第十四章「衰勢」第二百六十話
兄カリグラは、恐ろしいほどティベリウス皇帝に低姿勢だった。
「ティベリウス皇帝陛下、いえ、お義父様。このたびは母ウィプサニアの為にわざわざご足労いただき、誠にありがとうございます」
「うむガイウス。っで?ウィプサニアの様子はどうなんだ?」
「芳しくありません」
そう答える兄カリグラに対し、ティベリウス皇帝は珍しく、義父としての横顔を見せていた。
「そうか……。今日はたんまりと、ウィプサニアの好物である果物を用意した」
「ありがとうございます。きっと母も喜ぶことでしょう」
「だといいのだがな、お前に指摘されたように、私は保護者としての責務を放棄していたわけではない」
「はい、重々承知しております。それには、我が祖母アントニア様や、曾祖母リウィア様にも、このような家族の時間を頂けた事には、深く感謝と陳謝しております」
「陳謝?」
兄カリグラの言葉に、鋭い眼光を見せるティベリウス皇帝は、その謙虚にして大胆な態度を瞠っている。
「ええ、お義父さん。本来ならば、母ウィプサニアが自らがアウグストゥス宮殿へ向かわねばならぬところを、このようにわざわざ河を渡り、来て頂いたのですから」
「それ程まで、ウィプサニアは酷いのだろう?」
「はい」
びっくりした。
あの寝小便兄カリグラが、流暢にギリシャ語をマスターして、しかも堂々とティベリウス皇帝と対等に話をしているのだ。それだけではない。母の好物である果物を携えてやってくるように頼んでいた。一体どんな魔法を使ったのかしら?あたしは空いた口が塞がらなかった。
「ウィプサニアは?」
「寝室です」
「そうか、では私はこちらで待つ事にしよう」
今日のティベリウスは皇帝と呼ばれる牛魔まではない。何とも違和感のある、義父であることは確かなのだが、それともどこか違った。
「アグリッピナ姉さん、お母様を呼んでくるから、一緒に来て!」
「う、うん、ドルシッラ」
私はドルシッラに手を引かれながら、母がいる寝室へ向かった。寝室の中では、ベッドから起きて右手の上に自分の顔を乗せ、生気を失ってぼうっとしてる母がいる。
「お母様?ティベリウスお義父様がいらっしゃいました」
「ティベリウスですって?!」
するとドルシッラをキツイ顔で睨みつけ、顔を赤らめて怒鳴り散らした。
「一体誰が呼んだのよ?!」
「ガイウスお兄様です」
「余計な事を!」
母は慌てて自分の身の回りを整えはじめ、器用に後ろ髪を上げながら、薄い唇に加えた紐で縛っていく。
「何をあんた達はボケっとしているの!」
「あ、はい!」
母はここぞとばかりに、自分の弱さを自分の美貌で隠し始め、ティベリウス皇帝へ対抗する手段を蓄えていく。だがそれは、保護者として親心で心配してやってきたティベリウスにとって、まさに逆効果の対応となってしまったのである。
続く