第十四章「衰勢」第二百六十一話
義父ティベリウスから母ウィプサニアの見舞いを兼ねた夕食会。だが、母の喉を潤したのは、不平不満を表した義父へだけの無口であった。
「お母様、こちらへ」
「ガイウス、ありがとう」
母から感じる怒り肩には、決して視線を向けようともしない強固な態度がある。皇帝である義父が、わざわざ自分の為に見舞いへ来ているにも関わらずだ。
「お義父さんはこちらへ」
「うん」
母は意図的であるが、ティベリウス皇帝は平然と気に食わない相手の存在を無視する事ができる。その態度が、更に母を苛立たせ、次女のドルシッラに向けられる。
「ドルシッラ!」
「あ、お母様。只今すぐに水を用意します」
私が勝気で反抗的な態度を取ることを、母は十二分に知っている。だから、この頃はいつも次女のドルシッラにあたってた。しかしまるで自分の子供を召使いのように扱う母の姿に、義父のティベリウスは飽きれてため息をついている。
「ウィプサニア、もっと自分の娘に優しくできんのか?」
「……」
無視である。
むしろ、義父であるなら、なぜ私を冷遇するのか?と無言で訴えていた。
これでは、礼節を重んじる大母后リウィア様からもお叱りを受けるだろう。ピリピリと張り詰めた空気が、養子縁組である私達家族を漂っている。そんな空気を察し、ティベリウス皇帝の好物である、水で薄めていない葡萄酒を兄カリグラが注いだ。
「お義父さん、これは南の方で取れた新鮮な葡萄から搾取したものです。お味は如何でしょうか?」
「うむ、なかなかだ」
「お母様も如何でしょうか?」
可愛い兄カリグラの気遣いにだって、母親らしい対応もせずに、ティベリウスをジッと睨みながら口を閉ざしている。当然義父もその様子は分かっているのに、まるで平然と母の存在を消している。
「アグリッピナ、母から聞いたが、お前は桃が好きだったそうだな?」
「はい、ティベリウスお義父さん」
「うむ、今日はたんまりと持ってきた。いっぱい好きなだけ食べなさい」
「はい」
「リウィッラは葡萄が大好きだったかな?」
「あ、それは多分ドルシッラお姉ちゃんで、アグリッピナお姉ちゃんに実だけ食べて渡してたそうです」
「ちょっと!ドルシッラ、あんた何で知ってるのよ!」
「え、アグリッピナお姉ちゃんから聞いたから」
渇いた空気にひと時の笑い声が蔓延する。義父でさえも和やかな笑顔を浮かべているのにだ。母はそれさえも気に食わない。まるで周りが楽しむ事は、彼女の不服という火に油を注ぐようなもの。義父そんな頃合いを見計らって、自分が携えてきた果物を、自然な振る舞いで母ウィプサニアへ差し出した。
「……」
誰もが固唾を見守る中、面白くない彼女は、まるで自分が毒殺されるのではと、疑い深い眼差しでその果物を眺め、何も言わず召使いに下げるよう指示をした。決定的な瞬間で、自分の義父が差し出した微かな真心を、しっかりと拒否したのである。
「お、お義父さん?」
「……」
兄カリグラは珍しく、他人に気を使って、ティベリウスが気分を害し帰る背中を追った。だが、母は睨みを利かせる一方で、帰りたければ帰りなさいと無言で座っているだけ。
「いいかいあんた達。あの年老いた背中を忘れるんじゃないよ。あれが私達家族を殺そうとしている、臆病者を露わにした後姿よ」
だが私には、老境に入り孤独の増した、温かみのある保護者の後姿にしか見えなかった。
続く