第十章「亀裂」第百九十七話
「どうして?!どうしてウィプサニアのところなんかに!」
「何度も話したじゃないか!彼女は寡婦で、ゲルマニクスの子供達も遺されているんだぞ。誰が父親代わりになってあげられるだ?」
「父親代わりですって?!それならたくさんいるじゃないですか!例えばあなたの父親だって、ゲルマニクス兄さんを養子にしていたのだから!ローマのクロアカ・マキシムに住む孤児なんかよりも立派に育つじゃありませんか!」
「ウィプサニアがそれを許すと思うか?彼女はクラウディウス氏族に不信感を抱いているのは明白な事実であることぐらい、お前だって分かるだろう?!」
「何を仰ってるんですか?!それで国家に立てついて、十分に国家反逆罪になるような事をしてるじゃありませんか??!あなたは次期帝位継承者何ですよ!!」
「分かってる!だが、ウィプサニアの架け橋が必要だろう!」
「あああああ!冗談じゃないわ!あなたは口を開けば二言目にウィプサニア、ウィプサニアって!あなたは誰の旦那なのですか?!」
「もちろん、お前の旦那に決まってるだろうが!」
「ひどい!私の名前は呼んで下さらないのですね!」
「…。」
リウィッラ叔母様とドルスッス叔父様のすれ違いは、ものの見事に頂点に達していた。互いの持つ淡い期待と不信感が、互いを罵り合うことでしか救われず、今度は優しくありたいという反省も無残に切り裂いてしまう。男は頑固で女は気分屋だから。
「もういい!最近のお前と話していると面倒くさくてしかたない!」
「はぁ?!面倒くさいってどういうことですか?!」
「自分の意見を主張すれば否定され、お前へ同調すれば、合わせ過ぎだと非難される。私はただ、穏やかな毎日を過ごしたいだけなんだ!」
「あたしだってそうですよ!穏やかな毎日を過ごさせてくれないのは、隙あらば雌豚ウィプサニアのところへ出向くあなたの方じゃありませんか?!」
ドルスッス様はリウィッラ叔母様が母を雌豚と侮辱する行為を許しはしない様子だけど、でも叔母様も自責の念を他責の念へ変えるが如く、叔父様を責める一方だった。
「やめろ。」
「いいえやめません!あたしがどんな気分であなたの帰りを待っているのか分かりますか?!どれほどウィプサニアが汚らわしく意地汚い女か知ってますか?!」
「リウィッラ!」
「あの雌豚は!あなたがまんまと自分の股ぐらに捕まることを、心の奥底から高笑いして待っているのです!」
「いう加減にしろ!!」
気の強い女を諌める平手打ちが、寝室を共鳴させると、下唇を噛んでギラっと自分の亭主を睨みつける叔母様の猛反撃が始まった。ローマの恥知らず、ゴキブリ、クロアカのドブネズミなどなど。あらゆる罵声と物がドルスッス叔父様へと投げつけられ、枯らした声と詰めたてた指先で襲い掛かる。さすがの叔父様も見切りをつけてしまったのか、右腕を肩から手の甲を叔母様の頬へと思いっきり振りかぶった。
「きゃあ!」
「ハァハァ!」
叔父様に殴られた叔母様は床に倒れ、激痛に顔をしかめながらピンク色に頬を腫らして泣いている。
「ううう、うううう!!どうして!?ううう、どうして?!私が殴られなければ、いけないのよ!!」
「…。」
「ううう、何も!悪くないのに!!」
夫婦二人の決定的な亀裂が、見事なまでに互いを思いやる慈しみを切り裂いた瞬間だった。
続く