第十章「亀裂」第百八十九話
ドルスッス叔父様毒殺計画。
セイヤヌスは更に、叔父様専属の宦官奴隷リュグドゥスも取り込んでいく。
宦官は元々ガッライと呼ばれ、フリギアの女神キュベレーに対する信仰に帰依した熱狂的な男性神官が始まり。彼らは聖なる儀式で己自身を完全去勢し、儀式の後に女性の衣装をまとう事で社会的に女性とみなされる。宦官であるガッライの名の由来は、女神キュベレーに対して最初に仕えたと言われる神官ガッルスであった。
ガッライが最初にローマを訪問したのは、当時から203年前の共和政ローマの元老院が、女神キュベレーを国家が祀る神に正式に加える決定を下したとき。しかし、その後はクラウディウス叔父様が帝位されるまで、ローマ市民がガッライとなることは禁じられていたので、ローマ市民は自分の買った奴隷を去勢させて宦官にさせることが常だった。
前の主人から迫害を受けていたリュグドゥスも、ドルスッス叔父様の恩赦から救われ、自らの意思で宦官奴隷として務める事になった。
「セイヤヌス様。」
「おお、お前は宦官のリュグドゥス。」
「お久しぶりでございます。」
リュグドゥスの表情は明るかった。
女神キュベレーに自らを捧げた彼にとって、自分を救ってくれた主に仕えることは極上の幸せだから。一番大切な事は政治的な派閥争いよりも、ドルスッス叔父様がしっかりとローマで立派に振る舞えるように、雑用係として日々の仕事をこなす事。
「まぁ、待て。」
「はい?」
「後で少し話さないか?」
「申し訳ございません、本日はこれよりドルスッス様の民会への参加になりますゆえ…。」
「なぁに、時間は取らさない。」
「私は女神キュベレーへ身を捧げた輩でございます。そして女神の意思により、ドルスッス様へお使いする事が全てで生きております。お察し頂ければ光栄でございます。それでは、失礼致します。」
「…。」
リュグドゥスは、俗物に溺れるエウデモスとは違い、身も心も信仰厚き人物。今までのようなセイヤヌスのやり方では通用しない。
「チッ、カマ野郎が気取りやがって!」
「教祖、宦官の奴らは一筋縄では行かないです。やはり弱みを握らなければ。」
「去勢した男に弱みなどあるものか?」
「ありますとも。自分の主人に対する、忠実な愛情が…。」
セイヤヌスは暫し推敲すると、なるほどその意味が見出せてきたようだ。
「トゥクルカ様も仰っていたな?"人の言動や行動は、全て快楽原則の支配に従っている"と。」
宦官のリュグドゥスは本当に心からドルスッス叔父様を愛していた。それは欲情とは程遠い無条件の愛情であり、主人に尽くすためだけの快楽思考主義。
「では、その高尚なる主人が、自分だけを求められた時、尽くすためだけの快楽思考主義の連中は、己を保つ事ができるのであろうか?」
暗がりの街角で、身分を隠したセイヤヌスの部下達が、イスラエルからやって来た偽造が出来る者と、ローマ人を演じる事が出来る者を呼びせ、黄銅貨のローマ硬貨セステルティウスを13枚を渡す。
「否!断る事ができるわけがない。己から最も対局にある欲望が、自ら大手を振ってやってくるのだ。」
リュグドゥスだけに当てられたドルスッス叔父様からの手紙。
"今の私の苦しみを取り除いてくれるのは、世界中でたった一人、リュグドゥスお前だけだ。今宵、目を閉じたまま、この私に抱かれてくれ。"と…。瞬きを終えた目が見開き、鼓動がドクンとリュグドゥスの身体中に響く。
「人は何処かで自分は特別だと願い、己の人生の主人公であると思い込んでいる。だが、大きな過ちをした瞬間を、他人から見られた時にはどうなる?」
宦官の寝室。目を閉じたリュグドゥスが全裸になってドルスッスを待ちわびていると、物陰からドルスッス叔父様のような両腕が宦官を抱きしめる。二人は互いを弄り合い、そして、互いの体を慰め合う。
「ああ!ドルスッス様!私はずっとずっとこの日を待ち望んでおりました。あなた自身から愛されることを。貴方様の肉体で癒されることを…。」
荒々しいリュグドゥスの喘ぎ声の中で、相手は一切声をあげなかった。耐えきれず目を見開いて唇を奪うリュグドゥスの目の前には、ドルスッスとは似ても似つかわない男の不敵な笑みがこぼれている。
「はっ?!一体これは?!」
「フフフフ!ハハハハハ!まんまと引っかかりましたよ、セイヤヌス様!」
「何?!」
全裸のリュグドゥスは全てを目撃された。それも、一番見られたくない人物に…。
「そうか…。それが女神キュベレーの為に完全去勢し、主人であるドルスッスへ全てを捧げ生きている、愚かな宦官の真の欲情した姿か。」
イスラエルからの者に偽造された手紙に騙され、叔父様の背丈に似たローマの役者に弄ばれ、そして、その筋書きを書いた張本人に目撃され、リュグドゥスはセイヤヌスに踊らされた。
続く