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紺青のユリ  作者: Josh Surface
第十三章「兄弟の対立」乙女編 西暦24~25年 9~10歳
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第十三章「兄弟の対立」第二百五十三話

「それ以上私を侮辱すれば!今この場で自分の舌を噛み切ります!」

「クっ!」


母ウィプサニアに唇を噛まれたアシニウス様は、何度か自分の舌で傷口を確かめながら、母を嘲笑した。


「やれるのならやってみろ!今更尊い死を選べるのなら、何故!ゲルマニクスが死んだ時に死を選ばなかった!?」


母にとって鋭いその指摘は、水火の責め苦そのもの。今まで思い込む事で、逃れようとしていた自責の念を突き刺されたのだ。


「ゲルマニクスの子供達を守るためか?否!自分の中に流れる血脈を守るためか?否!ウィプサニア、お前はあの時見ていたはずだ!」

「い、いや!!」

「人々がゲルマニクスを嘆き悲しむあまり!衣服を燃やし、家具を燃やし、そして奴隷の子供達までも燃やし!亡き英雄に生きた人間までも生贄として捧げる神威の力を!あの空高く登る黒煙の、凄まじい脅威な存在を!そしてその中心に自分がいるという虚栄心と契約したのだ!」


アシニウス様の発する魔の言葉を、懸命に母は心で塞ごうとした。だが、見覚えのあり、聞き覚えのある体験は、身体がそれを体現したと事実を語るもの。親から盗んだ硬貨を、盗まれた親から白状しろと問い詰められた時のように、全身が震え、強張り、言葉が喉で詰まり、荒い呼吸が胸を締め付け、そして意図せぬ涙があふれる。


「うう、ああ……!」

「それでもなお、満たされない虚栄心と背中を合わせながら、生きて行くつもりか?」

「あああ、わ、私は……!」

「ウィプサニア、お前の光も影も、唯一救える人物はこの私だけだ。たった一夜の覚悟が、一生の満足を与えてくれる。どうだろう?」


母は、溢れた涙を出し切った時には、ようやく自分の置かれた立場を、抑えきれない自分の欲望を理解し始めた。


「私も馬鹿ではない。君が私に対し愛情を抱かないのは、十分に分かっている。それでも構わないんだ」

「……」

「ウィプサニア、泣かないでおくれ。私は君だけを救いたいんだ」


俯いた母はブツブツと呟いて嘆いている。己の愚かさを、己の軟弱さを、己の満たされない虚栄心を。


「……して、くれますか?」

「え?」

「約束して、くれますか?必ず私の息子を、首都長官に任命させる事を?」

「ああ!もちろんだとも!」

「それならば、約束は、約束でお返しします」


するとアシニウス様は天をも登るような喜びを表していた。だが、母の心は沈みきった太陽の如く。二人はこうして、誰にも言えない秘密の約束をした。


「なるほど、改めて見直すと、ドルススの青写真は悪くないな」

「このローマに新たな水道橋を二つ設けるのか。確かに水の供給は、浴場の需要を満足させてはいないな」

「ピタゴラスの定理を使った国財転用の計算式と、アルキメデスの静力学を使ったテコの原理か」

「これならば今までのヴィルゴやアンシエティーナの水道橋より、二倍や三倍の高さでも建築可能だ」

「ウィプサニアに躍らされた、ネロとは違った黒馬がここにいたとは」

「ネルウァも、とんだ次男に穴を開けられよって」


ドルススお兄様の青写真は、精密かつ正確であった。長男ネロの神威ばかりを求めようとする、浅はかな偽りとは違っている。元老院はいつの時代でも、実直で制御の効いた若者を好む。そして何よりも、現皇帝ティベリウスの好みそうな内実を秘めてるように見えた。これならば、母を禁じた皇族保守派に反発する、ゲルマニクス伝説を慕う人間達にも言い訳が立つ。


「ドルススか……」

「はい、ティベリウス皇帝陛下。あの若者は、神威や名誉を求めるネロよりも、立派に職務を全うしております」

「執政官の下僚である国家財政の監督クァエストルでありながら、兄のネロの野望には一切の目を向けずに、これら全てを独学で作り上げたのです」

「それに次男であれば、カエサルの血を引くユリウス家の神威を持ち上げたとは、少なくとも直接は思われますまい」


しかしセイヤヌス一人だけは難色を示している。


「陛下、ウィプサニア一派は今まであらゆる手を尽くして、次期帝位継承者の地位を望んできました。今回も罠ではないかと」

「果たしてそうだろうか?セイヤヌス近衛長官殿。一度、このドルススに会ってみて、本人の性格の良さを体現されてはどうだ?」

「うむ。元老院議員の方々の仰る道理が、ここにはありそうだ」

「しかし、ティベリウス皇帝陛下!」

「首都長官は、元首である私の家族、それも若い男子から選ばなければならない。亡きドルスッスの双子の息子ティベリはまだまだ若過ぎるし、ウィプサニアの三男のガイウスも、成人式を迎えておらずまだまだだ」


こうして、ネロお兄様を排除した消去法の選択で、次兄のドルススお兄様は選ばれた。華やかな舞台で少し照れ臭そうにはにかむドルススお兄様。けれど首都長官の責務はしっかりと全うし、ネロお兄様とは違った印象をローマ市民へもたらしたのであった。


続く




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