第十二章「落命」第二百二十三話
悲劇は高慢ちきのリヴィアの密告から始まる…。
長男であるネロ兄さんの妻は、ドルスッス叔父様とリウィッラ叔母様の長女リヴィア。幼い頃は一緒に大母后リウィア様のスパルタ教室に通っていて、高慢ちきな性格で苦手なタイプ。そんな彼女にも、誰にも打ち明けられない秘密があった。それは実の母親に対する服従にも似た異常な愛情を持っていたこと。
一時期リウィッラ叔母様は、母ウィプサニアと険悪だった私に対して、実の娘のように優しく接してくれていた。フレスコ画での透視図法を教えてくれた事もあったのだが、長女の高慢ちきリヴィアはそれが気に入らなかったらしい。自分は心優しいネロ兄さんと結婚したくせに、私に対しては実の母親を奪われたような想いさえも抱いていたようで。しかし叔母様がセイヤヌスと不義を重ねているうち、母ウィプサニアとも赤ら様に対立していくと、私達からも自然と距離を置くようになっていく。それにより、ようやく実の母親を独り占めできるかのように、高慢ちきのリヴィアはここぞとばかり甘えていた。
「お母様、今日は具合が良くなった?」
「何だよ、リヴィアか。あんたあんまりここに来ちゃダメだって言ったろう?」
「どうして?お母様は最近家に篭ってばっかりで表に出てないし、私はお母様が心配なの。」
「実の娘に心配されちゃ、あたしも母親失格だわ。」
「ううん、そんなことない…。」
リヴィアは物欲しそうに母親であるリウィッラ叔母様の腕にしがみついた。そんな姿を見兼ねたリウィッラ叔母様は一つため息をついては呆れてる。
「ふぅー。ったく、あんたの甘えん坊は本当にいつまでたっても治らないね。」
「だって、お母様の側にずっといられて嬉しいんだもん。」
「あんたの愛しいアポロ様はどうした?」
「あれは別だって。」
「あれって、あんた自分の旦那のネロくんのことをそんな風に言うもんじゃないの。」
「いたっ。お母様、わざわざおでこ叩かなくたって…。」
「ネロくんは根がとっても優しくて繊細なんだから。」
「最近酒に頼ってばっかり。ネロ様だけは虚勢張る男だと思わなかったのに…。」
「ったく、何を夢物語をぬかしてるの。結婚なんてそんなもんよ。こんな姿をネロくんに見られたら、あんた終いには捨てられるぞ。」
「いいもん、そしたらお母さんとずっと一緒にいる。」
「馬鹿か、お前は。」
毎日、母を看病しに行ってたリヴィア。叔母様と同様に、特別な感情を抱く対象が不幸になればなるほど、その想いは更に強くなっていく。と同時に、母がこうなったのは、ウィプサニアに入れ込んだ実の父親のせいだとも。なんとか母を救いたいリヴィアにとっては、父よりも自分だけを見て欲しかった。その想いは私だって分からなくもない。
「貴方?」
「おお、リヴィア。まだ起きてたのか。」
「酒臭い、今日も飲んでらしたんですか?」
「ああ、悪いか?」
夫であるネロ兄さんも頭を抱えていた。弟の成人式は喜ばしく、兄を思うが故の自分への指摘は、鋭くネロ兄さんの家長としての誇りを傷付けてもいた。
「ドルススの奴、偉そうに…。」
「またその話ですか?ドルススくんの成人式の時には、涙を流して喜んでらしたじゃないですか。」
「始めは、そう思ったさ。けれど僕はお母様の傀儡なんかじゃない。ちゃんと自分の意見だってあるんだ。」
「だったら、その時にそう仰れば良かったのに。」
「言いたかったさ!でも、あいつの理屈が最も過ぎるんだ。」
「…。」
「リヴィアだって、そう思うだろ?」
「今夜は早く寝てくださいね、いつまでも片付かないのは嫌ですから。」
確かに高慢ちきのリヴィアは、ネロ兄さんに一目惚れした。けれどそれは、ネロ兄さんの弱い部分までも寛容するほどではなかった。人一倍優しいネロ兄さんにとって、ドルスス兄さんからの指摘や母と叔父の密会は、精神の板挟みで心を圧迫していた。
「リヴィア、お前までも僕を圧迫させるのか?」
「何を言ってるんですか。」
それでもネロ兄さんは泥酔するほど酒を浴びるように飲み続け、頭から離れなかった誰にも言えない悩みを、うっかりリヴィアに漏らしてしまった。
「え?!」
「ぼ、僕だって、目を疑った…さ。」
「ネロ様!それをどこで見かけたのです?!」
泥酔しているネロ兄さんの襟元を掴んでは、何度も何度もネロ兄さんの首を振って問いただすリヴィア。
「たしか、女神ヴィリプラカの…神殿さ。あんな所で、手を…取り合って、互いに、愛を…囁いてたんだから。」
「いつ?!」
「た、たしか…一ヶ月前の…三日さ。」
「あああぁ!両親が大喧嘩して、お父様が初めてお母様を殴られた日!!」
実の母親であるリウィッラ叔母様に対して特別な愛情を持つリヴィアは、夜中だというのに泥酔したネロ兄さんを放り投げたまま、リウィッラ叔母様のいるドムスへと駆け足で向かって行くのであった。
続く