第十五章「狂奔の調べ」第二百七十八話
「大母后リウィア様が、僕を?」
「ええ、貴方にエトルリアの文明や歴史を知りたいんだって」
突然祖母のアントニア様は、クラウディウス伯父様にとって書斎とも言えるインスラへやってきた。
「なんでまた?」
「さぁ?なんでもローマ五代目王の何とかというエピソードの事で、エトルリアに詳しいあんたに色々と聞きたい事があるそうよ」
「......」
クラウディウス伯父様はすぐにピンときた。ギリシャ語に吃音があり、足も引きずるような自分を、わざわざ大母后リウィア様が必要としているのは、自分の今まで調べた密教トゥクルカの知識であると。
「どうしたの?あんた、めずらしく険しい顔なんかしちゃって。大母后リウィア様に会いたくないのかい?」
「いいや、母さん。むしろ、この時を待っていたんだ。ドルスッス様の遺志も、これで報われるんだ。」
「ドルスッス様の遺志が報われるって、どういう事よ?」
しかしクラウディウス伯父様は興奮して鼻息も荒く、自分の今まで調べていた書物をかき集めている。
「クラウディウス!一体どういうことなの?!」
「大母后リウィア様からは、この事は内密にしてくれと言われなかったかい?」
「え?」
「隠してもダメだよ、母さん。セイヤヌスだろう?」
「あ、あんた...。ど、どうしてそれを?」
「僕も詳しく母さんには言えないけれど、ドルスッスさんとは色々と調査をしていたんだ」
「どうしてそんな危険な事を、あたしに黙ってしているの」
「だってこの事を知れば、きっと母さん達は危険な目に遭うんだ。それだけは避けなければ」
「クラウディウス......。あんたって子は」
クラウディウス伯父様は足速に、大母后リウィア様のいるパラティヌス丘へ向かった。
大母后リウィア様のドムスには、職務などをするタブリウヌムという部屋がある。そこにはまるで女性とは思えないほど、膨大な資料や文献などが所狭しと置かれている。大母后リウィア様は常に勤勉な方で、知識こそ知恵を生み出す道具であると考えられていた。さすがのクラウディウス叔父様も、タブリウヌムの部屋には圧倒されている。
「久しぶりね、クラウディウス」
「このような場所に、私が招かれること自体、なんとも不思議な感じがします」
「もっといらっしゃいな、貴方だって私の孫なんですから。さて、単刀直入に話をしましょう」
「それには、大母后リウィア様と私が、二人だけになる必要がありませんか?」
「分かりました。貴方達は下がりなさい」
指示された奴隷たちは静かに頭を下げて、その場から音もなく静かにタブリウヌムから出ていった。
「さぁ、何を知っているのかしら?」
「ティベリウス陛下のご長男であるドルスッス様は、生前不正に膨れ上がっていた公共事業費の調査をされておりました。その中で『キメラ』という名を冠に持つ、奇妙な材木及び資材調達の下請け業者を見つけたのです」
「キメラ?」
「ええ、これが彼らの円紋章です」
「ハゲワシ、蛇、驢馬、そして翼が描かれた珍しい円紋章ね?でもこの下に書かれている文字は、キメラとはスペルが違うわよね?ここの最後がRではなくLよ」
「ええ、ですがこれを、このように並び替えをすればいかがです?」
クラウディウス伯父様がスラスラとパピルスの横に文字を書く。
「ルクモ。エトルリア語ね?」
「そしてルクモは第五代王タルクィニウス・プリスクスの愛称です」
「それで?」
「大母后リウィア様は、もう既にご存じなのですよね?」
一つのため息を。
真剣な眼差しのクラウディウス伯父様に、流石の大母后リウィア様も観念した様子。
「隠しても無駄ね、クラウディウス。あなたのその瞳からは強い遺志を感じます。危険は承知で色々と調査をしていたのでしょう?」
「ええ」
「この間、セイヤヌスがピラトゥスというユダヤ属州の総督になった男から『教祖』と呼ばれ、去り際にある暗号みたいなものを発していたらしいの」
「それはまさしく、彼らの最終目的を込めた、合言葉のようなものではありませんか?」
室内のあらゆる影に揺らめきを与えるロウソクのそばで、クラウディウス伯父様眉間にシワを寄せながら、再び合言葉を唱える。
"我ら、一羽の鷲が主の帽子を持ち去り、その鷲が再び帽子を主に返す事を待つ"
「つまり"我ら"とは"タルクィニア出身のエトルリア人"。"鷲"とはまさしく"ローマ国家"。そして帽子が"ローマの最高権威"を表し、その主こそ、"エトルリア"そのものだとしたら、どうですか?」
「エトルリアによる、ローマ国家奪還とでも言いたいわけ?」
「それだけではありません。このキメラの円紋章に描かれている物には、エトルリア古来から伝わるある者に似ております」
「ま、まさか?!」
「鼻はハゲワシの嘴、髪の毛は蛇、驢馬の耳を持ち、時折、両腕に蛇を巻き付けた姿で表され、大きな翼を背中に持つ魔神。そして、人間のあらゆる心の闇を操ることができる地下世界の悪魔……」
決して開いてはいけない封印を開けられたような、驚愕と困惑と混乱が入り混じる表情で、大母后リウィア様は言葉を発せられた。
「密教トゥクルカ!」
続く