第十一章「追憶」第二百十五話
「それでそれで?!」
「えっと、確か七月五日から十三日まで行なわれたアポロン祭の中で、そのメイン・イベントとして戦車競技大会が開かれていたのです。」
「へぇー。凄いじゃん。」
「ええ、まぁ…。この位はこのローマ最大の競技場を警備する者として、あたり前というか…。」
「違うよ、別にブッルスを褒めたわけではないの。」
「え?」
「えへへ、うっそ。」
私は相変わらずブッルスをからかうのが好きだった。本人はいつも迷惑そうな顔をしていたけど。でも、忠勤で清廉な軍人であることは間違いなく、後に私が彼の後ろ盾になるきっかけとなったのが、この時のキルクス・マクシムス観光ツアーだったのだ。
「それにしても、ブッルス。こんなに大きな建築物を一体どうやって作ってるわけ?」
「それはですね、オープス・カエメンティキウムというセメントを使っているからなんですよ。」
「何それ?」
「ローマのコンクリートの事です。」
オープス・カエメンティキウムとは、エトルリア出身の技術者によって開発されたコンクリートで、ネアポリス(後のナポリ)の北にある町プテオリの塵と呼ばれる火山灰とセメントを主成分にしたローマのコンクリートの事を指す。これを使えば、巨大な建築物でも時が経てば経つほど強度を増していき、ついには数千年先でも長持ちするそうな。
「フェリックス!千年先の人もきっと、この偉大なローマのコンクリートで作られた建築物に驚いているだろうね。」
「それまでこの大競技場が残っていればの話でしょ?」
「あんた男のくせに夢無いんだねぇ~。もっと志を高く持ちなって。」
私達はようやく大競技場の入り口へ辿り着いた。もちろん関係者以外は立ち入り禁止になっている。
「アグリッピナ様、本当はダメなんですからね。」
「分かってるって。」
「自分が軍隊から処罰されたら、ちゃんと守って下さいますよね?」
「もう、心配性だなブッルスは。もちろんだって!」
強引な私のリクエストに渋々応えるブッルスは、立ち入り禁止の柵を上げると、下を潜るように誘ってくれた。まるで冒険の始まり。手足についた土埃を払いながら、焦る気持ちを抑えて競技場の方へ歩いていった。
「うわーーー!とっても広い!」
まるでわたしの全身を飲み込むように、大きくて広くて長くて楕円を描いた広大な戦車競技場が飛び込んできた。血沸き肉躍る二輪戦車の競技が、以前はここで行われていたのかと思うと、私の体中の血液が逆流するような感覚になってくる。たまらず私は中央まで駈け出していった。
「すごいよパッラス!でっかいよフェリックス!広いよジュリアー!」
「うわーすっげーーー。パッラス兄ちゃんもここから見たのは初めてでしょ?」
「ああ、フェリックス。なんて大きさなんだろう。」
周囲には大人二人分の幅と深さの水掘があり、背後には三階建ての列柱廊が作られている。下階は石造座席が階段のように順々に段を連なって上昇し、上階の二層からは木造座席となっている。ブッルスは私のそばで競技場の大きさを説明してくれて、片側だけでも二輪馬車が横に六台並んでも、まだ十分に空間があるように設計されているとのこと。
「フェリックスーー!こっちおいでよーー!」
「パッラス兄ちゃん...。アグリッピナ様って冥界の主プルートーに呪われてたんじゃなかったの?」
「ああ、そういう話だったけど。」
「こんなところであんなにキャッキャッ騒いじゃって。元々男っぽい人だと思っていたけど、本当に呪われていたのかな?」
「さぁ。」
競技場の真ん中には数多くのオブジェとかが飾られており、ジュリアも私のそばに寄ってきて色々と眺めていた。今まで彼女は観覧席からしか見たことがなかったので、その圧倒的な迫力にただ呆然としている。特に私達三人をびっくりさせたものは、真ん中に建てられた石造柱である記念碑のオベリスク。これは曾祖父であるアウグストゥウス様がエジプトの戦利品として持ってこさせたもので、オベリスクの先には球体のオブジェが刺さってあり、これはアポロンの神をあらわしているんだとか。私は腰に片手を置いて胸を張り、偉そうにオベリスクを指差してフェリックスに威張った。
「へへーん。この記念碑、私の曾お爺ちゃんが建てたの。」
「おおお。」
「確かに確かに。」
「そう考えるとアグリッピナ様ってすごい血統なんだよね。」
「でしょ?フェリックス。」
「それにしてもアグリッピナ様。本当にこんなに大きな記念碑のオベリスクを、エジプトからローマへ持って来られたよね。」
指で鼻をかいて威張っていると、横にいるパッラスがずっとオベリスクを眺めながら、ある老人奴隷の話をしてくれた。
続く