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紺青のユリ  作者: Josh Surface
第十四章「衰勢」乙女編 西暦26年 11歳
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第十四章「衰勢」第二百七十二話

「各人を会食に招いたティベリウスが、最後に広間で一人で立って話をする。その時こそが"ローマ皇帝"の最後だ。いいな?セクンドゥス。時を見計らって、あそこの天井にある岩盤を叩き落とすのだ」

「承知しております、教祖」

「あの大酒馬鹿三人共をここで一網打尽にすれば、我ら密教トゥクルカの新たな時代の幕開けが始まるのだ」

「そして、ついに我々の長い暗黒の歴史に、新たな"エトルリア皇帝"の時代がやってくるわけですね」

「その通りだ!もうローマでは無い。エトルリアという名前がローマを支配するのだ!」


意気揚々としたセイヤヌスは、再び厳粛な顔つきを演じながら元へ戻った。だが、先ほどの陽気な雰囲気は一変して、誰も彼もが静かにしている。いや、むしろ陽気に酒を飲むような雰囲気ではない。ネルウァ様はどうにかして、この雰囲気を壊そうと、戻ってきたセイヤヌスへ陽気に話しかけた。


「おお、セイヤヌス殿。随分と長いお小水じゃったな?」

「大変すみません、ネルウァ様」

「いや、いいのじゃよ。ただ、なぁ?アッティクス」

「ああ......」

「どうされたのですか?」


ティベリウスは膝に肘を乗せ、一点を眺めてずっと黙っている。そして、立ち竦んだセイヤヌスをちらっと見ては、ムスッとしたままである。ひょっとして、セクンドゥスと仕掛けた落盤の罠がばれてしまったのだろうか?奥歯をかみしめながら、必死に震えあがりそうな身体を抑えつけているセイヤヌス。誰もが立ったままの自分だけを見つけている。まるで凱旋式で曝し物にされた、カエサルに負けた蛮族ガリアの長ウェルキンゲトリクスの気分であった。


「座れ、セイヤヌス」

「はい」

「ここに我が息子達とピソがおれば、わしはこれ以上の幸せはなかったはずだ」

「陛下......」


ゲルマニクスお父さまと、ティベリウスの実子ドルスッス叔父様の事である。そしてピソとは、ティベリウスから直々にシリア属州の総督に任命され、四師団とともにシリアへ赴き、父とは対立したティベリウスの親友。後に父の毒殺容疑で断罪され、なぜか裁判途中で不可思議な自決をしてこの世を去った。もちろん、それらはセイヤヌスの策略であったのだが。


「ユリウス家の運命は常に気まぐれだ。神君カエサル様はエジプトの蛇女クレオパトラとの間にしか、男の世継ぎが生まれなかった。アウグストゥス様には、結局世継ぎの男子さえ生まれなかった」

「しかしおぬしはクラウディウス家の血脈だろう?」

「ああ、そうだアッティクス。だがこのわしが養父として振る舞っている身であっても、このユリウスの呪いを避けることは皆無だ」


『公』では、決して感情的にならない牛魔皇帝であったが、『私』では酒を浴びるように飲んだ後に、突然気分が落ち込んで、このような感傷的な時間が訪れる事が多分にあったらしい。


「今夜は飲みすぎじゃ、ティベリウス」

「いいや、聞いてくれ。ネルウァ、アッティクス」


すると、ティベリウスは予定よりも早く、千鳥足のまま立ち上がって広間へ歩きだしてしまった。一瞬焦ったセイヤヌスだが、このまま放っておけば、自分の望み通りにティベリウスを落盤事故と装って暗殺できる。これは好機だ!と捉えた。


「皇族の傲慢さは、市民へ畏敬の念を抱かせるには十分な働きをするかもしれない。だが、真のローマ国家の実務を背負って生きていくには、単なる国庫を無駄遣いする足枷にしかならない。見てみろ、アッティクス!我が家族の女共を。我が息子だったドルスッスの嫁リウィッラは、我が義理の息子だったゲルマニクスの嫁ウィプサニアと犬猿の仲だ。母上も年甲斐も無く、若者一緒になって声を喚き立てる始末。我が友と呼べるピソが、この世から命を絶たなければいけなかったのはなぜだ?女共が原因。まともなのは、我が弟の寡婦アントニアぐらいだ」


魚が泳いだようなティベリウスの指先は、明らかにセイヤヌスを指している。そしてもう片方の指先は、止め処なく流れる涙を覆い隠していた。


「だから、ネルウァ、アッティクス。そこにいる、我が友セイヤヌスを助けてやってほしい」

「??」

「え?」


セイヤヌスは信じられなかった。

あのティベリウスが、人前で恥も外聞捨てて涙を流している。そして何よりも生まれて初めて、自分の仕える主君の弱さを目の当たりにしたのと同時に、生まれて初めて主君に友と呼ばれたのである。それは酒に溺れて、自制を失った"ビベリウス"の姿ではない。ローマ皇帝という重責と激務に曝されながらも、恵まれぬ家族という愛情に飢えている、一人の物悲しい"ティベリウス"の姿であった。


「こいつは真のローマ人だ。厳粛で、我々のように酒を馬鹿みたいに飲む事はない。エトルリア出身の堅物職人と同様。そして何よりも慎重で、常に過信せずに生きている。いずれ、この真のローマ人には、腐敗しきった元老院議員を一掃してもらわねばない。その時には、わしと共に、執政官に任命させるつもりだ」


その言葉は、セイヤヌスの肝を潰す程の驚きを与えた。


「わ、私をですか!?ティベリウス陛下!」

「当然だ。そのために、今日、貴様をここへ呼んでいるのだ。ネルウァから聞いてるぞ。ゲルマニクスの次兄ドルススの面倒も、しっかりと見ているのだろう?」

「あああ、ありがとうございます!!!」


セイヤヌスの全身に流れる血が、まるで逆流するかのように興奮と渇望に飢え始めた。そしてあれほどまでに憎んでいたローマ人に対して、素直に土下座をして感謝をしてしまったのである。それは自分がローマ最高の執政官になれるという淡い期待。エトルリアの地下悪魔トゥクルカに魂を捧げたはずの心に、希望という一筋の希望と虚栄心が光を与えてしまったの。


「我が友、セイヤヌスよ!」

「ティベリウス様!」


二人はヒシっとハグをした。

だが、天井では、密教トゥクルカの信者とセクンドゥス達が好機ととらえて、落盤の罠でティベリウスを暗殺しようと計画を進めていたのである。


続く

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