第十六章「婚前の夜明け」第二百八十九話
"二人ぼっちの姉妹"……。
母ウィプサニアと姉のユリナ様。
幼い頃の二人はとっても仲が良かった。両親の愛情をいっぱい受け取った二人は、いつもお互いにストラを着せ替えしたり、髪結いをしあったりしてたそうな。だが、自分達の母親ユリヤ様がアウグストゥス様から流刑を言い渡されると、姉のユリナ様には二面性の人格が現れたという。昼はウェスタの巫女然として優しさと厳しさを持ち合わせているが、夜になると寝室から抜け出しては、朝帰りをしてくることもしばしば。
母ウィプサニアが殆ど私達に、自分の兄弟や姉妹の事を語りたがらなかった理由には、多くの不幸が、自分の妹と兄弟に訪れたからである。結局、母の姉ユリナ様は、あたしが生まれる七年前、アウグストゥス様へ陰謀を企てたとして、姦通罪でトゥリメルス島に追放される。それから二十年の間、決してローマへ戻る事を許されず、あたしが結婚する年に四十七歳で亡くなられた。
「ユリナお姉さん!どうして?!どうしてぇえええ?!」
「ウィプサニア殿……」
母の寝室には、母の愛人アシニウス、兄カリグラ、妹達のドルシッラとリウィッラ。あたしはびしょ濡れになりながら、恐る恐る後ろから隠れるように覗いてた。
「絶対に!あの女狐リウィアが殺したのよぉおお!!」
「ウィプサニア、落ち着いて」
「どうして?!ねぇ、アシニウス!あたしの家族は、なぜあの女狐に狙われるわけ?!」
「いや、ウィプサニア。君のお姉さんのユリナさんは、十年もの間に患っていた病で亡くなられたのだ」
「嘘!絶対に嘘!あたしは信じません!あの女狐の偽善の仮面に、もうユリウス家は騙されないわぁぁあああ!」
なんと不思議な光景なのだろうか。
自分の言動に後悔したからかもしれないが、さっきまでのあたしがそこにいるようだった。ただ、母には当時のあたしには無かったものが、更なる思い込みと激情に拍車をかける。
「アシニウス、長男ネロをアウグストゥス宮殿まで呼んで!ガイウス!支度します」
「お母様、どちらへ?」
「ウェスタの巫女の館です」
「カーサ・デレ・ウェスタリにか?ウィプサニア殿」
「ええ、アシニウス。姉ユリナは生前、自分に何かあった時には、遺言をあたしだけが受け取るように手配していました。これにより、あの女狐に一矢を報いる事ができます」
「しかしそれは無茶ですぞ!各地に駐屯しているローマ軍団だって、帝位奪還だと聞けば、穏やかな事では済みますまい!」
「いいえ、アシニウス。今こそ帝位奪還の時なのです!あの牛魔皇帝ティベリウスは、ゲルマニアの蛮族がローマ国家へ反旗を翻した時にも、駐屯していたローマ五百兵をみすみす見殺しにしたままなのです!蛮族によって失われた彷徨えるローマ兵の魂を、そして私の夫ゲルマニクスの神話さえも穢そうとしている国家に、どこのローマ兵が賛同できるものでしょうか?」
アシニウス様は、とても険しい表情で母に問いかける。
「国家反逆罪が適用されたらどうするのだ?!」
「だからこそ、真実を語る姉ユリナの遺言を、あの女狐の前で堂々と読み上げてやるのです!その間に長男ネロには、夫ゲルマニクスの部下達をローマへ呼び寄せます!」
「ウィプサニア!それだけはやめた方がいい!あまりにも無謀だ!」
「何を言っているの?!ユリナ姉さんは殺されたのよ?!アウグストゥスの孫娘が殺されたの!!!全ては、あの女狐リウィアが自分の息子ティベリウスを、帝位させるために仕組んだ事が原因!兄達も、弟も!いいえ、私の父アグリッパも!そして祖父のアウグストゥスも!」
大母后リウィア様を筆頭とするクラウディウス氏族への憎悪が、辺りにいる全ての人間を威嚇した。そして、あたし以上にとんでもない事を口走っていた。
「全部あの女狐リウィアが殺したのよ!!」
続く