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紺青のユリ  作者: Josh Surface
第十二章「落命」乙女編 西暦23~24年 8~9歳
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第十二章「落命」第二百二十五話

「あの人を殺すわ…。」

「…。」


長い月日であった。

いつもとは違う表情のリウィッラ叔母様から、その殺意を引き出すための道のりは長かった。セイヤヌスは慎重な男だけに、驚愕しているふりをして受け止める。


「それは、本当か?」

「ええ。」


北風さえも凍てつく返答。

本物だ。どうやらリウィッラの心境の変化は、今までのような愚かな女の心変わりと違う。今まですがっていた希望が絶望になり、微かな愛情には憎悪が君臨したのだ。だが、それでもなお、セイヤヌスは慎重な男。


「どうやって?」

「短剣で後ろから一刺しよ。」


駄目だ、生ぬるい。

ドルスッスは幾多の戦場を潜り抜けてきた男だ。我が密教トゥクルカへ潜入した時も、信者どもの刃などは軽々と交わしていた。今のリウィッラにある殺意などはすぐに警戒される。素人は、その怨念を対象物へ刃で現したがる。だが、玄人はそんなヘマはしない。殺すなら、今までリウィッラが知らずにドルスッスへ蓄積させていた毒で、最期のとどめを喰らわせればいい。そのためにわざわざドルスッスの宦官奴隷リュグドゥスを騙し、リウィッラの侍医エウデモスに欲望の餌を与え、我ら一派に取り込んだのだから。さて、リウィッラ自身に毒を盛らせる手立ては何が有効であるか?真逆の行動に一つ出てみるか。


「リウィッラ、それはやめた方がいい。」

「いいえ、やめないわ。私は分かったの。貴方が以前に言っていたことが真実であり、彼らが私を裏切らなくともいずれこのような結果になることが。」

「お前は自分の夫を愛しているのだろう?」

「はぁ?愛ですっって?今更何を言ってるの。そんなものはとっくに、いや、最初から存在してなかったのよ。」

「…。」

「あの人は、前の旦那を喪った私を憐れむだけで結婚したの。ゲルマニクス兄さんがいなければ、きっとあの雌豚ウィプサニアと一緒になることしか考えていなかったはずよ。」

「だが、お前とドルスッスは夫婦じゃないか。」

「夫婦ですって?所詮は他人同士の契りでしかないじゃない。あの人は私を侮辱して殴った後に、女神ヴィリプラカの神殿までウィプサニアと出向いて愛を囁いたのよ!」


愚かなりドルスッス!

さすがはエトルリアの地下神トゥクルカ様だ。人の根底にある弱気心は不変である。マザコンのローマ人は見事に、母親の面影を引きずりながらヘマをした。だが、それでもだ。慢心してゲルマニクスやその家族を侮った、ピソの二の舞にだけはなってはならない。笑いたい、心から笑いたい。だが、それはことが済んでからの褒美だ。


「ならば…。その愛とやらを、確かめてからでも遅くはないだろう?」

「だから、そんなものはとっくに…!」

「いいから聞いてくれ。ここに赤い袋に入った薬と、青い袋に入った薬がある。赤い袋には性欲を奮起させる薬があり、そして青い袋には致死量に達する薬が入っている。ドルスッスを殺す前に真実を確かめてから、ゆっくりと自分の意思でどちらかを選択すればいい。もし、リウィッラ自身が思いとどまるのなら、どちらも渡さなければいいだけだ。」

「…。」


セイヤヌスの取り出した二つの袋を、叔母リウィッラはジッと眺めている。彼女にとってこれが、正にルビコン河であるかのように…。


「リウィッラ、私は決して世間様に誇れるような人間でないことは、重々自分でも分かっているつもりだ。だがな、私の言葉によって、お前自身が人の道を外れて不幸になることだけは、どうしても避けて欲しいと願っている。それでも避けられようのない憎しみを抱くというなら、決して人道的に思いとどませることなどしやしない。」

「トカゲのあんたが、今更何を!」

「何とでも言え。トカゲであっても五分の秩序くらいは人並みにある。これが、単なる肉欲だけでお前を抱いてきたことではない、私からの誠実な愛情表現だと思うがいい。」

「肉欲だけでは…ない?」

「ああ。それが愛なのか何なのかは、お前だけにしか分からない事だがな。」

「セ、セイヤヌス…。」


潤いを増した叔母リウィッラの瞳は、純真にセイヤヌスへと向けられている。セイヤヌスもまた、目を細めて叔母リウィッラを憐れむように見つめている。それが本当は演技であったのに。憐れむ瞳に堪えられなくなった叔母は、現実から目を背けるように視線を外していた。


「さようなら、私のリウィッラ…。」


静寂した叔母の寝室へ轟かせるように、セイヤヌスは背を向けてその場を静かに立ち去った。後悔を響かせたセイヤヌスの言葉は、叔母リウィッラへ更なる重圧と決断を与えている。卑怯な男だ。性根まで腐り、人の弱い部分をどこまでも鷲掴みして握りつぶす。希望を失い、絶望の淵で夫への殺意に芽生えた叔母リウィッラを、これでもかとさらに苦しみを与え続けていく。そして、セイヤヌスは、心の中で口が耳元まで避けるほど、腹を抱えて笑い転げていたのだ。


「セイヤヌス、私は…。」


そして、叔母リウィッラは薬の入った袋を手に取った。


続く


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