第十三章「兄弟の対立」第二百三十八話
「ネ、ネロ兄さん?!」
「え?!」
「ど、どうして?!」
だが、正義感溢れる長男のネロお兄様が放つ眼光は、鋭く占い師のハルスペックスとサルビアを突き刺していた。
「アグリッピナは、ユリウス家の長女だ。貴様らトゥスキの奴らには指一本触れさせない」
「また、トゥスキと言いましたね?」
「貴様も、その娘も、動物を無駄に殺して見世物のような占いをする薄汚いトゥスキ共だ!」
ネロお兄様が発したトゥスキという言葉は、当時のエトルリア出身者に対する差別用語だった。
"トゥスキに帰れ!"
"この門から、トゥスキ共を追い出せ!"
"ローマの王は、ローマのものだ!トゥスキの奴らには、好きにさせやしない!"
エトルリア出身で、王政時ローマにおける七代目の『傲慢王』ルキウス・タルクィニウス・スペルブスを追い出した時、ローマの人々はエトルリア人を『古い国の人間』という侮辱した意味を込めて、トゥスキと差別した。既にエトルリア出身の者達も、今では充分にローマ人として帰化してるのだが、当時に敢えてその差別用語をエトルリア人へ使う事は、精神的なローマの聖域であるポメリウムを穢すなという意味も含まれている。
「こまりましたね。確たる証拠も無く、ローマ人として認められた私を差別されちゃ、占い師としての私も商売あがったりだ。その差別用語を撤回してくれませんかね?」
「そ、そうですよ。私だっては執政官を立派に務めあげたルキウス・オトの血を引く家族ですよ!」
「ルキウス・オト様もエトルリア出身のトゥスキじゃないか。貴様らトゥスキに占ってもらわなくとも、我々皇族にはト鳥官のアウグルがいる。アグリッピナ、ドルスス、帰るぞ!」
私はあれよあれよと、ネロお兄様に腕を掴まれてしまったが、ドルススお兄様は下を俯きながら、ネロお兄様が引っ張る腕を引き千切るように追い払った。
「お、おい!ドルスス?」
「随分勝手な言い草じゃないか!ネロ兄さん!僕の恋人サルビアをトゥスキなどと呼びやがって!」
「何を言ってるんだ?」
「サルビアに謝れ!」
「アグリッピナが嫌がってたのを、お前はちゃんと見てなかったのか?!」
「嫌がってなんかない!なぁ?アグリッピナ」
私は困ってしまった。
確かに嫌がってて、ドルススお兄様はサルビアと仲直りしたいがために、私の事は見て見ぬ振りしてたけど、でも、だからってネロお兄様とドルススお兄様には喧嘩をして欲しくなかった。だが、ネロお兄様は分かっていた。
「ドルスス……。お前はアグリッピナの兄貴として最低だよ。」
「何がだよ!」
「見てみろ妹の腕を。大人の手に掴まれても、必死に嫌がってないと言うなら、何でこんなに真っ赤になってるんだ?」
確かに痛かった。
結構なアザになりそうな、強い力でハルスペックスには掴まれていたと思う。
「サルビアに嫌われたお前の会いたい気持ちは分かるが、妹を餌に使うなんて、ローマ男性として最低な事だぞ!」
言われっぱなしのドルススお兄様は、歯ぎしりしながら俯いてる。
「ネロお兄様、もうやめて。ドルススお兄様だって、私を愉しませようとしてくれたのは本当なんだから」
「アグリッピナ、お前は黙ってなさい」
「どうして?」
「これはローマ男性としての誇りの問題なんだ。ドルススはお前を餌にサルビアと会おうとした、それは最低な男がやることだ」
でも私はどうしても、ドルススお兄様の味方をしたかった。だってドルススお兄様は悪くないもん。
「でもネロお兄様!ローマを建国したローマ男性達だって、お祭りをエサにサビニ人の女性達を略奪したじゃない」
「余計な事を言うんじゃない、アグリッピナ。それとこれは別だ!黙ってなさい!」
「嫌だ!ドルススお兄様は、悪くないもの!」
「お前達二人は何も分かってないんだ!」
「ネロお兄様こそ!ドルススお兄様の気持ちを、全然分かってらっしゃらない!どんな想いでドルススお兄様がサルビアさんに会いにきたのか、考えられたことあるんですか?!」
本当はサルビアが一番悪い。
ドルススお兄様にもっと優しくさえしてあげれば……。
「二人ともうるせぇ!それ以上言ったら、俺が惨めになるだけじゃねぇか!」
私達二人をまるで敵でも見るかのように、ドルススお兄様は歯茎を剥き出しにして憤慨されていた。
続く