第十三章「兄弟の対立」第二百五十四話
セイヤヌスはドルススお兄様を自分の別邸まで呼び寄せた。それも母ウィプサニアやアシニウス様には内緒で。
「お兄様、本当に行かれるの?」
「ああ、アグリッピナ」
「やっぱりお母様にだけはお伝えしておいた方が」
「もう、俺は立派なローマ市民で元老院なんだ。首都長官も務めたし、自分の道は自分で切り拓かなければさ」
お兄様は出発の用意をしながら、その横顔は何だか嬉しさに溢れていた。確かにお母様からすれば政敵であったセイヤヌスではあるが、ローマ国家としては、親衛隊であるプラエトリオを総括する、長官プラエフェクトゥスの地位にいる人物。一人前の男として、認められたと、お兄様が高揚するのも無理はないかもしれない。
「流石に一人だけは怖いから、祖母のアントニア様の所にいる、クッルスに用心棒になってもらう」
「ええ?!クッルスが?」
「ああ」
クッルスはお父様とは親友で、私が一人でローマに残り、大母后リウィア様のスパルタ教室へ通っていた頃の用心棒だった。
「あたしも行きたい!」
「ダメだよ。お前はちゃんと長女らしく家で振舞ってなきゃ」
「そんなの妹のドルシッラがもうやってるから、やることないよ」
「勝手に連れて行くわけにはいかないし」
「大丈夫、木登りだってしないし、大人しく静かにしているから」
「うーん」
「ね?お願い!」
「でもな」
「あっしが責任持ちましょう!」
その声はクッルス!
お父様と同じく大きな体格で、同じく豪快な笑い声。思わず抱きつくと、クッルスはヒョイと昔のように抱きかかえてくれた。
「ガッハハハハ!アグリッピナ様は、随分と大きくなりましたな~」
「そう?」
「本当に、とてもお美しくなられた」
「まぁ!昔は美しくなかったわけ?」
「ガッハハハハ!昔は可愛かったのですよ」
「フフフ、ありがとう」
ドルススお兄様も、さすがのクッルスに言われちゃ、仕方ないと諦めよう。絶対に母には内緒にする事を約束させられた。もちろん、既に祖母の耳には入っている。セイヤヌスもバカではないので、公然としてのある名目上でドルススお兄様と面会することになっている。
「さぁ、行こうか」
「はい、ドルスス様!」
セイヤヌスが借りている別邸は、ローマの南東にある、パラティヌスの丘とエスクウィリアエの丘に挟まれたカエリウスの丘の上にあった。カエリウスの丘とは、三代目ローマの王であるトゥッルス・ホスティリウスがアルバ・ロンガを破壊し、アルバからローマに移住した人々が住んだと言われてる。そう、私達ユリウス家にとって先祖であるアルバの貴族が、ローマの貴族として移り住んだ場所でもある。
「随分と殺風景な所ね」
「結構勾配な坂だしな。けれど、それを使ってあそこから、ずっとうまく水道橋を建築すれば、今の十倍、いや、それ以上の水がローマへ供給ができるんだ」
「すごい」
しばらく坂を登り、丘の上まで上がると、何とそこには花を摘むジュリアの後姿があった。
「ジュリア?!」
「アグリッピナ様?」
「何であんたがここに!?」
「あ、今日はお客様がいらっしゃるとかで、別居中の父に突然呼ばれて」
「あはは…」
「アグリッピナ様は、ドルスス様と一体こんなところでどうされたんですか?」
「あんたがお持て成しするお客様が、私達兄妹。エヘヘ~。」
ゴチン!
痛っ。ドルススお兄様からのゲンコツ。
「なーに偉そうにしてんだ?お前は」
「いたたた」
「ジュリアさん、実はアグリッピナは、無理矢理ついて来ただけなんだ」
「やっぱり~」
ジュリアにクスクス笑われながらも、私は心が素直に喜んでいた。お兄様はセイヤヌスの別邸へ、その間、私達は庭園で終始おしゃべりばっかりしてた。ジュリアは心がウキウキしていた。きっと実の父親との再会が久しぶりだったからだと思う。でも、セイヤヌスはドルススお兄様を自分たちの一派へ引き込む為に、そんなジュリアの小さな幸せさえも、無残に踏み潰していたのだった。
続く