第四章「大母后と祖母」第三十一話
ローマ市内に建築されたアントニア様の住居であるドムスは、幼い頃に家族から一人だけ置き去りになった私にとって、寂しさを紛らわせてくれる、優雅で素敵な記憶ばかりを残してくれた。
玄関にはいつもシケリア人である陽気な門番のセルテスと、キャンキャンいっつも吠えるペロがいる。なんとペロは、主人であるアントニア様に対しても吠える飼い犬なのだが、セルテスがかんぬきで門を閉めるとピタッと吠えるのをやめ、前脚をクロスさせてしゃがむ。私はこのペロが大好きで、大母后様のスパルタ教室が終わると一緒にじゃれて遊んでた。
玄関を入るとすぐにあるアトリウムは、アテネ生まれのアントニア様らしくとっても明るくていつも晴れてるような雰囲気の作りになっている。そばにはモザイクの壁画とコンクリート。天窓は珍しくウェスタ神殿のように丸くなっている。本来、住居であるドムスの天窓は四角にするのが当たり前なのだが、ウェスタの巫女に成りたがってたアントニア様らしく、このドムス自体をウェスタ様へ捧げる神棚のララリウムとして意味を込められてるそうだ。四本の大理石円柱に囲まれた水槽のインプルウィウムには、いつも綺麗な水が溜まっている。時々百合の花を散りばめられていた。お客様がいらっしゃらない時は、ペロと私のちょっとした遊び場。
そして何よりも豪華なのは、アントニア様ご自慢のお庭。お庭はもちろんドムスの中にあり、とってもりっぱな噴水と井戸も設置してあるのだ。お庭の周りには、柱頭に鉢形装飾や柱基を持たない14本の大理石円柱で囲んでおり、それぞれの円柱には七色の色付きランタンや、ランプの反射板である円盤状のオスクルムが吊るされてる。ただ豪華なだけではなく、果物や野菜がしっかりと取れるようになっているのも、健康食大好きなアントニア様のアイディア。
「ユリアちゃん?どこ?」
庭でブドウを摘んでいると、二階の台所からアントニア様の私を呼ぶ声がした。
「はーい、ここです。」
お母様達がお父様の元へ行かれて、もう半年以上の月日が流れた。毎朝から大母后様のスパルタ教室を行き来し、お昼にはアントニア様と一緒に料理のお手伝い。最初は心細かったけれども、次第に慣れてくると、意外に一人の時の方が楽だったりしてた。
「アントニア様!」
「ユリアちゃん。ここね、良かった。今日は豆がギリシャからいっぱい入るから、サラダをメインにしましょう。」
「はい。」
アントニアお姉様のご趣味は、オリーブオイル使ったドレッシング作り。今でもこれから先も、まさかサラダに油を入れるなんて発想は、アントニア様だけだったと思う。
「今夜はバジリコと…。」
「アントニア様、今夜も実験ですか?」
「もちろんよ。女性の知恵は料理で学ぶもの。」
ドレッシングには色々な種類があった。台所はドレッシングの入れ物で溢れてる。ちょっとしたドレッシング聖女と化している。時には乾かしたパンを粉上にまぶしたり、干しぶどうを切り刻んだり。たまに南の国の辛い食べ物を入れてとんでもない実験をして失敗したり。
「ユリアちゃん、そこのペペラドレッシング持ってきて。」
「ペペラ…ペペラ…。はい。」
名前付も非常にユニークで、音感だけで決めている。だからちゃんと音で覚えていないと間違える事もあり、文字を書きたがらないアントニア様らしい感じだった。
「あら?誰かしら?」
アントニア様のもう一つの特技は、とにかく耳がいい事。お母様もお父様からローマの地獄耳と呼ばれていたが、アントニア様はそれを上回る。時には外にいるネズミの気配も感じられる程敏感なお方だった。
「誰かいらしたんですか?」
「郵送っぽいけど、うーん。ちょっと違うかしら?」
「え?」
そばにあった手拭きでしっかり手を拭くアントニア様はストラをすばやく軽く羽織り、トゥニカの腰元を紐を結んだ。私もすぐさま手を拭いて、後をついて一階に降りて行った。やっぱりペロはキャンキャン吠えてる。
「セルテス?」
「兵士2人組のようです、アントニア様。」
「だいじょうです、開けなさい。」
「はい。」
門番のセルテスが扉を開くと、そこには顔の表情を険しくさせた兵士2人組が立っていた。
「アントニア様。シリアよりウィプサニア様からの手紙とお品をお届けにまいりました。」
「ありがとう、ご苦労様。」
しかし、兵士2人組はお互いの顔を見合わせて、帰ろうとはしなかった。
「どうしたのです?」
続く
【ユリウス家】
<ユリア・アグリッピナ(15年-59年)>
主人公。後の暴君皇帝ネロの母。
<ゲルマニクス(紀元前15年-19年)年の差+30歳年上>
アグリッピナの父
<ウィプサニア(紀元前14年-33年)年の差+29歳年上>
アグリッピナの母
<長男ネロ(6年-31年)年の差+9歳年上>
アグリッピナから見て、一番上の兄
<次男ドルスス(7年-33年)年の差+8歳年上>
アグリッピナから見て、二番目の兄
<三男ガイウス=カリグラ(12年-41年)年の差+3歳年上>
アグリッピナから見て、三番目の兄
<次女ドルシッラ(16年-38年)年の差-1歳年下>
アグリッピナから見て、一番目の妹
<三女リウィッラ(18年-42年)年の差-3歳年下>
アグリッピナから見て、二番目の妹
【アントニウス家系 父方】
<アントニア(紀元前36年-37年)年の差+51歳年上>
アグリッピナから見て、父方の祖母
<リウィッラ・ユリア(紀元前13年-31年)年の差+28歳年上>
アグリッピナから見て、父方の叔母
<クラウディウス(紀元前10年-54年)年の差+25歳年上>
アグリッピナから見て、父方の叔父
【アントニウス家系の解放奴隷、使用人および奴隷】
<ナルキッスス(1年-54年)年の差+14歳年上>
父方の祖母アントニア及びクラウディウスの解放奴隷
<パッラス(1年-63年)年の差+14歳年上>
父方の祖母アントニア及びクラウディウスの解放奴隷
<フェリックス(12年-62年)年の差+3歳年上>
父方の祖母アントニア及びクラウディウスの解放奴隷
<アクィリア(17年-19年)年の差-2歳年下>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<シッラ(紀元前15年-60年)年の差+30歳年上>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<リッラ(紀元前15年-59年)年の差+30歳年上>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<クッルス(紀元前15年-59年)年の差+30歳年上>
父ゲルマニクスの親友
<セリウス(紀元前15年-60年)年の差+30歳年上>
父ゲルマニクスの親友
<セルテス(紀元前12年-63年)年の差+27歳年上>
父方の祖母アントニアの解放奴隷
<ぺロ(17年-30年)年の差-2歳年下>
父方の祖母アントニアの飼い犬
【クラウディウス氏族】
<リウィア大母后(紀元前58年-29年)年の差+73歳年上>
アグリッピナから見て、父方祖父の母親。初代皇帝アウグストゥスの後妻
<ティベリウス皇帝(紀元前42年-37年)年の差+57歳年上>
アグリッピナから見て、父方祖父の兄弟。初代皇帝アウグストゥスの養子、リウィア大母后の長男
<ドルスッス(紀元前14年-23年)年の差+29歳年上>
アグリッピナから見て、父方祖父の兄弟の息子。二代目皇帝ティベリウスの長男
<リヴィア(5-43年)年の差+10歳年上>
アグリッピナから見て、父ゲルマニクスの妹の娘。ドルスッスの長女
【ティベリウス皇帝 関係】
<セイヤヌス(紀元前20年–31年)年の差+35歳年上>
二代目皇帝ティベリウスの右腕。親衛隊長官
<ピソ(紀元前44年-20年)年の差+59歳年上>
二代目皇帝ティベリウスの親友。シリア属州の総督。
【後のアグリッピナに関わる人物】
<ウェスタ神官長オキア(紀元前68年-29年)年の差+83歳年上>
ウェスタの巫女の長
<セネカ(紀元前1年-65年)年の差+16歳年上>
アグリッピナの盟友
<ブッルス(1年 - 62年)年の差+15歳年上>
アグリッピナの悪友
<アニケトゥス(1年 - 69年)年の差+15歳年上>
後のアグリッピナ刺殺犯