第十二章「落命」第二百三十二話
次期皇帝継承者であるドルスッス叔父様が亡くなり、偶然にも母ウィプサニアの思惑通りにローマのバランスが傾く。
叔父様の長男ティベリ・ゲメッルスはまだ幼く、クラウディウス氏族の皇族派からは、次期帝位継承者として器に見合った存在が皆無であった。そこで元老院の少数派である英雄ゲルマニクスお父様の崇拝者達が、ユリウス家の長男であるネロお兄様こそが、次期皇帝継承者として相応しいと主張し始めたのだ。もちろん私達ユリウス家は、ティベリウス皇帝陛下を父として養子縁組になっているので、法の目から見ても至極正当な主張である。そしてそれは皇帝ティベリウスと元老院との間で、互いの意見が噛み合わなくなる始まりとなり、後々の牛魔皇帝による恐怖統治をも生むキッカケになる。
「元老院諸君、並びにローマ市民達よ。以前、ティベリウス皇帝陛下は『法の前には、万人は平等均等に権利を有するもの』と仰せられた。現在、次期皇帝継承者亡きローマ国家において、神君カエサル様の正統な血筋を引く者へ、平等均等に新たな職責を加えることは時期早々とは思えないであろう。」
「その通りである。英雄ゲルマニクスの長男であるユリウス家のネロ・カエサルにこそ、新たな職責を携える事で、ローマの平等均等さを体現できるではなかろうか?」
「我々元老院は各地の属州に対して、この強大なローマ国家の行く末に、不安要素となるような雨雲を留まらせてならない」
「その通りですな、アシニウス殿。すでにネロ・カエサルにはクァエストルである財務官になっている。若くしてなおも努力を怠らない彼の姿勢からも、手堅いフリギア及びアシア属州の保護者などはどうだろうか?」
「賛成!」
「賛成だ、賛成!」
古代名称であるフリギアは、あのトロイア戦火近くのアシアの諸市が並ぶ場所である。元老院からの提案は、お父様の神話を崇拝する達の力も手伝って無理なく可決された。もちろん今回もまた、影で元老院達へ根回しを行ったのは、コッケイウス家のネルウァ様。私達家族はささやかながら、ネロお兄様のお祝いをした。
「おめでとう、ネロくん。」
「ありがとうございます、ネルウァ様」
「そなたはとても素直で良い子じゃ。これからもお母様のウィプサニアを支えてあげなされ。明日のローマ国家を担うのは、そなた達のような若い世代の志なのだから」
「はい!」
「ネロ兄さん、おめでとう!」
「おお、ドルスス。ありがとう!」
「やっぱりネロ兄さんは家長だけあるよ。僕なんか足元にも及ばないや」
「いやいや、ドルススくん。そなたにも立派にローマ国家の為に尽くせる時期がくるはずじゃ」
「はい!」
二人の両肩を抱いてるネルウァ様の後ろで、母ウィプサニアは珍しく謙遜した様子で立っていた。しかしネルウァ様は母の姿に気が付き、そっと耳打ちをしている。
「ウィプサニアよ、風向きが変われば流れに合わせて、その力を使わない手は無い。ティベリウスの実子ドルスッスの死に対して、慎んで悲しむ暇があるのなら、己の置かれている立場を改めて見直すことじゃ」
「私の置かれている立場を?でしょうか」
「そうじゃ。ゲルマニクスの神話に対する妄信的な人間が増えつつある今、次の帝位継承者の為に何が必要なのか?アシニウス殿と共に考察してみるのも良いじゃろう」
「しかし、大母后リウィア様の手前上、目立った行動は控えるべきかと」
「ほほほほ。時に大体な行動によって、その流れが我が物となる事もあるじゃろうて」
後日、ローマからの恩恵に対する感謝の意を込めて、属州アシアからある提案が出された。それはティベリウス皇帝と大母后リウィア様、そして元老院を奉る神殿の建立であった。この法案はすぐに成立され、属州の保護者であるネロお兄様は、元老院でその感謝の演説を行なっている。そのお姿は、亡きドルスッス叔父様を思い起こさせるには十分なほど、誠実と自信に満ち溢れた次期皇帝継承者の自覚を表したものであったという。
だが運命は、更なる身近の命を落とす起因へと、全ては集約されてていくのであった。
続く