第十一章「追憶」第二百十六話
パッラスのしてくれた話は、私の曾祖父であるアウグストゥス様の意外な一面だった。
「昔、アウグストゥス様の記念碑であるオベリスクを移動した年配奴隷から、とっても貴重な話を聞いたことがあるんだ。」
「どんなお話し?」
「普段は奴隷がする移動作業なんかに、わざわざ皇族が顔を出すことなんて無いのだけど、このオベリスクをエジプトから持ってくるときだけは特別だったらしい…。」
それはそれは何日も掛かる大変な作業だったのだと。だけど、このローマに最大級の記念碑オベリスクが、それもアウグストゥス様の戦利品として運ばれるのであるから、正に国家をあげての大事業となった。アウグストゥス様の命は、"とにかく、一人のケガ人を出さずに作業を行う事"だった。
「でも運悪く、アウグストゥス様が直接視察に訪れたその時に、記念碑はバランスを崩して倒れそうになったんだ。」
「うわ…。」
「多くのローマ市民が見守る中で、作業員の一人である奴隷が、危うくオベリスクの下敷きになるところだった。誰もが奴隷を見捨てて、もう一度バランスを立て直すべきだと思った。ところがアウグストゥス様は、たった一人の奴隷を救うために、みんなが力を合わせるようにと懇願されたんだ。」
「全ての人に…。」
「元老院の方々も貴族の方々も、ローマ軍団のレギオーさえも、全ての人がアウグストゥス様の言動に呆然としたらしい。」
バランスが崩れた記念碑を立て直す事ほど、大変な労力が掛かって難しいこともないらしい。ようやく記念碑のオベリスクがしっかりと建てられると、その奴隷へ周りからは嫌悪感が生まれていった。おべっか好きなある元老院は、アウグストゥス様がオベリスクを立て直させたのは、名誉あるエジプトからの戦利品を汚れた奴隷の血で穢されたくなかったからだと言った。周りもそれならばと納得していったが、アウグストゥス様は、そのおべっか好きな元老院を事もあろうに公の面前で叱責したのだ。
「『よいか!これからは私の悲願でもあった、ようやくローマ国家を頂点とした平和が訪れる。この記念碑は戦利品ではなく、世界中の平和を象徴する記念碑でなければいけない。太陽神アポロの名にかけて、例え奴隷であっても、この記念碑の為に命を奪われてはいけないのだ!』と叱責されたそうな。」
「それって本当なの?お兄ちゃん。」
「ああ、とんでもなく大きな声でその元老院に叱責され、誰もがアウグストゥス様の声に畏縮されたらしいからね。」
ところがブッルスは不思議そうな顔をして、パッラスに疑問を投げかけた。
「しかし、パッラスとやら。そんな事はローマの日報や月報にも、記録として残ってないぞ。」
「ええ、アウグストゥス様が尊厳者として指名された時に抹消されたようです。」
「出来過ぎた話くさいなぁー。お前達奴隷の勝手な想像ではないのか?」
「ち、違いますって。」
「いや、曾祖父ならきっとそう言ったに違いないわ。」
「アグリッピナ様…。」
私はなんとなくそんな感じがしたの。少なくともこの大きなオベリスクの存在感からは、そんなアウグストゥス様の想いや理想が感じられた。その後、パッラスは続けて話をする。
「そして二輪車競技は、今までの内戦の代理を意味することとなり、よってローマ市民は厳粛にこれを観覧するようにとの事で、一切のお酒を飲みながらの観覧を禁止されたらしいよ。」
「へぇー。さすがアウグストゥス様だね、アグリッピナ様。」
「うーん、それはちょっと違うかな。」
「何でですか?」
「だって、大母后リウィア様の話じゃ、アウグストゥス様はめっぽうお酒に弱い人だったらしいから。」
みんなは妙に納得して、私の話に頷いていた。
続く