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紺青のユリ  作者: Josh Surface
第十四章「衰勢」乙女編 西暦26年 11歳
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第十四章「衰勢」第二百七十話

「いいですね?お母様」

「カリグラ……」

「その呼び方はよしてください、僕はガイウスですよ」

「うん、分かったわ。カリグラ」

「ふぅ……。とにかく、ティベリウスお義父さんがいらしても、この前のような事は、決してなさらないでくださいね」

「うん、そうね」


母ウィプサニアの様子は、まるで寝巻きを着せられ、寝床へ寝しつけられる幼い子のよう。ようやく母の頬に兄カリグラが口づけをしたあと、廊下で見守っていた私達の所にやってきた。今夜は祖母のアントニア様もいらっしゃる。


「ありがとうね、ガイウス」

「いいえ、アントニア様」

「今のウィプサニアは、ガイウスの言う事しか聞かないから」

「今夜はアントニア様がいらしてくれたおかげで、母もいつもよりまとものようです」

「そうだと良いのですが…」


私は末妹リウィッラにしがみつかれ、不安そうな眼差しで私を見上げる妹の頭を撫でてあげた。するとリウィッラは、口を閉じ、一生懸命泣きそうなのを堪えている。


「大丈夫よ、リウィッラ」

「アグリッピナお姉ちゃん、本当に?」

「もちろん。いつも元気なあんたがそんなんじゃ、お母様だって心配するぞ」

「うん、そうだね」


母はまるで昔のお母様のように、ドルシッラやリウィッラには優しい気持ちで抱き締めているのに、なぜか私だけは邪険に扱われてた。でも同時に、妹達にはずしりと重い負の部分を、心に乗せられている。長女として複雑な気分だったけど、できるだけ妹達を元気づけさせようとした。


「いらっしゃいませ、お義父様」

「うむ。で?ウィプサニアの様子は?」

「寝室でゆっくり休んでいます」

「そうか」


その行動は意外だった。

前回の会食では、目の前にいる母の存在さえも無視を決め込んでいたティベリウスが、今回は二階の寝室へ直ぐに向かってしまったのだ。私達はてっきり軽食をした後に、義父が母の見舞いをするのかと思っていたので。おべっか嫌いな皇帝らしいと言えば、そうなのだが。兄カリグラは寝室の扉をノックして、母へティベリウスが来た事を告げる。


「お母様?お義父さんを呼びました」


応答はない。

微かではあったが、中からは"タルペーイアの子守唄"のメロディが聞こえる。ティベリウスは兄カリグラに扉をあけるよう命じ、兄はバツが悪そうにゆっくりと扉を開けた。まただ。一昨日と同じように、曲げた膝を抱えながら、身体をゆっくり揺らし、窓際をぼうっと眺めながら、掠れた声で子守唄のメロディを唄っている。


「ウィプサニア、身体は元気か?」


しかし母は義父を眺めたまま、ジッとしている。今日のティベリウスは、いつもよりやけに滑舌だった。


「三男のガイウスは随分大きく、立派に育ったな?一人前にギリシャ語も喋るようになって。もう成人式を迎えてもいい頃だろう」

「……」

「お前の子供達に対する教育の仕方は、本当に良くしていると思う。長男のネロにしても、次兄のドルススにしても、両者の違いはあれど元老院で頑張っている」

「……」


まるでティベリウスは、今まで母へ冷遇していた自責の念を諌めるようであった。ひょっとしたら、ティベリウスの先妻の面影を、母ウィプサニアに見ていたのかもしれない。事実、異母姉妹であれ、祖父であるアグリッパ様の血を引く母と、義父の先妻は誰から見てもよく似ているとのことだったから。


「お前が気を落としていると、遺された娘達も不安でしょうがないだろう。特に長女のアグリッピナは何も言わないかもしれないが、一番お前の事を心配しているとガイウスもいっておったぞ。子供達を愛するならば、元気を出して生きなければ」


すると母は惨めな姿をさらけ出し、ボロボロと涙を流して、胸に詰まった己の思いを哀願として出した。


「それ程までに!私の子供達を心から心配なさってくださるのなら、なぜ、お義父様は、私には同情していただけないのでしょうか?」

「なに?」

「夫のゲルマニクスを亡くしてから七年もの間、ずっと!私は寡婦として孤独を抱えながら生きて参りました。今までにも、これからも私にはずっと慰めが必要だったのです!その気持ちがどんな想いだったか、お分かりになりますか!?」


母は今までとは様子が変わり、激情に駆られていくように、ティベリウスへ哀願をさらに続けた。


「お義父さまは今までずっと、私を勘違いされております!私は貞淑な女でございます!単なる家族の平和を求めるこの子達の母親でしかないのです。この子達にとって養父である貴方を、何故、私が責めることができましょうか?何故、帝位を奪還しようなどと考えられましょうか?」

「......」

「それは全て、私が寡婦であるが故の不幸を生きているからです!世の寡婦達には再婚まで許されております。なのに!何故!?不幸を背負ったこの私には!再婚は許されないのでしょうか?!」


ティベリウスは冷静だった。

そして母の真意を見極めようと、最後まで養父と皇帝の立場を保っているよう。


「ならば、ウィプサニア。初代皇帝アウグストゥスの血を引くお前と釣り合えるような、そんな男達はこのローマにおるというのか?」

「ええもちろん!」

「そいつの名は?」


母ウィプサニアは無邪気に目を輝かす。


「ガイウス・アシニウス・ガッルス様です!」


だがティベリウスは、母に一切の言葉も掛けず背中を向ける。


そして、今までに見せた事のないような、落胆した哀しい瞳をこちらに見せた。その瞳には、母の真意を哀しくも明らかに理解しているようだった。みんなが沈黙する中で、帰宅するティベリウスの足音だけと、母の哀願だけが虚しく鳴り響く。


「お義父さま!!?」


その後、ティベリウスは、母ウィプサニアとは一度も再会することはなかった。


続く

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