第十一章「追憶」第二百一話
母ウィプサニアの一存で全てが激変していく時代、私はとっても反抗期だった。何かにつけて怒鳴る母に対して、素直になりたくない想いが重ねられていく。母みたいにだけは絶対なるものかと、本気で心に誓った事もあるほど。淡い恋の思い出がいっぱいつまった祖母アントニアのドムスを出て、私はこの時唯一心残りだったのは、初めてキスした解放奴隷のパッラスに、とうとう最後まで目を合わすことが出来なかった事。
「何グズグズしているの?!」
後ろ髪を引かれる想いを断ち切って、コッケイウス家のネルウァ様がご用意してくださった邸まで、ティベリス河を船で北へ向かって上っていった。汚いティベリス河には、不満そうな自分の顔が波に歪んで見える。
「もっと嬉しそうな顔をしろよ、アグリッピナ。」
「別に…。」
「今度の邸はとっても庭も広くて、お前の好きな木がいっぱいあるんだぞ。」
「あっそ。」
「可愛げないな、河に突き落とすぞ。」
「すれば?」
「ったくムカつく奴だな。」
兄カリグラとはいつもこんな感じだった。当然ドルスス兄さんが兄カリグラに対して目を光らせているので、私に手を出したくても出せないでいる。私はドルスス兄さんに甘えてふてくされていた。
「アグリッピナ、気分は大丈夫か?」
「正直、良くないよ。」
「だよな。母さんは自分勝手だし。」
「…。」
「お前は可愛い俺の妹だからさ。俺が守ってあげるからな。」
さっきまで河の波で歪んでいた不満そうな自分の顔は、少しだけ滑らかな波と共に笑顔を取り戻している。
「ありがとう…ね、ドルスス兄さん。」
「気にすんなって。」
「うん、もうスッキリしちゃった。ねぇねぇ!ドルスス兄さん!今度の邸はどんな感じ何だろう?木がいっぱいあるってことは、木登りし放題かしら?」
「たはは…。お前ってやつは相変わらず、現金で立ち直り早いな。」
「エヘヘ…。だってこれがあたしだもん。」
今はドルスス兄さんにだけは妹でいられるから、そんな甘えがとっても救いだった事だけは覚えてる。そう、これがあたしって言葉も、この頃から使い始めてたんだよね。母からは自己主張が激し過ぎるからやめなさいって言われてた気がするけど。
ポチャーン!ポチャーン!
うん?
何かが河に落っこちてる。
「へへん!ドルシッラ。見たか?あんなに遠くまで飛んだぞ。」
「すごい!ガイウスお兄様。」
「もっと遠くまで飛ばしてやろうか?」
ポチャーン!
兄カリグラが何かを外に投げてるんだ。相変わらず子供だな。あんな船のヘリに立ってたら河に落っこちちゃうのに。
「ガイウス!船から石を投げるのおやめなさい!」
「ええ?!だってお母様~!アグリッピナが何もしないから、僕はドルシッラを楽しませようと思って。」
まったあたしのせいなの??
「あんたは全く泳げないのに!船から落ちたらどうするんです!」
「大丈夫です!!」
「言うことを聞きなさい!ガイウス!」
「ほら、大丈夫ですって!」
調子乗って片足で立とうとした兄カリグラだったが、案の定バランスを崩してあっという間にヘリから落ちた。
「危ない!」
あれ?
河に落っこちる音がしない。
「へへ~ん、ここに足場があるのは船を乗る時に承知済みさ~。」
意外にあざとい兄カリグラに、私は何だか今までとは違う印象を持った。
続く