第十六章「婚前の夜明け」第二百八十二話
アトリウムの雨水を貯める、インプルウィウムを血だらけにした私は、リウィッラの金切り声もあってか、みんなから注目されてしまった。
「アグリッピナお姉ちゃんが!股から血を流してる~!」
「股からって、ちょ、ちょっとリウィッラ!」
その声で一番最初に気が付いたのは、たまたま通りかかった兄カリグラ。
「うげ?!アグリッピナ、なんだそりゃ!?」
「知らない。何か突然出てきた」
次妹のドルシッラなんか、あんまりの量にびっくりしながらも、あの子らしく、インプルウィウムの水を変えるように、奴隷に指示を出している。最後に駆けつけたのは母親ウィプサニアで、そのまま寝室へ連れられると、天井を見るように寝かされ、ユダヤ人の老婆を呼んできた。
「これはまた、豪快に初潮を迎えられましたな」
「とっとと、やって頂戴」
すると老婆から、ストラとアンダースカートのカストゥアをまくられる。
「や、ヤダ!やめてよ」
「何言ってるの?みんなちゃんとこうやって調べるんだから」
暫く老婆は血だらけになったあたしの両脚を、水を含んだ布で綺麗に拭き取って、まじまじとあたしを覗き込んでいる。いくら神の思召しの確認とはいえ、あんまりいい気分はしない。
「確かにアグリッピナ様は、女神メーナ様からの思召しにかなっております」
「女神メーナ様?」
「婦人の月経を司る女神メーナ様。つまりアグリッピナ、あんたは一人前の子供を産める女性になったって事よ」
どうやら私は初潮がやってきたみたい。母は初潮をちゃんと説明してくれた。毎月一回やってくるそうで、そのたんびにお腹がゴロゴロ痛くなったり、身体が怠くなったり、イライラするらしい。だから身体と心の安定を保つ為に、経水が流れる一週間前から、必ず女神メーナにお祈りを捧げるように言われた。
「秘部には麻の布を当て、その上から羊の皮でつくった月経帯を当てれば、麻の布を押さえるので大丈夫でしょう」
「お母様、何だかちっちゃいおしめみたい」
「血だらけになって、漏れてもいいわけ?」
「やだ、格好悪い」
「だったら我慢なさい」
ちっちゃいおしめは、意外にカスチュラにすっぽり隠れてしまった。歩いても、付け根の部分が擦れることも無い。しかし、寝室の外から覗き込んでいる兄カリグラは、あたしの顔と股の部分を何度も交互に見ながら、変な顔をし始めた。
「女って毎月血を流したり、腹の肉から子供産んだり、気持ち悪い生き物だな~」
「その気持ち悪い生き物から、ガイウス兄さんは生まれたんでしょ?」
「誰が気持ち悪い生き物だって?ガイウス!アグリッピナ!」
あちゃー。
お母様は地獄耳だった。もちろん、その後の数日間は、ひっさびさに兄カリグラから"おしめ女"とバカにされていた。全く男って。どうして子供っぽいんだろう?こんな時、男に生まれてれば良かったって思う。
「やっとアグリッピナにも、メーナ様の思召しにかなったのだから、あんたにもそろそろそれ相応の人を見つけないとね」
「へ?お母様、それ相応の人って?」
「そりゃ、あたしも初めての時はびっくりしたわ。随分昔の話だけど」
「いや、お母様。その」
「とにかく、きっちりする事よ。周りの見る目が変わってくるのだから」
「ですから、それ相応って?」
「ふぅ。お金掛かるわね」
お母様は私の質問なんて聞いてない。
当時のあたしは、初潮を迎えた後に、皇族の女性が辿る道なりなんて、全く予想がつかなかった。
「お母様!」
「月経になったからって、もうイライラしているわけ?」
「違います!お母様にお伺いしたい事があるのに、さっきから全然聞いてくださらないからです!」
「何よ?これから忙しくなるんだから。聞きたい事あるなら、ちゃっちゃっと聞いて頂戴」
「それ相応の人を見つけるって、どういう事なんです?」
「はぁ?決まってるじゃない。あんたの夫になる人よ」
「えええええ?!」
うっそーーーー?!
あたし結婚しないといけないわけ?!
嘘でしょう……。
続く