第十三章「兄弟の対立」第二百三十三話
根が真面目で、いつも母ウィプサニア想いである長男のネロお兄様。そして、根が素直で、いつも気遣いのある次男のドルスッスお兄様。本当に私はお二人が大好きで、二人とも私にとって大切な存在。
でも、強固な姿勢で政権奪還しようとする母によって、お二人の思想と意見は真っ二つに分かれて衝突し、やがて対立を生んで決別していく。当時の私は何もできず、争う姿を見ることも辛く、心が二つに引き裂かれていく思いだった。今でも彼らの悲運を思い出す度に、無力だった自分へ後悔という大波が押し寄せてくる。きっとローマ市民や後世の人達にとって兄弟の対立は、家族同士の醜い争いにしか見えないだろう。でも、せめてお兄様達の名誉の為にも、彼らの遺した手紙や日記、そしてローマに遺された日報や遺書を頼りに、決別までに至る事の真相を正確に書き残そうと思う。
ひょっとしたら対立の正体なんて、些細な誤解と、得る事のできない小さな優しさから、生まれているのかもしれないのだから。
「ただいま!アグリッピナ」
「お帰りなさい、ドルスス兄さん」
母ウィプサニアがコッケイウス家のネルウァ様より用意された庭園のある別邸ヴィッラ。とっても広い庭園の傍に私はドルスス兄さんの帰りを待っていた。今日は元老院にて、アシア属州の保護者として感謝の演説を行なったネロ兄さん。そのお姿を見られたドルスス兄さんは、一目散に帰ってきてその様子を話してくれた。
「ネロ兄さんは本当にすごかったんだぜ。多くの重鎮がいる元老院の中で、決して言葉もつまることなく、気後れなんかもしないで、アシア属州の保護者として堂々として感謝の言葉を述べたんだ」
「へぇー、すごい。」
「あんなに難しい言葉をスラスラ話してて、もうびっくりしちゃった。お前にもあの凛々しい姿を見せてあげたかったよ。」
私も確かに見たかった。しかし、ローマの女性はもちろん、幼い子供はローマの元老院の中に入ることは許されていないから見れない。それにしても、なんでネロ兄さんはアシア属州の保護者なんだろう?私は挙手をしてドルスス先生に質問した。
「ドルスス兄さん先生、一つ疑問です」
「はい、そこのアグリッピナくん」
「あの、どうしてネロ兄さんはアシア属州の保護者になれたの?」
「うーん、それは前に聞いたことがあるんだよな。たしか、コッケイウス家のネルウァ様からの口添えがあったみたいだよ」
「ネルウァ様の口添え?」
「うん。たしかネルウァ様のお父様は、以前一度だけ執政官を務められてて、その後にフリギアのアシア総督となられたそうなんだ。ネルウァ様ご自身も四年前に補充執政官になられているから、そういった流れからネロ兄さんはアシア属州の保護者になったんじゃないか?」
「なーんだコネか」
「そんな言い草はないだろう?アグリッピナ。コネであろうと何だろうと、その器のある者でなければ、大変責任のあるその職責は務まらないよ。もちろん総督に比べたら大したことはないかもしれないけど、それでも属州民とローマ市民からの重圧は想像するに耐えられないかもしれない」
「ふーん、そうなんだ」
そんなこと言われても、乙女の私には実感がまるっきりなかった。なので、またしても鼻で答えるしかない。だって、分からないものは分からないんだもん。
「そしたらドルスス兄さんだって、どっかの保護者になれるんじゃない?」
「どうだろうな、そうなれたら嬉しいけどさ」
「大丈夫なの?ちゃんと話せるの?」
「あ、こいつ偉そうに、ドルスス兄ちゃんの事を心配しやがったな?」
「だって兄さん時たまずっこけるじゃん。鼻水も垂らしてたし......」
「まぁ確かにそんな時期もあったな。って、鼻水の事は内緒だって」
「えへへへ」
「あ、そうだ!アカエア属州の保護者になってあげようか?
「どうして?」
「確かお前の惚れてたアラトス王子って、アカエア出身だったよな?」
どうしてドルスス兄さんが知っているわけ?
もう、アラトス王子を思い出しただけで、顔が真っ赤に火照ってちゃうじゃない。
「な、なんの事?」
「もしお兄ちゃんがアカエア属州の保護者になれたら、お兄ちゃんに会いに来るふりして、アラトス王子に会いに行けるじゃん」
「ああ、そっか。」
アラトス王子に会えると思えたら、私の心はワクワクしてきた。
「やっぱりな」
「あ!」
「暴露しろアグリッピナ、お前の初恋の相手など既にお見通しだ」
「もう!それって誘導尋問です」
「あははははは」
のんびりと私達が話していると、そこへ数十名の男性達による人影ができていた。
「うん、ここだな」
「確かにここだ」
「?」
「貴方様は、英雄ゲルマニクス殿の息子でありましょうか?」
私とドルスス兄さんはお互いを見つめて、それから兄さんが答えた。
「はい、僕は次男のドルスス・カエサルです」
「おお!そうでしたか。そうすると、お隣にいらっしゃるのは……」
「長女のアグリッピナ。ユリア・アグリッピナです」
何と彼らはお父様の元部下達で、母ウィプサニアの為に政権奪還の協力にやってきたのだ。
続く