第十章「亀裂」第百九十五話
「これは素晴らしい!クラウディウスさん、貴方は本当に細部まで徹底的に拘る方だ。」
「いいえ、ドルスッス様が提案されなければ、私は全く気が付きませんでした。」
それは後にクラウディウス叔父様が帝位されてから行われる、国勢調査と郵便制度の時に役に立つローマの属州を含んだ国土を網羅できる地図だった。
「まだまだ幾分不確かな部分がありますが、私の奴隷達が一つの素晴らしい案をあげてくれましてね。」
「案?」
「ええ、インスラのタヴェルナに集う書簡を届ける者たちへ、酒の飲み代を払う代わりに毎日の天気を事細かに記載してもらうんです。」
「天気をですか?」
「はい。そうすれば、その地域の情勢や何処かどんな状態なのかを把握できるようになります。」
「記載状況によって、奢る酒代も変動するわけですね。」
「もちろん!しかし政務官職で監視官であるケンススの仕事を奪うわけには行きませんからね。」
「表立っては出来なかったのは重要でした。」
「あっははは~。」
「私は脚が悪い者ですから、使わずに済む方法を常に探しています。」
「クラウディウス様ならではの考え方、敬服いたします。」
ドルスッス叔父様は誇らしげに地図を両腕で上げて、ニコニコと微笑みながらその瞳に輝かしいローマの未来を想い浮かべているようだった。クラウディウス叔父様曰く、ドルスッス叔父様もまた、大母后リウィア様とは違った思考を反映させたローマの行く末を気になさっていたという。
「どうだろう?クラウディウスさん。この地図はこれからの未来の土台とも思えるんですよ。これらに何が必要か、二人で色々考えませんか?」
「いいですね!実はちょっとした色々な模型を作ってみたんですよ、見てください!」
そういうとクラウディウス叔父様は両腕いっぱいに城壁や宮殿、兵舎や水道橋を抱えながら持ってきた。さながらお二人は、目を輝かせながら床に寝っ転がって模型遊びに熱中する子供達のようだった。
「ここの城壁からローマの市内へと水道橋が建築されれば、ローマ市民も浴場に愉しむ事が出来ますよね?ドルスッス様。」
「それならばクラウディウスさん、パラティヌス丘まで一気に伸ばした方が皇族派の方々も喜ぶでしょうね。」
「あぁ、確かに!さすがドルスッス様はあらゆる階級に配慮されたバランス感覚に卓越されていらっしゃる。」
「いえいえ…。私はただ、あらゆる階級にとって私自身が架け橋になれることを望んでいるだけなんです。」
「そのように考えられる人は、現在のユリウス氏族でもクラウディウス氏族でも稀でしょうね…。」
しかし、胸を押さえながら喉に唾液が引っかかるような深い咳を、ドルスッス叔父様は二、三度背中を丸めながら苦しそうにし始めた。クラウディウス叔父様の表情は一層険しくなっていく。
その様子を察したドルスッス叔父様は出来るだけ笑顔を浮かべ、頷きながら右手の掌を差し出して大丈夫だと答える。侍医エウデモスから渡されたエトルリア人の処方薬を、先ほどの葡萄酒と一緒に喉へと流し込むドルスッス叔父様 。何度か大きな咳をしながらも、徐々に回復へと向かっていった。
「ドルスッス様、大丈夫ですか?」
「ゴホゴホ、まだまだ咳が止みませんが、葡萄酒と一緒だとだいぶ楽になりましたね。どうもエウデモスが処方した薬だけでは苦くて苦くて。」
「でしょうね…。」
「全くですクラウディウスさん。我々の祖母であられる大母后リウィア様の長寿の秘訣は、全くもって侮れませんね。」
「正に“太く長く生きる”という代名詞を体現されているのですから、爪の垢でも煎じて我々は見習わなければなりませんね。」
続く