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紺青のユリ  作者: Josh Surface
第十章「亀裂」乙女編 西暦22年 7歳
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第十章「亀裂」第百八十一話

その頃、母ウィプサニアは、現皇帝ティベリウスの右腕である親衛隊長官セイヤヌスを失脚させるべく密談を続けていた。


「やぁ、ウィプサニア。相変わらずお美しい。」

「お久しぶりです、アシニウス様。」

「ウィプサニア、元気じゃったか?」

「はい、ネルウァ様。子供達もすくすく育っております。」

「こないだの、なんじゃったかのう?頭を怪我した?」

「アグリッピナでしょうか?」

「おお!男の子の。」

「あ、アグリッピナは長女ですが…。」

「それじゃ殴った方か?カリガだっけか?」

「ああ、いえカリグラです。本名はカエサルと同じガイウスですが…。」

「実にいい。サビニ人を略奪した我らの祖であるロムレスの兄弟達のようだ。神君カエサルの決断力、そしてゲルマニクスのような華やかさを連想させるのう。」


母は少々ネルウァ様の言葉に拍子抜けしていた。何故なら、当時はやはり長男ネロお兄様を皇帝継承者として全てを注ぎ込んでいたから。


「はぁ…。」

「確かに、ネルウァ様の仰る通り、カリグラくんはとてもいい目つきをしていた。堂々たる佇まいがローマの人々に畏怖の念を持たせるかもしれませんね。」

「長男のネロも、立派にカエサルの血を受け継ぐ者として異例の出世をしておりますけど。」


ピシャリと呟いたウィプサニアに、ネルウァ様とアシニウス様は、お互いに顔を見合わせる。母ウィプサニアの機嫌が少し悪くなっている事に気が付いたようだ。


「いやいや悪かったウィプサニア殿。確かに長男のネロくんは頑張っておるのぅ。」

「これは失礼した、ウィプサニア殿。」

「分かって頂ければ、それだけで十分です。」


この頃の母ウィプサニアは、次第に他人からの忠告などを素直に受け入れられなくなっていったほど、自らの考えに凝り固まっていく。とにかくネロお兄様こそが、ゲルマニクスお父様亡き後の次期皇帝継承者であるという揺るぎない想いに駆られていた。


「では問題に入ろうではないか。現在ウィプサニアを支援する有力な氏族達は、こぞって共和政支持派であり、世襲制である現在のクラウディウス氏族には反感を抱いているが、所詮彼らも平民であるローマ市民たちの声は聞こえてはおらんのじゃ。」

「確かにネルウァ様の言うとおり、ローマの市民たちは、堅実で姿見えなき指導者に従うことよりも、大きな力で世界を煌びやかで色取り取りな世界に塗り替えてくれる血に飢えている。」


ネルウァ様は立派な顎鬚をさすりながら、ニヤっとしてある事をウィプサニアに話し出した。


「ウィプサニア殿は覚えているだろうか?今から四年前に小アジアの南西部を大地震が襲った時の事を…。」

「ええ覚えています。サルディスやマグネシアなどの地方都市が、大地震による激震で壊滅的な被害を受け、あのエフェソスにあるアルテミス神殿までが余震の被害を受けた年ですよね?」

「そうじゃ。ところが現在の元老院の議員定数は六百人いるなかで、元老院の議決がなければ皇帝は政策を何一つ実行する事ができない。そうじゃったの?」

「はい。」

「では、その理屈でいえば、甚大な被害を被った被災地に被害者は、離れたローマにいる元老院達の長い討議の結論が出るのを待つしかなかったわけじゃな?」

「はい。しかし、それが平民の声を聞かないと、どういう繋がりが?」

「若い者はせっかちでいかん。最後まで聞くが良い。そこでティベリウス皇帝は少人数の元老院議員による対策委員会を即座に設置し、緊急援助と設備の再建に一億セステルティウスをローマの国庫から支出、さらには被災者に対し五年間にわたって属州税を免除する事を元老院へ緊急対応策を提出した。つまり、具体的な復興は属州に委ねるというものだ。これがどういう意味か分かるかのう?ウィプサニア殿。」


そこへアシニウスは眉間にシワを寄せながら、ティベリウスを痛烈に批判し始める。


「この一見堅実に見える政策も、平民からしてみれば、上のもの達による税金逃れのいう口実となるしかないのです。」

「事実、そうだったしのう…。それにローマ国家の設備を整えるいいきっかけになったのも事実じゃ。では、ウィプサニア殿、そんな時に、その政策以外に平民は何が欲しかろう?神君カエサルならば、何を平民に与えたと思われるか?」


母ウィプサニアは右手を顎に添えて深く考えてみたが、その答えは遥か彼方の落日のように感じられた。


「ネルウァ様、それはなんでしょう?」

「つまりじゃ、それは誰もがすがりたくなるような"嘘"じゃよ。」


その"嘘"を母ウィプサニアは生涯つき続ける事になる。それが、彼女の第二の不幸の始まりでもあった…。


続く

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