝っただけなのに、二人は決して私に顔を見せることなく、ずっと頭を下げて私に謝り続けている。
「二人共々、顔を上げなさい。」
ようやく台所へ上がってきたアントニア様が、主人として二人に声を掛けてくれた。その声に二人は驚き、更に低く低く頭を下げて、自分達の無礼に対する許しを懇願していた。
「アントニア様!お許し下さいませ。」
「二人とも、およしなさい。」
「もう、シッラ!リッラ!私は気にしてないから。」
「いいえ!それは無理でございます。」
「あー、幼いユリア様に恐れ多くも、頭を下げさせてしまったのですから。」
「シッラ、リッラ。ユリアはもういいと言っているのです。これでも頭を上げようとしないのですね?」
「はい!アントニア様。」
頭を上げようとしない二人を見兼ねたアントニア様は、推敲した後に私へある提案をしてきた。それも普段とは違った威厳のある言い方で。
「ユリア・アグリッピナ。貴女はこの二人の無礼な振る舞いに対し、ユリウス氏族としての寛容な精神で、彼女達の身分相応の罰を与えなさい。」
「え?『身分相応の罪』ですか?アントニア様。」
「ええそうよ、これもあなたが大きくなっていくために必要なことなの。」
突然解放奴隷に罪を与えろといわれても、どうすればいいのかわからないし、何だか自分の身分の怖さを感じてしまった。するとアントニア様は、さっきリッラが歌ってた蛮族のメロディを口笛で吹きながら、私へウィンクをしてきた。あ!これがヒントか!アントニア様の仰る罰が何であるかを気付いた私は、この二人に対して罰を与えることにした。
「シッラとリッラ。無礼な振る舞いに対して、私にあなた達の歌を教える罰を与えます。」
すると、二人とも不思議に思いながら、お互いの顔を見合わせていた。まるで拍子抜けした様子で。
「分かりましたか?」
「あー、はい。ユリア様。」
「でも、そんなものでいいのですか?」
「それでいいのですよ、リッラ、シッラ。ユリアちゃんは素直な気持ちであなた達に謝ったのですから、たとえ身分が違うと言っても、素直に受け止めるのが同じ人間としての義務でしょう?」
これが、アントニア様流の人道主義的な寛容と恩情と罰の与え方。私はアントニア様から解放奴隷の扱い方を教わった。
続く
【ユリウス家】
<ユリア・アグリッピナ(15年-59年)>
主人公。後の暴君皇帝ネロの母。
<ゲルマニクス(紀元前15年-19年)年の差+30歳年上>
アグリッピナの父
<ウィプサニア(紀元前14年-33年)年の差+29歳年上>
アグリッピナの母
<長男ネロ(6年-31年)年の差+9歳年上>
アグリッピナから見て、一番上の兄
<次男ドルスス(7年-33年)年の差+8歳年上>
アグリッピナから見て、二番目の兄
<三男ガイウス=カリグラ(12年-41年)年の差+3歳年上>
アグリッピナから見て、三番目の兄
<次女ドルシッラ(16年-38年)年の差-1歳年下>
アグリッピナから見て、一番目の妹
<三女リウィッラ(18年-42年)年の差-3歳年下>
アグリッピナから見て、二番目の妹
【アントニウス家系 父方】
<アントニア(紀元前36年-37年)年の差+51歳年上>
アグリッピナから見て、父方の祖母
<リウィッラ・ユリア(紀元前13年-31年)年の差+28歳年上>
アグリッピナから見て、父方の叔母
<クラウディウス(紀元前10年-54年)年の差+25歳年上>
アグリッピナから見て、父方の叔父
【アントニウス家系の解放奴隷、使用人および奴隷】
<ナルキッスス(1年-54年)年の差+14歳年上>
父方の祖母アントニア及びクラウディウスの解放奴隷
<パッラス(1年-63年)年の差+14歳年上>
父方の祖母アントニア及びクラウディウスの解放奴隷
<フェリックス(12年-62年)年の差+3歳年上>
父方の祖母アントニア及びクラウディウスの解放奴隷
<アクィリア(17年-19年)年の差-2歳年下>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<シッラ(紀元前15年-60年)年の差+30歳年上>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<リッラ(紀元前15年-59年)年の差+30歳年上>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<クッルス(紀元前15年-59年)年の差+30歳年上>
父ゲルマニクスの親友
<セリウス(紀元前15年-60年)年の差+30歳年上>
父ゲルマニクスの親友
<セルテス(紀元前12年-63年)年の差+27歳年上>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<ぺロ(17年-30年)年の差-2歳年下>
父方の祖母アントニアの飼い犬
【クラウディウス氏族】
<リウィア大母后(紀元前58年-29年)年の差+73歳年上>
アグリッピナから見て、父方祖父の母親。初代皇帝アウグストゥスの後妻
<ティベリウス皇帝(紀元前42年-37年)年の差+57歳年上>
アグリッピナから見て、父方祖父の兄弟。初代皇帝アウグストゥスの養子、リウィア大母后の長男
<ドルスッス(紀元前14年-23年)年の差+29歳年上>
アグリッピナから見て、父方祖父の兄弟の息子。二代目皇帝ティベリウスの長男
<リヴィア(5-43年)年の差+10歳年上>
アグリッピナから見て、父ゲルマニクスの妹の娘。ドルスッスの長女
【ティベリウス皇帝 関係】
<セイヤヌス(紀元前20年–31年)年の差+35歳年上>
二代目皇帝ティベリウスの右腕。親衛隊長官
<ピソ(紀元前44年-20年)年の差+59歳年上>
二代目皇帝ティベリウスの親友。シリア属州の総督。
【後のアグリッピナに関わる人物】
<ウェスタ神官長オキア(紀元前68年-29年)年の差+83歳年上>
ウェスタの巫女の長
<セネカ(紀元前1年-65年)年の差+16歳年上>
アグリッピナの盟友
<ブッルス(1年 - 62年)年の差+15歳年上>
アグリッピナの悪友
<アニケトゥス(1年 - 69年)年の差+15歳年上>
後のアグリッピナ刺殺犯