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紺青のユリ  作者: Josh Surface
第十二章「落命」乙女編 西暦23~24年 8~9歳
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第十二章「落命」第二百二十四話

リヴィアは激情に駆られた。

駆け足で、何度も何度もローマの石畳の道のりを走り抜け、叔母様のいるドムスへ息も荒く向かっていた。ネロ兄さんが寝言で呟いた母ウィプサニアと叔父ドルスッスの密会は、まるで自分の心臓をかき乱すような恐ろしい竜巻を生み出すような勢い。実の母に対する特別な想いだけが純粋だからこそ、そのためなら得たものだっていくらでも捨ててまでする。


「許さない!お父様も!」


実の母を傷つける者は容赦しない、それがリヴィアにとって例え実の父親であってもだ。私だってリヴィアの想いが分からなくもない。けど、けど、どうして叔母様にそんな事を告げてしまったのよ。高慢ちきで馬鹿なくせに!あんたはそんな性格だけでも十分リウィッラ叔母様から愛されていたじゃない...。


叔母様のドムスへリヴィアが到着するころ、入れ違いに出てきた黒い影の男とぶつかってしまった。


「きゃ!」

「気をつけろ。」

「ご、ごめんなさい。」


地面に尻もちをついたリヴィアが見上げると、そこには顔まで黒衣を被った三人の鋭い眼光が、リヴィアの全身を矢のように突き刺していた。異様な空気と殺気に包まれたその三人の姿は、まるで人間のそれには感じられない。


『殺るか?』

『待て、リウィッラの実の娘だ。』

『だが、我らの姿は目撃された。』

『皇族の身近な人物の殺生は、可能な限り避けろと教祖のお達しだ。』

『それがトゥクルカの意志であるならば。』


黒衣の三人はその場では何もせずに離れていく。だが、先ほどぶつかった拍子に小さい黒い硬貨を落としていた事には気がつかなかった。唯一リヴィアだけがそれに気がつき、その黒い硬貨を奇妙な面持ちで拾ってみせると、それはローマで使用されている硬貨ではなく、また黒光りした異様な文字で削られていた。


「Chu...me...la...。キメラ?何かしら。」


でも黒衣の三人の後を追って、黒い硬貨を返すことだけは直感で避けた。彼女が拾ったその硬貨を直ぐに、クラウディウス叔父様へ渡してさえいれば、その後に起きた悲劇はきっと避けられたかもしれない。リヴィアは馬鹿なことにも、自分の感情を優先してしまった。


「お母様...。」

「あ、あら?リヴィア、どうしたの?」

「今の誰なのですか?」

「え?な、何のこと?」

「今さっき玄関から表へ出て行った三人組がいたけど。」

「あんたの気のせいじゃない。」

「ふーん。」


だが、ドムスの部屋を揺ら揺らと照らしているロウソクを見つめていると、夫のネロ兄さんが呟いた衝撃な言葉が憎しみと共にぶり返してきた。許せない、お母様を傷つけるお父様が許せない。


「それよりも、こんな夜中にどうしたの?」

「お父様はまだお戻りでないのですか?」


明らかにその質問に動揺するリウィッラ叔母様。きりっと細い眉毛で眉間にしわを寄せて、その嫌悪感を溜息交じりに表していた。


「あんな人、今日も帰ってきやしないわよ!」

「お、お母様...。」

「あんたは皮肉の一言でも伝えたくて、わざわざこんな夜中にやって来たっていうわけ?」

「ち、違うのお母様...。」

「それじゃなんなの!?」

「お母様、怒らないで。私はお母様の事が本当に心配で。」

「なんなの!?」


恐ろしい剣幕で迫る実の母親の姿に、リヴィアは身体の全身で感じていた。リヴィアにとって自分の母は絶対主。そして己の性を身体の中心から感じる女性であって、原理主義者よりも盲目的に崇拝しているのである。だからこそ、縛られた者たちにとって、禁断という蜜は極上の快楽へと変わる。母を崇拝し守りたい気持ちとは裏腹に、母を困らせることで、その姿を見ながら自分だけを頼り愛してほしいとも。


「お父様は、アグリッピナの母親のところでしょ?」

「はぁ?!あの人があんな雌豚のところにいるわけないでしょう?!あんたは私がウィプサニアよりも魅力がないって言いたいわけ!?」

「違うわ、お母様。」

「じゃあ何なの?!あんた、答えによっては例え親子でも承知しないよ!」

「だ、ネロ様が見たの...。」

「え?み、見たって、何を?!」

「ネロ様の母親と、お父様が愛を囁いていたことを...。」


激しく葡萄酒のグラスが割れる音が鳴り響く。

認めたくない事実、叔母様にとって特有の拒絶反応。自分が疑惑を抱く分には構わなかったのだが、自分以外の人間に、その疑惑が事実として突き付けられることには耐えられない。それはどこかで、ドルスッス叔父様がそうであってほしくなかったという想いがあったからだ。その怒りは直ぐにリヴィアへ向けられ、彼女の頬が何度も叩かれる結果となっていく。


「嘘よ!あんたは自分の母親を不幸にして楽しいわけ!?」

「痛い!お母様、痛い!許して!」

「いいえ、許さないわよ!今日という今日は!絶対に許さないわよ!下らない嘘なんかついて!」

「嘘じゃないわ、お母様!痛い!だって、ネロ様は!女神ヴィリプラカの神殿で、自分の母親ウィプサニアとお父様が手を取り合っている姿を見たのだから!!!」


リヴィアを叩いていた手は止まり、叔母様の中で何かの糸が途切れてしまった。

それは今までしがみ付いていた希望だったのかもしれないし、元に戻れる幸せの居場所が、ご自分の旦那にある誠実さだったのかもしれない。例え自分がセイヤヌスと不義を交わしていたとしても...。心のどこかでそれを望んでいた。それが途切れてしまったのだ。

そして目の前が本当に真っ暗になると、事実は喜劇を見るように、あっという間に自分を笑い飛ばされているようであった。崩されてしまった叔父様への期待という最後の誠実さは、叔母様の心に存在するあらゆる気持ちを激高させ、痛憤へから憤怒へと変化を繰り返し、ついには憎悪という強大な一つの感情へとなってしまった。


「はははは、女神ヴィリプラカで、はははは、二人が...?」

「ええ、そうです、お母様。」


ご存じのとおり、女神ヴィリプラカとは夫婦喧嘩をしたローマ市民達にとっての仲直りの女神。その神殿には夫婦の契りを交わした者しか入ることは許されていない。なのに、その神殿の中で、夫婦でもない母ウィプサニアと叔父ドルスッス様が愛を囁いていたとなれば、それは叔母様にとって、叔父様から夫婦の契りを蔑ろにされたも同然になる。


「一か月前の、三の日に...。二人は女神ヴィリプラカで...。」

「はははは、そのときって、私を殴った日じゃない!あの人は私を殴った後に、しつこく女神ヴィリプラカ神殿へ一緒に行くように勧めてきたわ!私が断ったからって、なぜ、あんな雌豚と一緒に行くわけ!?」


嫌悪の捌け口は今すぐ見つからなければ気が済まず、叔母様の振り上げた怒りの拳は、再び娘のリヴィアへまっすぐ向けられていた。


「本当に、本当にお母様を愛してるのは私だけなのに...。」

「なにを馬鹿なこと!」

「お母様だって分かってたでしょう?!お父様が本当は、お母様を愛してらっしゃらないことを!」

「!?」


目を瞑って叫んだリヴィアの事実に対し、叔母様が握られた拳は骨抜きになって静かに落ちてゆく。そう、自分でも逃げていた寂しさや孤独は事実だったのだ。


"やがて貴様は気が付くだろう。自分の不幸が招いた結果に。自分が他人を信じられない状況に、悩み苦しみ、己の欲求の捌け口を探し始める。まるで埋められない穴を見て見ぬ振りしている様に...。"


「はははは、これで、トカゲの言ったとおりになったわ...。」


ドルスッス叔父様への希望を失ったリウィッラ叔母様は、こうして自分の夫を毒殺する決意をした。


続く

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