第十四章「衰勢」第二百六十二話
母は痛烈にティベリウス皇帝を批判し始めた。それと同時にアシニウス様の立場を利用して、公然と自分の義父によるゲルマニクスお父様の暗殺陰謀説を謳い上げていたのだ。
「いいですか、皆さん!ティベリウスの欺瞞は、すでに皇帝になる前から始まっていたのです!あの女狐大母后リウィアと共謀して、神聖なるローマの血を汚そうとしているのは明白な事実なのです!私達ユリウス氏族は、それこそ被害者ではありませんか!きっと私の祖父であるアウグストゥスも、彼らクラウディウス氏族によって殺されたのですから!」
「何をバカバカしい事を!」
「ウィプサニア、君は気でも狂ったのか?」
「何故大母后リウィア様が、自分の夫であるアウグストゥス様を毒殺するのじゃ?」
「決まってるじゃないですか!自分の息子であるティベリウスを皇帝にして、クラウディウス氏族でこのローマを乗っ取る為です!」
「君はもっと賢い人間だと思っていたが、どうやらそれは的外れじゃな。あのコッケイウス家のネルウァ様が、このウィプサニアから離れる理由もわかる」
「ど、どういうことですか?!」
「さぁ、もう帰ろう。今のウィプサニアは危険過ぎる」
母の妄想に近い被害者意識は、彼女を支持していた元老院貴族や、父ゲルマニクスの部下達を落胆させ、飽きれさせていった。流石に父の神話へ縋っていた母の求心力も、あのアシニウス様を除いては低下を辿るばかり。
「アシニウス!どうして私の語る事が、彼らには分かっていただけないのでしょうか?!」
「ウィプサニア、今日の君は本当に頑張った。君を理解できない彼らが悪いのだ」
「本当に?」
「ああ、本当だ」
母のティベリウスに対する強情な態度は、当然皇族派からも批難された。結果、養子縁組の代表者である義父ティベリウスから、再婚を禁じられてしまったのである。
「一体どうしたって言うんだ?ゲルマニクスの嫁さんはよ~」
「何だって義父から再婚なんか禁止されるんだ?」
「まさか自分の股座で男を掴んで、勢力を伸ばしてたじゃねえか?」
「それはないだろ?」
「いいや、血は繋がらなくとも、家族から再婚禁止を命じられたんだ」
「何がゲルマニクスの清純な妻だ!」
ローマ市民達は父ゲルマニクスの神話を信じているが、母には少しずつ懐疑的になっている。ティベリウスからも三行半を叩きつけられた状況だというのに、母はそれでも狂ったように、今度は私達姉妹へ演説を始める始末。
「いいかい、子供達よ。あんた達の立派なゲルマニクスお父さんを暗殺したのは、あの皇帝の席に堂々と居座るティベリウス!臆病者が母親の力を借りて、私達を虐めて憚りさえもない!」
「でも、ティベリウス皇帝は私達の義父でしょう?」
「アグリッピナ!あんたはまだ分かってないのかい?!そんなものはクラウディウス氏族の連中が勝手にやったことでしょ!ティベリウスは、カエサルの血を引くユリウス氏族ではないのだから!」
「……」
だがこの頃、母を宥めるのは決まって兄カリグラの仕事だった。
「母さん、もうその辺にしましょう」
「ああ!カリグラ!」
「もう、その呼び方はやめてください、母さん」
「いいや。あんたは百戦錬磨のカリグラ様。ゲルマニクスはあんたといれば負け知らずだったのだから」
「あはは……」
「それに比べて!馬鹿の一つ覚えで反抗的な長女に、ヒイコラ召使いのプライドしかない次女、それに未だに甘えが取れない三女!うちの娘どもは、本当に役立たずのボンクラばっかり!」
まるで甘えん坊の赤ん坊をあやすように、兄カリグラは決まって毎晩母を寝かしつけてくれる。一方、三姉妹で特に落ち込んでいたのはドルシッラ。自分が一番まともで母に従順に生きているという自負があるからこそ、母から叱責されることに耐えられない様子だった。
「どうして私はお母様から目の敵にされるのかしら……?」
「ドルシッラ、そんな気にすることないじゃない」
「アグリッピナお姉さんは、自分勝手に生きてるから、私の気持ちなんか理解できないのよ」
「どういう意味よ?それ」
「結局、姉さんは贅沢に生きているの。長女のくせに長女らしいことなに一つやらないで、全部あたしにばっかり押し付けてるじゃない」
「そんな事ない!!」
びっくりした。
私が頭に血が上るより、三女のリウィッラがドルシッラに喧嘩を吹っかけたのだ。
「ドルシッラお姉ちゃんは、自分がまるで一番偉いって言い方だけど!結局、自分の意見を本人に言うのが怖いだけなんでしょ?!だから、褒められて当然って何処かで思ってるけど、結局お母様の事もバカにしてるんじゃない!」
「何それ?!リウィッラ、あんたは少し生意気よ!」
「生意気で結構です!大体、ドルシッラお姉ちゃんは、アグリッピナお姉ちゃんの事を、ちゃんと理解した事もないじゃない!」
「子供のくせに!あんたはそうやって、強い者の威を借る!」
「怯えてるくせに、表で不満しか漏らさないドルシッラお姉ちゃんよりマシ!だってアグリッピナお姉ちゃんは、確かに正直過ぎるかもしれないけど、絶対に本人がいない所で陰口なんかしないよ!一度でも聞いたことある?!」
「!!!」
ドルシッラは悔しくなって、私に牙を向けようとした。けれど、私は敢えて黙り、そしてじっくりドルシッラを長女として見下ろす。すると、彼女は震えながら、それ以上怖くて何もできなく、やっぱり俯いて両手を顔に当てて泣き出してしまった。
「ずるい!ずるいよ!」
姉妹でさえも、こうも性格が違うものだと、改めて気付かされる出来事だったかもしれない。
続く