第十一章「追憶」第二百二十話
「な、なんだ?これは。」
「オクタウィアヌス、お前の予想を上回るほど、随分と派手な事をやってるじゃないか、アントニウス様とやらは。」
「ここは、オクタウィアヌスの叔父のドムスではなかったのか?」
「おいおいアグリッパ。そういうセリフは、いざって時に残しておくもんだぜ。」
「マエケナス、そうはいうけど…。」
主賓であるアントニウスの姿は確認できなかったが、今回のカエサル様が暗殺されたことにより、なんとアントニウス様は故人を偲ぶ会を慎ましく行っていた。もちろんローマ中の貴族が呼び出され、暗殺を企てた元老院までもが平然と参加しているのだ。つまりマエケナス様の随分と派手なという意味は、身内を殺されたオクタウィアヌス様にとって皮肉でしかない。
「こ、こんな屈辱的な事があるか?!」
「お、落ち着け、オクタウィアヌス。」
「落ち着けだと?!アグリッパ。家族の名を侮辱している貴族を目の前にして、貴様は落ち着けというのか?!」
「オクタウィアヌス、半分はお前が正解で、半分はアグリッパが正解だ。貴様が単なる田舎出身のボンボンか、神君カエサルの血統を持つ後継者なのかの分かれ道だ。」
「大叔父を暗殺した者たちへ、ローマとの『別れ道』だろうが。」
「粋な表現だ、オクタウィアヌス。憎しみは絶えず心に燃やし続けながらも、その表情には誰にも悟られることのない仮面をつけていろ。夜空に輝く星のように、己の周りが闇で包まれるほど、お前の血筋がものを云うんだ。」
「やっぱりやるしかない。」
「え?」
オクタウィアヌス様は外衣の中に何かキラリとした物を忍ばせていたが、マエケナス様もアグリッパ様も気がついていない。彼らを共だって宴会のあちらこちらをゆっくりとあるいたが、それでも主賓である憎むベきアントニウスの姿は見かけない。
「マエケナスは、あんな風に言ってるが、腸煮え繰り返えっているこの気持ちをどうすればいいんだ?アグリッパ。」
「今はじっとするしかないオクタウィアヌス。怒りを抑える時は必要だ。それでも怒りが爆発する時は、俺が全力でお前を守ってやる。」
「アグリッパ、でも貴様…。」
「仕方ないだろうが、これはお前のためじゃ無い。お前が牢獄に入れられたら、俺も付き合う。これは俺のためなんだ。」
「ありがとう。」
「礼を云うのは早い。」
オクタウィアヌスは奴隷から葡萄酒を貰い、一つはアグリッパに渡し、自分の分を取ろうとした時だった。
「ひやぁ!」
「あ…。」
「ちょ、ちょっと!貴方ね…。」
一人の可愛らしい女性に葡萄酒をかけてしまった。キリッとした細い眉がオクタウィアヌスを睨み、だが、その大きな瞳はオリンポスの神々をも彷彿させる輝きに満ち溢れている。若き日の大母后リウィア様だ。
「これは…失礼した。」
「いえ…。あ、あの。」
大母后リウィア様も瞬く間に恋をした。相手が高貴な出身であることも、そしてその宴会場では身分を隠されて参加されていたことも、直感で分かったらしい。それでも十五歳の乙女が二十歳の青年に恋をしたのだ。晩年、葡萄酒を掛けられた事ぐらいは、演劇を司るアウグストゥス様の人生の中でも、不本意であっただろうと感じたそうな。そしてそれは神のイタズラだったのかもしれないとも。
「どちらの氏族か存じ上げませんが、私も本当に不注意でした。ご無礼をお許しください。」
「…。」
大母后リウィア様はとても無垢で、オクタウィアヌス様の瞳に自分の姿が映ることを恥ずかしく思い、ワザと礼節をする事で瞳を逸らしてしまった。けれどオクタウィアヌス様は違った。
「瞳をこちらへ。」
「はい…。」
オクタウィアヌス様以外の人間にされたのならば、大母后リウィア様もなんとも図々しく傲慢な態度に思えた。しかしオクタウィアヌス様は平然と大母后リウィア様の顎を指先でクイっと自分の方へ向けさせたのである。
「君は…とても可愛らしい。名は何と申す?」
「リウィア、リウィア・ドルシラです。」
「僕は、ガイウス、ガイウス・オクタウィアヌス。僕の大叔父には…。」
「オクタウィアヌス!」
間を挟んだのはマエケナスだった。
ここでその名を口にするなっと首をゆっくり横に振る。はっと瞬時に我に帰ったオクタウィアヌス様は、その場をアグリッパ様に急かされ離れられようとされていた。
「リウィア。また、僕と会えるかな?」
「ええ。貴方が望む時なら。」
痺れを切らしたマエケナス様は、オクタウィアヌス様のトーガを無理やり掴んだ。その時、大母后リウィア様はオクタウィアヌス様の懐に忍ばせていた短剣を見かけてしまった。ここの領域はポメリウム。見つかれば死刑どころか、記録抹消の刑にもなりかねない。マエケナス様と共に去っていくオクタウィアヌス様だが、大母后リウィア様は気が気でなかった。一方、表に出た三人の中で、オクタウィアヌスの真相を知ったマエケナス様が怒鳴り声を上げてる。
「オクタウィアヌス!なぜ短剣などを持ってきたんだ?!」
「怒鳴るなマエケナス!俺は大叔父様が見過ごされたのはどうしても許せない。」
「だからといって、聖域のポメリウムに短剣を持ってくれば、どうなるか分かっているだろう?!」
「…。」
「マエケナス、オクタウィアヌスはアントニウスを刺して自害するつもりだったんだよ。」
「な、何?!」
「…。」
「お前はバカか?!その為に俺たちを呼んだのかよ?!アントニウスから財産を譲り受ける承諾を得る為じゃなかったのかよ?!」
さすがのマエケナス様も呆れて地面に唾を吐いた。浅はかな考えと幼稚な復讐、まるっきり世の中の情勢が見えていないオクタウィアヌス様の安直な復讐劇にお手上げだった。だが、その場を救ったのは大母后リウィア様だったのである。
続く