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紺青のユリ  作者: Josh Surface
第二章「母」少女編 西暦18年 3歳
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第三章「母」第十九話

"華やかなれど、そこには美しさは無く、永遠の灯火として、執念だけが物悲しく残る。"


私へ最期に遺した母の言葉。

あれ程まで私達家族の事を、親戚の事を、そして何よりも父の事を思ってた母でさえ、ローマという魔物には敵わなかった。皮肉にも母の死でそれを悟る事になるとは、幼い頃には想像すらできなかった。


「謁見!!ティベリウス皇帝陛下!」


ひょろっと細長い中年男性の声が高々と響き渡った。若干他の人よりも両目の位置が開いてる印象。時折、下唇をベロで舐めるのが癖みたい。肉体もそれほど腕力があるようには見えず、むしろ華奢に見える。リウィッラ叔母さまがおっしゃてたとおり、あの人はトカゲのセイヤヌスだ。一同に頭を下げたまま皇帝陛下を迎え入れる。すると、謁見の間の左奥から大きな初老が歩いてきた。


「フー…。」


お腹は大きく膨れ上がり、ガニ股気味の歩き方。ため息を何度もつき、時折、痰を詰まらすように喉を鳴らしてる。一方、実年齢のわりには気味が悪いほど、サラサラした潤いのある白髪交じりの前髪を、ぺったりと眉毛の上で揃えている。顔全体には拭き切れていない油が無数に輝き、鼻筋と眉間を中心に不格好な皺が無数に広がっている。目の下にはだらしないクマが不健康そうにあり、覇気も無く、まるで喰われるために生きる事を諦めた大きな牛みたい。椅子に座るにも面倒臭そうな仕草。あれが「鋼鉄の巨人」と呼ばれたティベリウス皇帝とは思えない。少なくとも私の印象ではそう感じた。


「ティベリウス皇帝陛下。本日はご機嫌麗しく、この度は私共ユリウス家をお招きいたただき、御礼のほど…。」

「…で?」


ティベリウス皇帝の一言は意外だった。

宮殿内は冷んやりと静まり返るのだが、その静けさに、またそれか?と言わんばかりにティベリウス皇帝陛下は再びため息を二度つく。セイヤヌスは、そのため息にすぐ様反応し、少し慌てた様子でティベリウス皇帝のそばで耳を貸す。


「あ、はい。ただいま。」


ティベリウス皇帝から耳打ちされ、咳払いをしたトカゲは、再び下唇を舐めてから言い直した。


「長き挨拶は無用。簡略明確にお伝えしろ。」

「あ、はい…。私共ユリウス家はこの度は無事に、レスヴォス島にて三女のユリア・リウィッラを授かった事を、ティベリウス皇帝陛下へお伝えすべく、報告に参りました。」

「で?何を申されたい?」


セイヤヌスの詰問は、まるでお母様の言葉を覆すようだった。昨夜のドルスッス様とのお話しでは、お母様もお父様のおられるシリア属州へ、お戻りを懇願される事だった。


「父上。この度ゲルマニクスとウィプサニアの間に三女も生まれ、ローマでは、少なからずも和やかな雰囲気に包まれております。ゲルマニクスもさぞ喜んでいる事でしょう。彼に一家団欒の機会を与えるのは、如何でしょうか?」


ドルスッス様はお母様がご自分で懇願し難いと判断し、軽やかな口調で提案された。だが、ティベリウス皇帝の返事はとってもシンプルだった。家臣のセイヤヌスにまたもや耳打ちをして、二三度手を振って事を済ませる。


「話は終わった!」


ティベリウス皇帝はお母様に対して見向きもせず、まるで自分にたかるハエを尻尾で無意識に振り払う牛のような無関心さだった。


「本日の皇帝陛下への謁見は以上で終了する!」


何も言わず椅子から面倒臭そうな様子で立ち上がる。お母様は驚いた様子で、必死に引き止める。


「お待ちください!ティベリウス皇帝陛下。実は、本日はお願いがあって参りました。」

「…。」

「家族全員とは申しません。せめて、私とこの三女のリウィッラだけでも、夫のそばに…。」


塞いだのはあのピソだった。

馴れ馴れしくお母様の肩に両手を置いて制止する。


「これ、ウィプサニア殿。陛下は毎日の激務でお疲れである。ワガママを申されるな。」

「しかし!」


再びピソはお母様の肩をポンポンと軽く叩いて制止する。


「もう良いではないか。ゲルマニクスは頑張っとるよ。わしがちゃんと見ているのだから。」

「しかし!」

「夫のそばにいたい気持ちは、どの妻だって同じだろう。お前は知らんだろうが、ゲルマニクスはローマの人気者らしく頑張っとるよ。それに、いくらゲルマニクスが人気があるからと言って、お前達家族だけを特例に許すわけにはいかんだろう?」


ピソはニヤリといやらしい顔で皮肉を綴ると、お母様は自分の肩に置かれたピソの手を、まるで汚らわしい虫でも払いのけるように振り払い、凍てつくような鋭い視線で睨み返した。


「属州の総督がドルスッス様のように信頼できるお方なら、私もこのような懇願はいたしません!」


ピソ様とお母様の間に緊張感が走る。

しかしそれだけでは無い。お母様の挑発的な発言は、皇帝からの絶対的な信頼を勝ち得たいセイヤヌスの野望にも、そして面倒臭そうな様子だったティベリウス皇帝にも一矢を報いてしまった。


「ウィプサニア!皇帝陛下の面前で、それはどういった発言だ?!」


トカゲのセイヤヌスがまず吠えた。危機的状況を察したドルスッス様は、すぐにお母様の背後に回って援護されるのだが。


「まぁまぁ、ウィプサニアちゃん。落ち着いて。きっと、あはは…。三女のリウィッラちゃんを産んだばかりだから、お疲れなのでしょう。」


ティベリウス皇帝は決して自分から自分の意見を言わない。全て一番信頼できる親衛隊長官セイヤヌスに法令厳守の立場から発言させていた。しかしそんなティベリウス皇帝でも、今の発言は許し難いものだったらしく、低く酒焼けした声でドルスッス様の援護を制止した。


「ドルスッス、お前は黙ってなさい。」


続く



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