第十三章「兄弟の対立」第二百五十六話
「揺るぎない正義感で、僕自身を救って欲しい…?それはどういう事ですか?」
両腕を後ろ手に回すように、セイヤヌスはゆっくりと辺りを歩きながら、トボトボと語り出した。
「うむ、君には君自身にしか踏み込めない、心の夜があることを知っている。だが、その夜が見せてくれたものは、例え家族であろうとも、人が残酷であるという事だ」
「……」
床に目を落とすセイヤヌスの表情は、少し硬くなり、そして重き言葉を一つ一つ繋ぎ合わせていく。
「私も幼い頃は父親を亡くし、寡婦の母親は、兄をアエリウス氏族の養子にするために、父の死を平気で利用した。死者を弔うことさえも、まるで厭わないような気迫さで」
「母さん……」
「母は焦っていた。自分達の家族を守るとは名ばかり。まるでバッカスに呪われたように、気に入ってもらえる人がいれば、無我夢中であたり構わず媚を売り、気に入らない人がいれば、あたり構わず怒鳴り散らした。次男の私は常に後回しにされ、時にはその存在さえも無視されていたのだ」
セイヤヌスは部屋の天井の隅をじっと眺めながら、力無き自分の幼い頃という草原を彷徨うようだった。
「いつかこの世が安定した世界になればと、私はいつも幼い頃、神殿に釘を打ちながら思ってもんだ」
「釘を打ちながら?」
「あははは、そうか。ローマにはそういった風習は無いな。エトルリアのウォルシニイというところは、古くから終末に対する風習が多くてね。我々は、近くの神殿に釘を打ち続け、打つ場所が無くなった時、私達の世界も終わると信じられてきたのだ」
ドルススお兄様は、知られざるエトルリア歴史の根底を知り、少し肌寒さを感じている。
「だが、その前に内乱がおき、ローマが先祖の街を奪い去ったがな。それでもエトルリア出身の者たちは、心の何処かに終末を恐れて、近くの神殿に釘を打っていたのさ。それはこうやって今でも、私の心の中に重たくのし掛かっている」
「……」
「まぁ君らからしたら、その姿は異様で、嘲笑の対象にしか見えないだろうけどな。その後は君らが承知の事実。ローマ人から追い出されたエトルリアの傲慢王と一緒に、ウォルシニイの民族達も覚悟を共にしたのだ」
寂しそうな横顔を見せるセイヤヌスに、お兄様はすっかり哀れみを感じていた。
「私はそんなウォルシニイを心底嫌った。たかがエトルリア出身というだけで、ローマからトゥスキと蔑まされ、何度も自暴自棄になりそうだった。けれど、兄と母が相次いで死に、養子として引き取られた時に、初めて自分の運命を感じたんだ」
真っ正面から、ドルススお兄様を射抜くように見つめるセイヤヌス。
「せめてローマの皇族として生まれた君だからこそ、世の中の理不尽を正す事ができると思うのだ。親の切り開いた道ではなく、自分自身が切り開ける運命を探して……」
「で、でもセイヤヌスさん。僕にはまだ自分の運命なんて分かりません」
「そうか?彼女がいれば、自ずと分かるのではないか?」
困惑している兄に、まるで安らぎに満ち溢れた微笑みで応え、ある女性を奥から呼ぶ。
「サ、サルビア?!」
「ドルスス……!」
止めどなく流れる大粒の涙を、くしゃくしゃにした顔から流し、抑えきれない感情をそのまま出して、お兄様の懐へ抱きついた。久しぶりのサルビアとの再会に、しっかりと抱き返すドルススお兄様。その横で、セイヤヌスは聖人君主のような寛容さを、偽りの笑顔と浮かべていた。
続く