第十四章「衰勢」第二百六十四話
夫ゲルマニクスを亡くしてから、母が狂ったもう一つの出来事がある。
ガイウス・アシニウス・ガッルスだ。
母とは異母姉妹であり、ティベリウス皇帝との間にはドルスッス叔父様を儲けた女性は、神君アウグストゥス初代皇帝からティベリウスとの離縁を言い渡され、後にガイウス・アシニウス・ガッルスと再婚する。アシニウスは指導的市民の元老院貴族として名高いが、先妻を忘れられなかったティベリウス皇帝から忌み嫌われていた。母は夫を亡くして、アシニウスは母と同じ面影のある妻を亡くした。コッケイウス家のネルウァ様の後ろ盾もあって、母とアシニウスは結託するが、その間にも、母への異常な愛情を育てていたのだ。
"アグリッピナ、あの男は何度も私を凌辱したの。今、こうして獄死を待つ身になっていたとしても、あの男にされた屈辱だけは、許すことができない……"
だが、当時は自分を支えてくれた貴族達が日々離れて行くことに不安を駆られ、分別も判断もできない状況だったという。たった一度、次兄ドルススお兄様を首都長官にさせただけで、野蛮な獣は母ウィプサニアの弱みに漬け込んでいたのだ。母が狂ったというよりも、狂わされたと言っても過言ではない。
「ウィプサニア、約束は守ってもらうぞ」
「分かっております」
なぜ、母があれ程まで血を吐くほど、毎日毎晩口を洗っていたのか?そして情緒が不安定だったのか?すべては野蛮な獣から母への復讐による欲情が原因だった。
「何だ!?そのストラの脱ぎ方は!?」
「!?」
一度も野蛮な獣へ顔を背けたままの母は、無理やり右手で顎を抑えられて顔を向けさせられた。
「こっちを見ろ、ウィプサニア!」
「はぁあ!」
「お前の顔が見れなければ、この褒美は意味がないのだ!」
「お、おやめください。約束は守りますから、せめて優しく……」
「ふざけるな!」
見事に野蛮な獣は、母の腹部へ拳を叩き込んだ。猛烈な痛みが母の腹部から湧き上がり、胃の中へ錨を落とされたように、恐ろしい重さが床へと吸い寄せられていく。母は呼吸も難しいくらいに息苦しい姿でいた。
「あっっはあああ、うっっぐううう!」
「いい眺めだ……」
「な、なぜ、このような!?あああ、ぐううう!ア、アシニウス様?」
「調子に乗るなよ?雌豚!誰のお陰で、タルペーイアの丘から突き落とされなくて済んでいると思っているんだ!?あん!?この私だ!ガイウス・アシニウス・ガッルスだ!指導的市民と呼ばれる元老院議員のこの私がいなければ!あのトンマなドルススは、今頃首都長官などになれるものか!?」
すると、野蛮な獣は己のトーガを思いっきり上半身へと捲り上げ、母の髪の毛を引っ張り寄せる。生殖と豊穣を司る神プリアポスには及ばなくとも、母の目の前には、おぞましい魔物が脈打ち、母の泉を今か今かと待ち焦がれている。身の危険を咄嗟に感じた母は、口を真一文字に閉じて抵抗したのだが、野蛮な獣は舌打ちしながら左手で母の鼻先を摘まんだ。
「面白い。いつまで息をせずにいられるのか?見ものだな」
口を閉じて悶え続ける母は、何度も言葉にできない拒否を続けたが、それでも魔物は母の口へと入り込んでいく。耐えきれず、咳き込みながら、野蛮な獣の太ももを軽く二三回叩いて、やめるように懇願したとしてもだ。母の若さへ固執する、野蛮な獣の悍ましい欲情は止められない。何度も魔物を飲み込まされ、何度も吐き出し、それでも永遠と思えるほど屈辱を与え続ける。
「ゴホゴホ!うっぐん!お、お願いです、アシニウス様。こ、このような、酷い仕打ちをおやめください!なぜ、こんなことを、するのでしょうか?」
「お前のそれは嘘をつくからな、だから洗ってやるのだ!」
「なぜ、私が嘘をつくというのです?」
「気を持たせるような態度を取りやがって!最終的には拒否をしたではないか!」
「きょ、拒否だなんて!私は夫のいる身です!」
「"夫がいた身だった"の間違いだろう!?
この時やっと、母は野蛮な獣のどす黒い欲情が、最初からあったことを思い知らされたのだ。
「いいか!?私はまるで成人式を迎える前の少年のような、純粋な気持ちでお前に惚れたのだ、ウィプサニア!なのにだ!ゲルマニクスなどという死んだ亡者の伝説を傘にして、この私の誇りを踏みにじるだけでなく、この私の純粋な想いまでも邪険に扱った!」
「そ、そんな事とは、ゆ、夢にも思いませんでした!」
「また嘘をつくのか、ウィプサニア!」
「いやああ!おやめください!うっっぐ!」
母は必死に抵抗したのだ。けれど野蛮な獣は、何度も同じことを繰り返す。ついに力尽き果て、床に倒れて荒い呼吸を繰り返ししている母。目も虚ろになり、野蛮な獣の足元が忙しく動き出すと、突如として再び髪の毛を引っ張られて、トゥニカは引き裂かれる。何度も声にならないほど拒否をするが、野蛮な獣の力は母の両手首を抑え付ける。そして、小さな腰布と胸帯のタエニアも剥ぎ取られ、ゾーナもカスチュラも毟り取られた時には、母は最も屈辱的な言葉を耳元で囁かれるのであった。
「ゲルマニクスを思い出すがいい!この世にはいないゲルマニクスを!」
嘘をつく母のそれは、何度も嫌がって泣き叫んでいた。だが、嘘をつかない母のあれは、何度もよがって足を絡ませていた。あの叫びが拒むためのものだったのか?それとも違う意味の叫びだったのか?耳を塞さぎ、目を瞑って何夜も過ごした私達三姉妹には、到底与り知らぬ想いであった。
続く